カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

津軽のリンゴがお見舞いに

2016-12-21 10:00:27 | 熊本地震
 今日は冬至で、雲も無くスッキリと気持ちの良い太陽が顔を出した。

 一年で一番昼間の時間が短い日ということは、これからは段々日が長くなっていくわけで希望は持てるわけだ。

 日中の長さと寒さとの関係は、タイムラグがあって地球の冷え方や大陸の寒気団の移動の時間差が関係するらしい。

 
 (冬至の日の出)

 柚子やカボチャの由来はいろいろ有るらしいし、地方によっては独特の食べ物や言い伝えもあるようだ。

 一番多いのは日本人の好きな「語呂合わせ」をしてお目出度たがることのようだ。

 季節的にも実際的にも健康に良かったりするので、それはそれで結構な話ではある。

 語呂合わせなど、言葉遊びで新たなブームを作ってしまったりするのは今も江戸時代も変わりないということか。

 柚子の配分を考えていたところに、リンゴの配分が加わって嬉しい悲鳴になってしまった。

 
 (青森から贈られたリンゴ)

 熊本市には「噴煙吟社」という川柳の結社があるが、先日青森県弘前市の「弘前川柳社」の川柳作家で渋谷伯龍さんが地震見舞いで熊本を訪問されたのを機会に、合同の「方言川柳句会」が催された。

