(つづき)
久々にマスコミ関係の話。
元KBCアナウンサーで、CROSS FMの開局に尽力され、現在はLOVE FMにてご活躍中の松井伸一さんが語る、CROSS FM開局前後の貴重な話です。
2018年9月1日に放送された「cross fm 25th ANNIVERSARY SPECIAL THANK YOU FOR THE MUSIC 第4部」より。
リアルタイムで聞いていて、とても興味深いお話だったので、慌てて手書きで書き留めていたものをテキストにしたものですが、途中から、書き起こしではなく要約になります(笑)。
登場人物は以下の通り(敬称略)。
松:松井伸一 椎:椎葉ユウ 米:米谷奈津子
では、スタートです。
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椎:cross fm 25th ANNIVERSARY SPECIAL 、THANK YOU FOR THE MUSIC、第4部、椎葉ユウと
米:米谷奈津子がお送りしています
椎:えー、ちょっと僕Tシャツ1枚だったんですけども
米:ジャケット羽織りましたよ、椎葉さんが
椎:敬意を表してジャケット羽織りますよ
米:ね
椎:スペシャルゲストをスタジオにお迎えしております、まーぼくらの大先輩です
米:大先輩です
椎:福岡のラジオ業界のレジェンドってお呼びするの、ご本人は嫌がると思うんですが、えー、レジェンドアナウンサーと言っときます。松井伸一さんです、よろしくお願いします
松:よろしくお願いします。松井です、おはようございます
椎・米:おはようございます
松:まあ僕も開局にかかわったっていうこともありまして、ここでおめでとうございます、というのもなんか自分に言ってるような感じで
米:そっかー
松:でもひとまずおめでとうございます、ですよね、25thアニバーサリーか
椎:そうですよね。あのー、松井さんはもちろん僕が最初に子供の頃耳にしたのは、まあポップスのカウントダウン番組をAM局でね
米:そうですね、担当されてました長いこと
椎:KBCラジオでやられてて、KBCの方だったんですが、ふと気が付くとCROSS FMの開局にかかわってらっしゃって
松:そう、ちょうど定年が近づいて、えー、だいたいあの何人かはよそに出してしまうんですね、KBCはね
椎:(笑)
松:関連会社とかね
米:なるほどなるほど
松:そのタイミングでちょうどFM局が新しくできるというんでね、専務に呼ばれて、松井君、今度FM局ができるんだが君はそっちに行ってくれないか
米:ほー
松:内心、けっこうラッキーだったんですよね
椎:あー
松:だってまだ54才のときの僕というのは、一本ナレーションの仕事は、テレビのナレーションがあるくらいで、あとはもう多分ないだろうと、あと5年間どうやって過ごすんだとけっこう悩んでいて、でも自分の中では何かの形でラジオにかかわりたいと、喋る喋らないは別として
椎:はい
松:そこに話が来たんでね、すごいラッキーだと思って。それでおかげさまで、その流れで、なんか途中、本来はKBCの定年60才でいなくなるべきところをこの79才まで、えー、FMの世界でなんとなくこう仕事をさせてもらってるという、自分でも非常にラッキーな男と自負してますけどね
米:はー
椎:これでもー、すばらしい人事
米:もう、そのタイミング、絶妙なタイミングでしたね
椎:いやそのCROSS FMが開局するときに、音楽を大事にするFM局として開局しようっていうときに
米:はいはい
椎:福岡でラジオで音楽でずっとやってこられた松井さんに行っていただく、みたいな話になったっていうのは
松:ただねー、その専務が僕と音楽と結び付けた形で派遣したかどうかはよくわからないんですよ
椎:ハハハ、そうですか
松:僕のラジオの音楽番組なんか多分聴いてないような専務ですからね
