「白旗の少女」(4) 老人夫婦との出会い
川のほとりに、水を求めて逃げてきた大勢の人たちが、力尽きて死んでいました。うじ虫が湧き、ちかくの水はうじ虫だらけです。
わたしは、思いきって両手を流れに入れ、そっとうじ虫をどかして、みずをすくいあげてのみました。「おいしい!」
飢えと渇きで疲労した少女にとって、この水は、「命をつなぐ水」だったのでしょう。
うじ虫の浮いている水さえ「おいしい!」と思わず声をあげた少女の環境適応能力と生命力の強さに感動です。
沖縄の戦場を45日にも渡って、彷徨(さま)よい、命からがらたどり着いたガマ、いつものように兵隊から恫喝され追い出されるのを覚悟で、真暗なガマに入った7歳の少女を迎えたのは、老夫婦でした。
そこそこの食料を分け与えてくれる老夫婦の慈愛に満ちたまなざしが、少女に生きる力を与えたのでしょう。
わたしは、ひさしぶりに、歩くことも、ガマから追われることも、死んだ兵隊さんの雑のうから食べものをさがすこともない、ほんとうに心の休まる毎日をすごしていました。
少女にとつて、夢のような日々が過ぎてゆきます。
しかし、老人には手足がなく、失った手足の傷口には血が滲み、うじが湧いています。
老婆の方は目がみえず、文字どおり少女が二人の手となり足となってかいがいしく世話をする姿は、
老夫婦にとってはガマの暗闇に咲いた小さなかけがえのない希望の灯りと映ったことでしょう。
しかし、戦況はますます悪化し、このままの状態では、やがて食料がつき、三人の餓死は免れません。
この体では、この先いくらも生きられない。 …略… いつか、おまえが大きくなったときに、ああ、こういうじじとばばがいたなと思いだしてくれるだけでいい。わたしたちの体は死んでなくなっても、富子の心に生きつづけることができるからだ。
諭された少女は、ガマをでてアメリカ軍に投降することを決心する。
老人のフンドシを裂いて作った白旗を木の枝に結び付けて、少女は老夫婦の住むガマを後にする。
少女はアメリカ軍に保護されたが、ガマに残った老夫妻のその後は誰も知らない。
アメリカ軍の記録によれば、少女が保護された日は、昭和20年6月25日だという。
この後の手記は「白旗の少女」(1)(2)詳しく紹介してあります。興味のある方はそちらのブログをご覧ください。
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