 その際、地元で集めた寄付で購入した青森のリンゴやりんごジュース等を大量に贈られた。

 被災者に届くように熊本の噴煙吟社も手を尽くしたわけだが、その手先の一端を私も任されたわけだ。

 私も四年前から吟社の同人になっていて、句会に参加すべきだったのだが所用で参加できず投句だけで参加した。

 事前投句の課題は「もっこす」と「がまだす」で、かなり個性の強い方言だった。

 当地には五・七・五の、上の句に「笠」と呼ばれる出題の方言を入れ込んで詠む「肥後狂句」というものがある。

 それとの兼ね合いに若干気を使ったが、取り敢えず各題に2句づつ投句した。

 弘前と熊本という日本の南北端の、しかも文化的にもわりと個性のある両地域が川柳を通じて楽しくお付き合いが出来れば、まことに愉快な話ではある。

 では、投句した一句から・・・・。

 「モッコスの親に似ぬ子の社交的」

 
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柚子を召しませ

2016-12-20 18:41:58 | 日常あれこれ
 一昨日は妙な行き掛かりから墓参の道案内をすることになった。

 地震で全壊したお墓は、つい先日再建したばかりで、我が家以外での墓参者は初めてである。

 それらが終わって、やれやれ帰ろうかと相方の実家の山を車窓から見上げたらミカンの木が一本あって、沢山実をつけているのが見えた。

 
 (みかん)
 品種はよく知らないが、グレープフルーツくらいの大きさで採った後少し時期をおいて食べ頃を探る感じらしい。

 試しに2~3個採って、更に奥を覗くと柚子が2本あってこれまた沢山実を付けている。

 
 (柚子)
 12月21日は冬至だから、ゆず湯にはGoodタイミングではないか。

 そこで、道具をもって明日出直すことにして一旦引き上げたのだ。

 翌日、高枝切りバサミを持参し、沢山採る予定で袋を幾つももって家を出た。

 しかし、2袋ばかり採ったところで相方が音を上げた。

 こんなに採ってどうしよう?・・・などと今頃気がついたかのように・・・。

 
 (収穫した柚子)
 取り敢えず近所の人や、習い事で一緒になる皆さんに冬至に間に合うように配ろうということになった。

 一袋はそこで配分が完了したので、残りの一袋は明日の冬至に高齢者等の施設に持って行くことにした。

 昨日配った一袋の反応は上々だったそうで、明日もかなり期待出来るのではないかと思っている。

 風呂にも良いが、熱いお湯と蜂蜜でいただくとこれはこれで結構な飲み物にもなるのだ。

 「風流というも楽しき柚子の風呂」

 
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大豆の収穫とカラスの取り合わせ

2016-12-19 14:15:33 | 熊本地震
 稲刈りが終わった後の稲の切り株から青い芽が伸びるような季節になってしまった。

 一割減反とか割り当てられて転作を余儀なくされたり、休耕田になってしまう田んぼも去年までは普通に見られた。

 今年は地震で用水路が被害を受け、かろうじて水が引けて稲作が出来た田んぼ以外は休耕か転作かを自然に強要された。

 転作の大部分は大豆が占めていたように思う。

 殆どは葉っぱも落ちて茶色になってただ立っている大豆はいつどのように収穫するのだろうかとちょっと気になっていた。

 田んぼ沿いの歩きコースを歩いていてついに収穫の現場に遭遇した。

 
 (大豆収穫中のコンバイン)
 この辺りではかなり珍しい大型のコンバインで大豆の収穫が行われていた。

 豆はある程度貯まったところで、農道脇に駐めてあるトラックに積み込んでいるのだろう。

 コンバインでの収穫は稲の場合は毎年お馴染みだったし、収穫にあわせて現れる鳥もお馴染みのサギだった。

 
 (稲の収穫に付き合っている白サギ)
 米が欲しいわけではなくて、作業に伴って飛び跳ねたりチョロチョロと顔を出す昆虫などが目当てなのだ。

 それでは豆の収穫には何が付き合っているのかとよくよく眺めると黒い鳥が見えた。

 
 (待機中のカラス)
 そう言えば「権兵衛が種蒔きゃカラスがほじる」っていう言葉通り、ちゃんと豆つながりでカラスが来ているのに驚いた。

 カラスのことだからきっと目的は昆虫などの副次的な物ではなく、ズバリ豆が目的なのではあるまいか。

 例年の何倍もの作付け面積を占めている今年の大豆の収穫日は、カラスにとっても絶好の収穫日和というわけだろう。

 
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夜桜と手帳と忘年会と

2016-12-18 19:57:52 | 日記
 今日のブログは、何が主題かは判らない内容になる可能性があるが、恐れずに続行してみよう。

 忘年会シーズンで、あれこれと各種団体や会社など関わりが多いと何度も参加することになる。

 今年は「泣いて馬謖を斬る」ではないが、忘年会の断捨離をしてみたら結構楽になった。

 理由がそれらしければ、他人は本人が気にするほどに気にはしていないのだ。

 さて、今年も残り少なくなって来たが来年の手帳を準備する必要に迫られた。

 そこで忘年会と好みの手帳を去年購入した本屋に今年も買いに行くことに決めた。

 
 地震で大被害を受けて、他所の本屋がわりと早く再開出来たのにこの本屋はやっと最近再開出来た店である。

 書店の入口に剽軽な顔の「カッパ」が鎮座していて、その理由は覚えていたのだがもう忘れてしまった。

 取り敢えず学生などに人気があって、カッパの前の水槽や台の上には沢山の硬貨が沈んだり置かれたりしている。

 多分受検や勉強に願を掛けているのだろう。

 結構な事だ。最終的に日本人なら神頼み、カッパに頼んだって悪い事があるものか。

 今回の目的の一つに夜桜を撮すことがあったことを付け加える。

 
 今頃夜桜かとビックリしたが地元の新聞に場所も明記されていたので、早めに家を出ていたのだ。

 ところがディスニーのキャラクターによるパレードがあったあおりで交通が混雑し忘年会が終わっての撮影になった。

 
 冬に桜はないだろうと思ったのだが、「冬桜」という品種があるそうで遠景で「熊本城」も撮込むことが出来るポイント。

 「手帳」と「夜桜」という二つの目的を達成し、三つ目の忘年会の酒に心地よく酔って家路についた。

 
 去年の手帳より少し大きめのサイズにしてユッタリ書くぞと、ほくそ笑んで帰って比べてみたら、まったく同じ大きさだった。

 おまけにメーカーまで同じで、ほんわかチェック柄までソックリだった。

 もう二度と同じ過ちをくり返しませんから、などと言いながら何度でも同じ失敗をくり返すのも人間なのだ。

 しかし、まあ三つの目的を同時に達成したことだけでも上首尾な年の暮れだと思っている。

 
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年の暮れの火災現場

2016-12-17 09:58:57 | 日記
 昨日の昼間に、サイレンの音と「火災発生」を知らせる防災行政無線の放送がほぼ同時に聞こえてきた。

 放送されている火災発生の地域は我が町内だったので慌てて2階の窓から辺りを見回した。

 

 西の方向の窓から煙が立ちのぼっているのが見えた。

 手前の建物は町の健康福祉センターだからその先だろうが、こうした煙や花火などは実際の場所とは異なって見えたりする。

 しばらくすると、煙の色が白っぽくなり量もだんだん少なくなって鎮火をした様子だった。

 時間的にも短かったし被害は特定の場所に局限されただろうと思った。

 今朝は特段の寒さで、遠くの山の頂上付近には初雪が積もっているのが見えた。

 

 こんな師走の寒空に、火事によって自宅を焼け出された人は塗炭の苦しみを味わうことになる。

 夕方近くになって、いつものコースを一部変更して我が家から見た煙の上がった方向を歩いてみた。

 

 健康福祉センターや西側の町営住宅周辺には、数台の消防車と救急車が止まっていて現場はここであることが判った。

 少し焦げた北側の階段の出口からブルーシートで目隠しされながら救急車に搬送されている様子が見えた。

 建物の南側に回ると北側とは状況が一変して、炎や煙が上部の階へベランダ越しに立ちのぼったことを覗わせた。

 

