カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

絶望と希望の間

2015-03-07 09:33:35 | 本と雑誌
 新刊書が売れない原因の一つに電子書籍などと共に図書館の多様化もあるらしい。

 この頃、自治体の施設管理運営を民間に委託するところが増加中である。

 古色蒼然として利用者が来るのをノンビリ待つスタイルから、あの手この手の集客プログラムが展開され図書館も様変わりしつつあるのだ。

 新刊のある書店も古書店も大好きで、立ち寄ったら手ぶらでは帰れない癖のある私でも、タダで読める図書館はこれまた大好きである。

 何と言っても図書館の最大の魅力は、わざわざ買って読むには冒険的でわけの判らない、それでいてやたら高い本までが並んでいるところが面白い。

 そんな図書館の本棚の、フランスと表記された一角から2冊借りてきた。

 

 「火によって」ターハル・ベン=ジェッルーン(著)岡真理(訳)2012.11以文社(刊)

 一人の青年の焼身自殺から火が付いた「アラブの春」を題材にした物語である。

 チュニジア、リビア、エジプトはてはシリアまで燃え広がった革命の嵐。

 これでもか、これでもかと、虐げられた民衆の不条理への怒りが最高点に達するまでが描かれる。

 ちょっと変わっているのは、126ページの本のうち本編は87ページで、あとは訳者の熱~い解説が延々と続く。

 革命も作家活動も翻訳作業も、激動の渦中に身を置きつつも冷静な次を見据える目が必要だと痛感させられる。

 さて、次の一冊は。

 

 「ようこそ、自殺用品専門店へ」ジャン・トゥーレ(著)浜辺貴絵(訳)2011.9武田ランダムハウスジャパン(刊)

 近未来のとある国のとある町にある、自殺用品専門店をめぐる物語。

 世をはかなんで自殺したいと思うお客の要望に添うべく、あるいは新たな自殺用品を開発し提示していく日常を明るいタッチで描いていく。

 問題なのは、出来損ないの末っ子のこと。

 ネアカで楽観的でおよそ商売の邪魔にしかならないが、愛すべき息子の扱いに家族は振り回される。

 結末に作者魂がきらり・・と。

 いみじくも今回は、2冊とも自殺がテーマになっていることに読んでしまって気がついた。

 人間は寿命がくれば100%死亡するのだから、自分を断捨離する必要はない。

 では一句。・・・「世は一度 二度は回らぬ観覧車」

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考え始めると眠れなくなる記事

2015-03-06 11:31:50 | 人声人語
 今朝の新聞を読んでいて、先の方に頁をめくるのが大幅に遅れてしまった。

 時々クロスワードとか、5つの間違い探しなどで頭を悩ますことはあるが、普通の記事でもあるんだなと思った。

 

 「福祉避難所指定ゼロ24%」という見出しで、東日本大震災の検証と教訓から得られた避難所の必要性を訴えた記事で、避難所の指定が全くなされていな自治体が24%あるという。

 例によって横には都道府県別の取り組みの現況を一覧表で示しある。

 

 この表の見方が結構な「なぞなぞ風」に出来ていて、対策を講じなかった自治体が0で(0.0%)という、摩訶不思議な数字が並んでいて、一見しただけでは何のことだかさっぱり判らない。

 %表記が出来るということは、避難所を指定すべき基礎自治体の全体が判っていて達成数が判っているから割合が出たのだと思う。

 多分記事が伝えたいことは避難所指定ゼロの自治体への警鐘なのだろうが、「ゼロ」という文字と「0」という数字を混用・多用したためかなり判りづらくなっている。

 未指定が0なら達成度100%だろうに(0.0%)と表記されているので老化中の頭は大混乱だ。

 この記事に止まらず天気予報から、出生・死亡率まで「%表記」が好きな国民性なのは分かるが、殆ど意味をなさないどころか、弊害にすらなる場合がある。

 例えば、地方での出生率の回復など、分析を誤ると単なる分母たる若い女性の転出に起因する率の増加に過ぎず、むしろ絶対数は減り続けているという話もある。

 「%のマジック」をいつまでも楽しんでいると、現実がしっぺがえしをする。

 では一句。

 「死亡率100%まで生きられる」

 この確率は100%正確である。

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屋根に恐竜?