米:えー、でもやっぱこうね、その、あるんですね、運命の出会いみたいなものが
松:うーん、運命の出会いなんですよ。途中、今日ここに至るまでもね、いくつもそういうのがあって
米:へー
松:ただまあ、引き受けたものの、要するに新局を立ち上げるわけだから白紙でしょ
椎:はい
松:白紙を渡されて、いや俺はアナウンサーしかやったことないし、編成も営業もわからんばいということで
椎:えー
米:はい
松:苦労したとは言いませんけど、いろんな人に助けてもらって、ま、なんとか立ち上げることができたということですねー
椎・米:うん
松:ほんとに何も知らなくて、相当恥かきましたね
米:そうですか
松:ええ
米:私あのー、一番最初に松井さんにお会いしたのが、16才のときだったんですけど
椎:あらま
米:そのとき、あのKBCのアナウンスアカデミーっていうところがあって、そこ講師されてたんですよ
椎:ほうほうほうほう
米:で、1992年の1月から3月まで私は通ったんですけど、そのとき松井さんが、僕はね、あの北九州でちょっと新しい局の開局に立ち会うためにいろいろ準備のため出張が多いから、あの、半分くらい別の講師が来ます、って言われてたのが、そのCROSSの開局の準備の時期だったんですね
椎:うーん、ということは、米谷さんにとって松井伸一さんはすごいさぼる講師
米:ちーがーうー、ハハハ
松:そういうことですね、引き受けたものの途中からいなくなっちゃった
椎:ハハ、教え子みたいなもんですね、でもね
米:そう、でも松井さんは、あのー、放送ばっかり、ラジオばっかり聴くんじゃなくて、ほかのこともいろいろしなさいよって教えてくださったのをよく覚えてるんですけど、ちょうどあの頃だからCROSS FMの開局で大忙しでらしたんですよね
松:そう、あの、最初は、まあどんな会社になるのか全くもうわからないので
椎:ええ
松:開局準備室というのが八幡に、戸畑にできているので
椎:ええ
松:そこにしばらく通ってくれと
椎:あー
松:それが92年の秋口だったんですかね
米:へー
松:で、まあ毎週通ってたんですよ。でもこの週2回くらいじゃね、何もできないなと思って、それから毎日通うようにはなったんですけど。ただ、スタッフがいなくてね
椎:あー
松:あー、でもそのうちいろんな人が現れて
椎:ええ
松:手を差し伸べてくれて、なんとかタイムテーブル最終的に出来上がったんですけどね。冷や汗もんでしたね。僕はもう喋ることは一切考えてなかったんで
椎:ええ
米:はー
松:うーん、編成の人間として、この局では仕事をしようというのは最初っから思ってましたね
椎:その話うかがって僕ほんとうに思うんですけど、これ真面目な話、93年にCROSS FM開局
米:はい
椎:93年のそのタイミングって、93年の春に、学校の先生を辞しまして
米:椎葉さんねー、そうですか
椎:この世界に飛び込んだのがまさにその93年春で
松:そうでしたかー
椎:その次の秋が、93年の秋がCROSS FM開局で
米:はい
松:ふーん
椎:もし松井伸一さんが局を立ち上げてらっしゃるっていうことを僕が知ってたら
米:はい
椎:そっち行ってたかもしれない
松:えー、ふーん
米:へー
椎:ほんとまじめに思いますね、くらいあのー、ほんとに、子供の頃から松井さんの番組で
米:はいはい
椎:いろいろ特に洋楽のことは教わってきたんですね
米:はーそうですか、洋楽といえばだって福岡だと松井さんっていう
松:洋楽もねー、なんか福岡、盛り上がってた時代、たしかに70年代後半とか80年代前半ありますけど、でも実際のところは、まー高校生のクラス50人居て
米:はい
松:洋楽聴いてる子って2、3人しかいなかったんですね。当時でもね
米:そうですか
松:そんなもんだけども、70年代後半80年代前半までは毎月2、3本洋楽のライブがねー
椎:うーん、そうですねー
松:行われてたという、そういう面で活気がありましたね。洋楽のアーティストがたくさん来たという意味では