 健康福祉センターの駐車場や入口付近には何人かの人々が座り込んで建物を見上げながら話し込んでいた。

 当時の状況を質問する声と答えている男性の声が聞こえてきた。

 寒空の悲哀は出火した当事者ばかりでなく、回りの家族も味合うことになってしまったということだ。

 今朝の新聞を見ると、昨日の火災の記事が掲載されていて、出火した一人住まいの76歳の男性は死亡したとあった。

 出火の原因も、直接の死因も記事のどこにも見当たらなかった。
 
 
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年賀状作成あれこれ

2016-12-16 09:56:22 | 熊本地震
 昨日から年賀状の受付が始まったようだ。

 25日までに投函すると元日に配達されるそうだ。

 不思議なものでそう言われ続けているうちに、25日までに出さないと駄目なような心境になってくる。

 喪中で失礼する旨の挨拶状が何枚もやって来て、まだまだハガキが来るかも等と先送りしていたが、日付などを聞くと締め切り恐怖症が頭をもたげてくるのでサッサと作ることにした。

 

 例年だと「謹賀新年」だの「賀正」だの「新年明けましておめでとう・・・」だのから始まる新年の挨拶を何の躊躇いもなく書いていた。

 今年は様変わりで未曾有の震災に遭遇した年ということもあり、相手によっては「お目出度くない」喪中以上の気分の人もいるかも知れない等と考えて、被災地用とそれ以外の地域に内容を変えて作成した。

 しかも、ややこしいのは「自分自身が被災地の真ん中に住んでいる」ということ、更に近所が全壊するほどだったのに一部損壊程度とか、多くの知り合いが仮設住宅などで生活しているのに我が家を補修して住んでいるとか、さんざん皆さんに心配をかけたわりには恵まれているという、重病でないのに沢山の見舞客が来て照れている入院患者といった風情に似た立場なのだ。

 文章も単純に「挨拶」とし、遠方の人や近くても心配して頂いた方には物心供の励ましに対する御礼の言葉を、近くで共に被災した方々には「慰め」と「復旧・復興」を祈念する旨の内容とした。

 更に個々の実情に応じた手書きを加えた。

 たかが年賀状、されど年賀状だと痛感させられてしまった今年の作成作業だった。

 

 丁度カーテンを開けようとしたら太陽が昇って来たところだった。

 2階の部屋からなら見慣れた風景だが、1階の日の出は初めてだったのでちょっと得した気分だ。

 隣家の工事が本格的になれば、シートが張られたり建物自体に遮られたりしておそらく見られないシーンである。

 年賀状の内容も、1階での朝日のシーンも、今年だけの期間限定の出来事になるのであろう。

 妙な感慨が湧き上がる今年の師走なのである。

 「解体の家無くなりて山近し」

 

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玄関に草花の緊急避難

2016-12-15 09:30:15 | 日記
 週間天気予報によると本日の昼頃から冬型の気圧配置が顕著になり冷え込んでくるようだ。

 一雨毎に寒くなるというのは春とは逆順であまり面白くはない。

 外の柵沿いに置いていたシンビジウムの花芽が伸びて、一部は咲き始めているのもある。

 一昨年は取り込む時期が遅れて寒さにやられてしまったので、今年も玄関に避難させることにした。

 クンシランは震度七で靴箱の上から二度も落下してボロボロになったが生きている強者だ。

 だたし葉っぱは先が枯れたりして、三分の一ほどに小さくなってしまった。

 
 (玄関に非難した草花の鉢)
 キリタンサスの鉢の中にはもう沢山の花芽が伸びていてやがて次々と咲き始め独特の香を漂わせる筈だ。

 例年スチールの枠にビニールを張った小さな簡易の温室を組み立てて寒さに弱そうな奴を避難させているが、今年は間に合わないというか、サボってしまった。

 危ないのは、今満開で隆盛を誇っている「ベゴニア」と、花芽をつけ始めたシャコバサボテン。

 今日は天気がイマイチなので取り敢えず明日以降に組み立てて見ようかと思っている。

 
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我が家の三大紅葉に指定する

2016-12-14 12:28:56 | 日常あれこれ
 今朝、新聞を取りに庭に出たらモミジの紅葉がいきなり目に飛び込んできた。

 我が家の庭始まって以来の鮮やかさだった。

 
 (庭の紅葉)
 先日UPしたときも紅葉していたのだが、どうせ今が盛りだろうくらいに思ってUPしたのだった。

 ところが今日の鮮やかさには意表を突かれた感じがした。

 相方も同じ感じを受けたらしく「知ってるかい?庭のモミジか素晴らしい紅葉になっていること」と洗濯物干しを終わって部屋に入るなり新発見といわんばかりにそう言った。

 先日UPしたとおり、これは特徴のある文様をした小さい葉が青々と茂るところがいいといわれる品種のモミジである。

 したがって青い葉っぱの先が茶色に変色しつつ、やがては茶色のまま初冬には落ちてしまう。

 ところが今年は汚くなった葉をむしり取ってしまったら新しい葉が出てきてここ二・三日の冷え込みで鮮やかに紅葉した。

 来年からは今年の方式を採用しようと思っている。

 紅葉狩りも運動公園どまりだったが、我が庭でも結構紅葉が見られたのでよしとする。

 
 (花梨の紅葉)
 
