(つづき)
趣のある名前を持つバス停を取り上げているこのシリーズ。
今回は福岡市東区の志賀島(しかのしま)にある「金印塚」である。
歴史の教科書にも出てくるあの「金印(漢委奴國王印)」が1784年に発掘された場所であり、以前取り上げた「防塁前」と同じく全国に通用する名前といえるだろう。
名前はメジャー級であるものの、ここを通る路線はどちらかといえばマイナーである。
以前は、「21番 志賀島線」が福岡市中心部まで走っていたが、「21番」は島の入口付近の「志賀島小学校前」までに短縮され、現在は、志賀島北部の「勝馬」と渡船場や駅のある西戸崎地区(海浜公園西口)を結ぶローカル線「1番」が細々と運行されている。
ただ、この「1番」も経営的に苦しいようで、11月からは福岡市の補助金が入るようになり、同時に子会社の西鉄バス宗像に移管されるらしい(11月に東部地区で大きな改正が行われる可能性もありそうな感じである)。
歴史を今に伝えるバス停はいつまで存続することができるだろうか…。
たとえ福岡市内であっても、採算がとれないものは今後どんどん切り捨てられていくとなれば、次は早良区の「曲渕」や「椎原」あたりがターゲットになってしまうのかな…?
(つづく)
趣のある名前を持つバス停を取り上げているこのシリーズ。
今回は福岡市東区の志賀島(しかのしま)にある「金印塚」である。
歴史の教科書にも出てくるあの「金印(漢委奴國王印)」が1784年に発掘された場所であり、以前取り上げた「防塁前」と同じく全国に通用する名前といえるだろう。
名前はメジャー級であるものの、ここを通る路線はどちらかといえばマイナーである。
以前は、「21番 志賀島線」が福岡市中心部まで走っていたが、「21番」は島の入口付近の「志賀島小学校前」までに短縮され、現在は、志賀島北部の「勝馬」と渡船場や駅のある西戸崎地区(海浜公園西口)を結ぶローカル線「1番」が細々と運行されている。
ただ、この「1番」も経営的に苦しいようで、11月からは福岡市の補助金が入るようになり、同時に子会社の西鉄バス宗像に移管されるらしい(11月に東部地区で大きな改正が行われる可能性もありそうな感じである)。
歴史を今に伝えるバス停はいつまで存続することができるだろうか…。
たとえ福岡市内であっても、採算がとれないものは今後どんどん切り捨てられていくとなれば、次は早良区の「曲渕」や「椎原」あたりがターゲットになってしまうのかな…?
(つづく)
天神から国民休暇村までだったので、1時間20分くらいかかった記憶があります。
で、自分が昔気になったのは、30年くらい前の福岡市の地図を見ると、志賀島は西海岸周りでなく、東海岸周りでした。
私の記憶もあやふやなのですが、昔は海水浴シーズンに限り志賀島の外周道路が一方通行だったような気がします。
東周りというのはその関係かもしれません。
交通規制の看板がおぼろげに頭の中に残っているだけなので、かなり不確実ですが…。
せっかくの観光資源を地元が活かせていないのは残念です。
志賀の島ローカルは宗像支社に委託とは…。先行きが不安ですね。
金印はたしか市の博物館だったと思います。
市の方の名刺に金印のデザインが入っていることも多く、ある意味福岡市のシンボルとも言えそうなものですが、そういう観点で志賀島を訪れる観光客というのはあまり多くはなさそうですよね。
まあ、今ぐらいひっそりしていたほうがよいという見方もできるかもしれませんが…。
やはり一方通行だったのですね!
ということは、弘あたりの集落に住んでいる人は、休暇村まで下りに乗って、そこから上りに乗り換え…、不便極まりなかったでしょうね。
情報ありがとうございました。