椎:九電記念体育館とかね
米:はいはい
椎:えースポーツセンターとかにね、いろんなアーティストが来てましたよね。ま、もちろん市民会館とかにも来てましたけど、まあそういう時代を経て、今のお話でいうと92年から出向されて立ち上げに
松:はい
椎:で、もうすごい覚えてるのが、あのテレビCMが
松:あ、覚えてらっしゃいますか
椎:CROSS FM開局のテレビCMが流れたじゃないですか
米:あー
椎:あれとかも、やっぱり松井さんのアイディアでらっしゃるんですか
松:まあ僕だけではないですけど、まず、その新しい局だと知ってもらわなきゃいけないので、認知してもらうために何をやればいいのかなーと思って
椎:ええ
松:テレビCMの話もありましたけど、僕は、あのーじゃ一気にとりあえず知名度を上げたいと思って
椎:ええ
米:はい
松:KBCテレビのドォーモの生中継を開局の時間に合わせて
椎:あー
松:中継をしてもらったんですよ
椎:あー、ありましたね
米:ほー、中継はすごいですね
松:当時はーまだ、FAXの時代ですから、FAXと電話か
米:そうですね、はい
松:だからあのー、驚くべき数、すごいFAXが来たんでびっくりしたんですけど、まーこれで少し認知が、まだ開局したてというのには、結構みんなに知られて、知ってくれたかなあと、それとー、テレビCMと、2本立てかな。ただあれですよねー、まだ自分とこのその電波は試験電波なので
椎:ええ
松:そこでなんかそういう告知たしかできなかったんですよね、こういうふうにやりますよとかね
椎:あー、そうですね
松:それをどうやって知らせるか、こういう番組で生中継やりますよ、とかっていうのはあんまり事前には広報できなかったりとか
米:へー
松:うーん、あとはー、コミュニケーションネームというやつですかね
椎:えーえーえー
松:もともとはエフエム九州株式会社ですから
椎・米:はい
松:これをまあJ-WAVEとかFM802みたいな、そういう名前をやっぱり付けなきゃまずいだろうと
米:おー
松:で、公募したんですよ、一般公募
椎:それ覚えてます、一般公募したんですよね
米:へー
椎:CROSS FMという名前決めるのに
米:一般公募だったんですかー
松:そうなんですよ、で、いくつかね、そん中から選んで、最終的に、ま、10個くらい残って
椎:ええ
米:はい
松:で、それを商標登録、チェックしてもらったんですよね
椎:ほうほうほう
松:ほとんど全部引っかかって使えなかったんですよ
米:あらま
椎:へー
松:だから、まあ言っちゃなんですけど残ったのがCROSSしかなかったみたいな
椎・米:ハハハハ
米:へー
椎:いや、そんなもんですね、でもね
米:わー
椎:運命的というか
松:いや、そうですねー、積極的に決めた名前ではなかったような
椎:ハハハ
米:まあでも、福がありましたね、残りものには
椎:それでも、こうあのー商標登録でバツになった他のやつ聞いてみたい
米:聞いてみたい
松:賢い人がいるんですよね、FM局が新たに開局したときのために自分で勝手に名前を登録する人がね
椎:あー、そっか
米:そういうこともあったんですか
椎:実際の局の名前になってないのに登録だけしてるっていう
松:これはどうかなーっていうと、これはもう登録済みです
米:へー
椎:えー、ちょっとですね、話が終わらないんですけども
米:終わらないです。
椎:かなりこう貴重な話が
米:面白い
椎:えー、いっぱい出てきますけども、まあね、さっきも言いましたけどもやっぱ松井さんは昔話より今のお話というかこれからのお話もうかがいたいですし、引き続き松井さんにはね、えー、居ていただいていろいろお話うかがいたいですが、ここで一曲、その今お話出たテレビCM、CROSS FM開局のときのテレビCM、もうよく覚えてます、すごいポップだなーと思って
米:ふーん