 (ハゼの紅葉)
 以上、二つの紅葉を加えて、今年の「我が家三大紅葉」に指定することにしよう。

 「朝霧の白きを照らす深紅葉」

 
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基礎工事のドスンドスン

2016-12-13 09:35:18 | 日記
 東側の隣家で始まった新築工事は、境界ブロックの設置を完了して、基礎部分の地中に杭を打ち込む作業を始めた。

 専用の作業車で、直径5~6cm長さ10m程の鋼製パイプ状のものを、地中に打ち込む(押し込む)作業である。

 境界ブロックの作業を見ていた相方が、現場の責任者に「基礎の杭打ちをするときは、ドカンドカンと叩くの止めて、ねじ込みみたいな方法でやって貰えるといいけど、家中ガタガタ揺れるから・・・」と意見具申をしたそうな。

 すると現場責任者が「私達は境界のブロック設置が仕事で、基礎工事は別の会社ですから・・・」と答えたそうな。

 で、やってきたのがやや細身の小型の杭打ち作業車。

 
 (鋼製の杭を打ち込み中)
 少し音はするが実に静かで、モーターとチェーンで圧力をかけて杭をグイグイと押し込んでいく方式だった。

 以前、近所のアパート工事で、杭打ちの際にトスン・ドスンと強烈な音と振動で連日家が揺れたのとは大分違う。

 以外にスルスルと挿入されていく状況を見ながら、多分岩盤までは届いていないし効果はあるのかな等と大家に代わって余計な心配をしてみる。

 建物の基礎の下になる部分に、それこそ何十本もの沢山の杭を押し込んだから、きっと全体で支えるのだろう。

 
 (境界ブロックと基礎の杭打ち跡)
 境界ブロックは我が家との境の部分と、南隣の境の部分とのブロックの高さが中途半端な場所から違っているのが少々気になったが、きっと隣家同士で何らかの話し合いがあってのことだろう。

 建物の基礎になる部分には打ち込んだ杭の頭に何やら部品が付けられていて、地面の上で点点と光っている。

 かくして主たる問題の一つだったドスンドスンが、このまま収束してくれれば言う事は無い。

 
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新しい墓に骨を収めた

2016-12-12 09:43:22 | 熊本地震
 熊本地震で全壊してしまったお墓の建て替えがやっと完了して昨日は法要を執り行った。

 我が家の仏壇に一時避難の憂き目にあっていた先祖の骨も、やっと定位置に落ち着くことが出来るというわけだ。

 
 (完成した墓)
 とにかく「小型」で「シンプル」で「地震に強そうな構造」でしかもここが重点なのだが「価格が手頃」でという比較検討をして決定したものだ。

 地震の後死んだ祖父母の夢を2度ほど見た。

 遺骨が我が家に引っ越してきたために、脳のどこかにインプットされた意識の発露だったのだろう。

 特に法要をする当日の朝の夢はとてもリアルで、車など運転した事も無い祖父が祖母を車に乗せて現れ「後ろから付いてくるときは車間距離を詰めすぎるな」と言って、我が夫婦が乗った車の前を出発しようとするところで目が覚めたのだ。

 思えば骨壺をいくつも仏壇に並べた時は違和感を感じたが、9ヶ月間毎日手を合わせているうちにそれが自然になってしまって、お墓に戻すことに一抹の寂しさを覚えている自分に気がついた。

 相方も同じ感慨があったようで、「墓の中は寒いだろうね」とぽつり。

 地震の場合や隣家が倒壊して我が家に被害が及んだ場合の対策として、骨壺はすべて一つ一つに緩衝材で保護していたのだが、その緩衝材を活用して耐震と防寒の真似事をすることにした。

 思えば地震の頃は新緑が目立つ頃だった。

 
 庭の青鴫立というモミジも若葉が芽だったころだった。

 
 青のまま枯れた葉っぱだったので、葉を落としたら再び9月頃から葉が出始め12月の今頃紅葉している。

 多分こういう特質をもつモミジなのだろう。

 季節の移ろいとともに、非日常の状態であった仏壇回りもまた一つ日常に戻った。

 「人生を生かされ生きて仕舞風呂」

 
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