昨日から年賀状の受付が始まったようだ。
25日までに投函すると元日に配達されるそうだ。
不思議なものでそう言われ続けているうちに、25日までに出さないと駄目なような心境になってくる。
喪中で失礼する旨の挨拶状が何枚もやって来て、まだまだハガキが来るかも等と先送りしていたが、日付などを聞くと締め切り恐怖症が頭をもたげてくるのでサッサと作ることにした。
例年だと「謹賀新年」だの「賀正」だの「新年明けましておめでとう・・・」だのから始まる新年の挨拶を何の躊躇いもなく書いていた。
今年は様変わりで未曾有の震災に遭遇した年ということもあり、相手によっては「お目出度くない」喪中以上の気分の人もいるかも知れない等と考えて、被災地用とそれ以外の地域に内容を変えて作成した。
しかも、ややこしいのは「自分自身が被災地の真ん中に住んでいる」ということ、更に近所が全壊するほどだったのに一部損壊程度とか、多くの知り合いが仮設住宅などで生活しているのに我が家を補修して住んでいるとか、さんざん皆さんに心配をかけたわりには恵まれているという、重病でないのに沢山の見舞客が来て照れている入院患者といった風情に似た立場なのだ。
文章も単純に「挨拶」とし、遠方の人や近くても心配して頂いた方には物心供の励ましに対する御礼の言葉を、近くで共に被災した方々には「慰め」と「復旧・復興」を祈念する旨の内容とした。
更に個々の実情に応じた手書きを加えた。
たかが年賀状、されど年賀状だと痛感させられてしまった今年の作成作業だった。
丁度カーテンを開けようとしたら太陽が昇って来たところだった。
2階の部屋からなら見慣れた風景だが、1階の日の出は初めてだったのでちょっと得した気分だ。
隣家の工事が本格的になれば、シートが張られたり建物自体に遮られたりしておそらく見られないシーンである。
年賀状の内容も、1階での朝日のシーンも、今年だけの期間限定の出来事になるのであろう。
妙な感慨が湧き上がる今年の師走なのである。
「解体の家無くなりて山近し」
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25日までに投函すると元日に配達されるそうだ。
不思議なものでそう言われ続けているうちに、25日までに出さないと駄目なような心境になってくる。
喪中で失礼する旨の挨拶状が何枚もやって来て、まだまだハガキが来るかも等と先送りしていたが、日付などを聞くと締め切り恐怖症が頭をもたげてくるのでサッサと作ることにした。
例年だと「謹賀新年」だの「賀正」だの「新年明けましておめでとう・・・」だのから始まる新年の挨拶を何の躊躇いもなく書いていた。
今年は様変わりで未曾有の震災に遭遇した年ということもあり、相手によっては「お目出度くない」喪中以上の気分の人もいるかも知れない等と考えて、被災地用とそれ以外の地域に内容を変えて作成した。
しかも、ややこしいのは「自分自身が被災地の真ん中に住んでいる」ということ、更に近所が全壊するほどだったのに一部損壊程度とか、多くの知り合いが仮設住宅などで生活しているのに我が家を補修して住んでいるとか、さんざん皆さんに心配をかけたわりには恵まれているという、重病でないのに沢山の見舞客が来て照れている入院患者といった風情に似た立場なのだ。
文章も単純に「挨拶」とし、遠方の人や近くても心配して頂いた方には物心供の励ましに対する御礼の言葉を、近くで共に被災した方々には「慰め」と「復旧・復興」を祈念する旨の内容とした。
更に個々の実情に応じた手書きを加えた。
たかが年賀状、されど年賀状だと痛感させられてしまった今年の作成作業だった。
丁度カーテンを開けようとしたら太陽が昇って来たところだった。
2階の部屋からなら見慣れた風景だが、1階の日の出は初めてだったのでちょっと得した気分だ。
隣家の工事が本格的になれば、シートが張られたり建物自体に遮られたりしておそらく見られないシーンである。
年賀状の内容も、1階での朝日のシーンも、今年だけの期間限定の出来事になるのであろう。
妙な感慨が湧き上がる今年の師走なのである。
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