2015-03-05 10:34:05 | 日記
 春の陽光に誘われて努めて歩いている。

 

 ウエイトコントロールは食事管理が70%以上だと思っているが、基礎代謝に見合う収支決算を思うと運動は絶対に欠くべからざる要素であると自覚している。

 1万歩を目標にしているが、こんな天気ならもっといけそうだと足を町外れまで伸ばした・

 すると、とある民家の屋根の上に妙なものを発見した。

 

 逆光なので黒っぽく見えるが、実際は銀色で恐竜の骨格標本のようだ。

 恐竜のことはさっぱり分からないが、体型からして草食恐竜で前足の状態から水上移動を得意とする部類では・・。

 などと勝手に想像しながら見上げてしまった。

 我が町の隣は「ミフネリュウ」のご当地御船町だし、現在も化石探査などは続けられ新発見も続出している。

 屋根や軒端など、昔から破風やうだつ・鬼瓦などで家主の思いのたけを表現したものだが、こうしたモニュメント的なものも家主の思いの一端を推し量ることが出来る。

 足下の工事や段差にも注意が必要だが、時々は屋根まで目線を上げると珍しいものにまだまだ出会えそうだ。

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♪庭のサンシュウに鳴る鈴掛けて

2015-03-04 09:27:32 | 日記
 去年のブログを見ると、馬酔木が咲いていたなどと書いているのでウオーキングがてら城址公園に足を運んだ。

 

 確かに薄いピンク色の馬酔木が一株公園の土手に咲いていた。

 直ぐ根元の陶器製の句碑には「馬酔木咲き丘は野となり丘となる」とある。

 馬酔木はやや山の高い場所に自生するので、開花時期はもう少し後になるのが普通である。

 

 「山茱萸の花の細かさ相触れず」という句を見ながら、横を見上げるとそこにはサンシュウの花が・・。

 

 宮崎県の椎葉地方の民謡に「♪庭のサンシュウの木に 鳴る鈴かけて・・」とあるのは、私自身はずっと山椒の木のことだと思っていた。

 でもサンシュウという木を植木市で見て、トゲのある山椒よりこのサンシュウの枝の方が鈴は掛け易そうだから、この木だったのだと思い直すことにして何年かたった。

 やっと民謡とサンシュウの木に折り合いが着いたと思ったら、な~んと椎葉地方では山椒をサンシュウと発音してしまうそうで、おまけにこの地方には山茱萸(サンシュウ)は自生しないそうである。

 そういうことで、またもや民謡に唄われるサンシュウは山椒であると脳内記憶の上書き修正をすることとなった。

 そんな私の脳内記憶などお構いなしに、季節はどんどん過ぎていく。

 さて、一句。

 「あれあれとそれそれの間に春はゆく」

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桃の節句

2015-03-03 12:16:21 | 日記
 車のメインスイッチを入れると「今日は3月3日火曜日ひな祭りです」とナビが言った。

 想像を絶するような〇〇の日もあるので、まさかミミの日と真っ先に言う事はあるまいと聞き耳を立てていたのだ。

 「そりゃそうでしょう。桃の節句とまでは言わなくともひな祭りは言うでしょうよ」と・・助手席から声が・・。

 実は白酒にも興味があるのだが、私は一向に知らないので助手席に訊くと知らないというのでネットで調べてみた。

 製法は、焼酎・味醂に麹と蒸した餅米を混ぜて、1ヶ月ほど寝かせた後臼で轢くとある。

 アルコール度数9度くらいで糖度は45%というからこりゃ成人式前の女の子の飲み物ではない。

 最近はもっぱらアルコールのない、甘酒だそうな。

 雛飾りも色々あるようで、飾り方でガラッと趣が異なってくるようだ。

 

