夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

九州への旅1日目の4 明石海峡大橋と天の川を見る

2010年09月20日 | 旅行
フェリー内で早めの食事を済ませて外に出ると日が
暮れて外は真っ暗でした。神戸の夜景がきれいです。
しばらくすると明石海峡大橋が見えてきました。

ライトアップされた海峡大橋をくぐり抜ける。

対岸は淡路島

遠く通り過ぎていく明石海峡大橋
 

     展望デッキの上は潮風が強く髪の毛がばさばさになったので室内に
     戻り、風呂に入って髪の毛を洗い、早め(9時半頃)に就寝
     
     私達の部屋はスタンダードタイプの二人部屋プライベートを
     気にしなければツーリストルーム(大部屋)の方が広々と
     していて気持ちよい。ツーリストルームは殆んど客がありま
     せんでした。

室内のTVにどの辺りを走行しているかが映し出されます。
 
航行速度も表示されます。
 

一回目に目覚めて時計を見ると11時半
船のエンジン音がゴーーーと響いて耳に付き、
私は眠れたが父ちゃんは眠れなかったらしい。
外は真っ暗なのでどの辺を走っているのか
TVで見る未だこの辺↓
 

眠れないので展望デッキに行ってみると素晴らしい
満天の星空。都会では殆んど観られなくなった
天の川もはっきり見える。数十年見ていない天の川や
天の川にかかる白鳥座カシオペア、もはっきり
見えて大感激。「きらめきの瀬戸内海クルーズ」
と旅行会社のキャッチフレーズですが、夜出航の
瀬戸内クルーズは真っ暗で何にも見えない。
まあ、きらめく満天の星空が観られたので良しとしましょう。
展望デッキの潮風で髪の毛がばさばさにならないよう
今度はスカーフで髪の毛をカバーした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭りが過ぎて 昔と今

2010年09月20日 | 行事
私が生まれ育った土地の誉田八幡宮の祭礼が
終わりました。
父の写っている祭りの古い写真が出てきました。
終戦後すぐの写真だと思います。

私が住んでいた家の近くに誉田八幡宮(八幡様と呼んでいた)が
あります。八幡様は東金街道に面していて、
この写真は東金街道の道路で写したものです。
道路は未だ完全舗装ではありませんでした。

神主や祭り関係者が正装して写真に納まっています。
お祭りは毎年9月15日に行われ、町内6箇所にある
子供神輿と大人神輿一台は朝から町内中を練り歩き
夜の9時近くに終わります。

9月15日が「敬老の日」と決まり休日になりましたが
それまでは休日ではなかったので祭りの日はは町内会に
係わる小中学校は神輿を担ぐ子供達のため休校になりました。
のんびりしていました。
道路沿いには祭り提灯が掲げられ、車の通りも少なく
街灯もない時代でしたので家の門の角々に掲げられる
祭り提灯の灯りでずいぶん明るく感じたものです。

この写真の左側に立派な天狗様が写っています。
この天狗は祭り行列の先導者(猿田彦と呼ばれている)
神輿の行列をじゃましたり騒ぎを起こしたりする者を
追い払う役で、この天狗役は私の家の近くのオジサンでした。
背が高くすらりとして普段から怖い感じでした。
(ホントは優しかった)天狗役は堂々としていて
子供達が恐々覗いて見たりすると睨みを利かして追い払う。
そんな天狗様も今はやる人(演じる)がいなくなり、
天狗の露払いは無くなりました。

時代が過ぎ敬老の日は9月の第3週の不定期な日になり
15日に行われていた祭礼もその日にあわせるようになり
不定期になりました。休みの日に祭りを合わせないと
神輿を担ぐ若手がいないそうです。昔は五穀豊穣の
お祭りで農家が主体になって行っていましたが、今は
農家も少なくなり殆んどがサラリーマン家庭。これでは
神輿を担ぐ担ぎ手がいなく、祭りは成り立たない。と
言うわけで数年前からやむなく変則的になったという次第。
兄からすると
「それはないだろうが」と憮然とする。でもお祭りは
無くならないだけ良しと思わなければ。子供たちも
楽しんでいる事だしね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする