(つづき)
14.「87番 国際センター循環線」
87番は、
【博多駅~呉服町~国際センター~対馬小路~天神~渡辺通1丁目~博多駅】
というルートを走っていたと思われる。
この時刻表の「石印は石城町経由天神方面」というのは、おそらく87番の末期ではないかと推測される。
「思われる」「推測される」という曖昧な表現からもわかるように、正直自信がない。
過去25年くらいの福岡都市圏のバス路線の変遷はだいたい頭に入っているつもりなのだが、87番が走っていた頃(おそらく12~15年前くらい)の記憶が曖昧なのである。
今から思うに、その頃はちょうど高校生から大学生になる時期で、それまでの生活が激変して、バス路線の変遷を記憶にとどめておく余裕が欠如していたのかもしれない。
ちょうど同時期には、桜ヶ丘地区から都市高速経由の路線がたくさん開設されたと思われるのだが、これについても詳細がよくわからない。
ノートか何かに継続的に記録を付けておけばよかったのだろうが、「メモったりしなくても大丈夫さ」という変な自信が、それをさせなかった…。
(つづく)
14.「87番 国際センター循環線」
87番は、
【博多駅~呉服町~国際センター~対馬小路~天神~渡辺通1丁目~博多駅】
というルートを走っていたと思われる。
この時刻表の「石印は石城町経由天神方面」というのは、おそらく87番の末期ではないかと推測される。
「思われる」「推測される」という曖昧な表現からもわかるように、正直自信がない。
過去25年くらいの福岡都市圏のバス路線の変遷はだいたい頭に入っているつもりなのだが、87番が走っていた頃(おそらく12~15年前くらい)の記憶が曖昧なのである。
今から思うに、その頃はちょうど高校生から大学生になる時期で、それまでの生活が激変して、バス路線の変遷を記憶にとどめておく余裕が欠如していたのかもしれない。
ちょうど同時期には、桜ヶ丘地区から都市高速経由の路線がたくさん開設されたと思われるのだが、これについても詳細がよくわからない。
ノートか何かに継続的に記録を付けておけばよかったのだろうが、「メモったりしなくても大丈夫さ」という変な自信が、それをさせなかった…。
(つづく)