 ちょっと粋な雰囲気を漂わせた雛飾り(菊地市)

 

 おひな様もびっくりするような、天井からの「さげもん」に囲まれた古い商家の雛飾り(柳川)

 

 柳川藩主立花氏の別邸「御花」の中庭で見かけた雛飾り(柳川市)

 な~んか女の子の祭りらしく華やいでいていいなと思う。

 しかし、昨日から桃の花を求めて歩いてみたが・・・何処の庭にも何故か桃の木はなかった。 

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♪梅は~咲いたか

2015-03-02 09:26:48 | 日記
 日曜日に町から貰った三十三ヶ所巡りの地図を片手に近くの該当箇所を回ってみた。

 お堂や極端に小さな祠など様々で、何処にでもある街角の風景と言えばそれまでなのだが、日頃は目にも留めずに通り過ぎていたことに気づく。

 それに経路上の家々の軒端から庭に植えられた季節の花を見られるのも楽しいものである。

 

 普通の白梅でもこのくらい一斉に咲くとつい見上げてしまう。 

 紅梅やピンクのしだれ梅など、派手なものは目につくが一般的な白梅は目立たぬ存在なのだ。

 「梅は咲いたか 桜はまだかいな・・」で始まる唄はなんだろうとふと思った。

 ネットで調べたら、ウィキペディアには「レゲーシンガーソングライターMetisの1枚目のシングル」と出た。

 え~~っ!レゲー?。

 他を調べたら江戸の端唄・俗曲というのがあって、歌詞があり視聴も出来るというので聴いてみた。

 一曲まるまるは唄えないが、始めの部分の旋律を聴いて私の云う「梅は咲いたか」は「端唄」であることが判明した。

 2番の歌詞など、♪梅にしょうか桜にしょうかいな、色も緑の松の枝に梅と桜を咲かせたい しょんがいな~・・・などと色街での勝手な思いが唄われている。

 

 そう言えば、先日訪れた御立岬の早咲きの河津桜はすっかり咲いていて、もうすぐ散るわいなと唄っていた。

 さて一句いってみよう。

 「時々はフェイントかける春の風」

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Who are you?

2015-03-01 10:26:07 | 本と雑誌
 最近読んだ本の中では、飛び抜けて陰鬱な気分になる本だった。

 母親が決めた望まない歳の差婚によってもたらされる、若い娘の絶望的な日常を延々と描いていく。

 

 「あなたは誰?」アンナ・カヴァン(著)佐田千織(訳)2015.1.15 文遊社(刊)

 白人の墓場と呼ばれる熱帯の植民地で、望まなかった結婚の代償として与えられる試練をこれでもかと描く。

 軒端のタマリンドの木で、人の話し声さえも遮る程の音量で「Who are you?」と啼くチャバラカッコウの声。

 冒頭から最後まで、この鳥の声が作品全体を包み込む。

 夫や使用人は、善玉の娘にとっては完全な悪玉に徹していて、白馬の騎士のような娘と同年代の若者が唯一の救い手となる。

 が、唾棄すべき夫の元から若者と共に逃げることは可能である筈なのに・・・・。

 作者が60歳の頃の作品だというから、その娘の心中を表現する感性には驚くが、娘というより女の情念のようなもの、男と女の間にある埋めがたい闇をこのくらい見せつけられると、男の私は少々辟易する。

 

 今朝は、雨がしょぼしょぼと降っていて里山も雲に霞んで見える。

 この天気をスカッと瞬時に晴れさせる事が出来ないのと同様、現状を変えようとしても変えられない鬱積したものを持ち「Who are you?」という声を聞き続けている若者が沢山いることは間違いない。

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