椎:それまでの福岡の局にはないポップさだなと思って
米:はい
椎:衝撃を受けつつ、ショックも受けつつ
米:ほうほうほうほう
椎:そういうね、ライバル局に居たので僕は、っていうのをすごく覚えてるんです。
米:なるほどなるほど
椎:曲もね、当時はやりのアシッドジャズ
松:これたしかですね、僕の記憶では、これ、曲を選んだのはCROSSのこれから一緒にやる仲間の一人が一緒に選んだんですけど
椎:えー
米:はい
松:その時点で結構FM福岡さんはこの楽曲をすごく推してたはずなんですよ
椎:はい
米:ほー
松:別途。なので、結構クレームついたみたいですよ、レコード会社に、使わせるな、みたいな
椎:ハハハ
米:やっぱ、いろいろあったんだなー
椎:そこについてわたくしノーコメント
松:ハハハ
椎:私は言ってませんよ、じゃ、曲、曲だ
米:お送りしましょうか
椎:CROSS FMのテレビCMでBGMとして使われていた曲、じゃあ松井さんに紹介お願いしてよろしいですか
松:はーい、こういう楽曲が今はあの先端なんだなっていうんで、しばらく僕その時代はラジオ離れていたんで、非常に新鮮に、僕も受け取りました、Tukka Yoot's Riddim、US3
~その後に展開されたお話の抜粋~
■ 開局の日、シーナ&ザ・ロケッツにライブをしてもらった。ゲストの対応がわからず、ギャラはキャッシュで支払った。
■ 開局の93年は冷夏だった。
■ ミュージシャンが喋る番組について。JUDY AND MARYのYUKIさんは毎週生で、福岡に通ってくれたがすぐにブレイクしてスケジュール合わなくなり、半年で辞めざるを得なかった。椎名林檎も同じような状況。男性では平井堅さん、5年くらいブレイクしない時期も我慢して番組を担当していただいた。
■ かつて番組を担当していた板谷由夏の話から、平日昼を担当していた博多華丸(当時は鶴屋華丸)、日曜夜を担当していたおたこプーと3人でSOUTH END + YUKAとしてリリースした「SO.TA.I」(DA.YO.NEの博多弁版)がかかる。
■ テレビをやってると、知名度は上がる。街で声をかけられるけどそれで終わり。ラジオでは、50年近いおつき合いをしてるリスナーが何人もいる。
■ AMをやっていた当時は、情報の面で放送局に少し優位性があった。今は情報が増えて、立ち位置が変わってきている。
■ 局のコンセプトとして、ある人が、福岡はアジアの玄関口だからアジアの音楽に目を向けなさい、と忠告してくれて、当初はアジアに向いてるステーションとしてイメージ付けたかったようだが、局としてそれをコンセプトの一つとして掲げていいか疑問で、久保田麻琴さんに聞いたら、おやめなさい、アジアはまだ当分無理です、と言われて、アジアアジアと言わなくなった。
■ CROSS FM初の主催イベントは上々颱風のライブ。ノウハウなかったのでイベンターに協力お願いしたら、何を考えてるんだと散々言われた。イベントはイムズホール超満員の大成功で黒字が出たが、そのイベンターからはお礼を言われていない。
■ 米谷さんの宮崎時代の先輩でもあるDJ POCKYさんが加わり、佐藤竹善さんと電話トーク。
■ レポーターのsubaru(穂高すなお)がLOVE FMのスタジオにおじゃまして同時生放送(LOVE FMの番組は、佐藤ともやすさんのNATURAL DRIVIN')。なお、開局25周年特番全体では、他にもRKB、KBC、FM福岡への潜入が試みられ、FM福岡以外の局で同時生放送が実現。
■ 4人の平均年齢は58.25才。by 米谷さん
■ 松井さんの家のタンスから出てきた開局のときのTシャツ2種類をリスナープレゼント。
~最後に、松井さんのお話~
「ラジオというメディアがこのままの形で残るのかよくわからないので、新しいメディアにはなかなかついていけないけども、それで僕なんかが考えるのは、やっぱそのとりあえず原点に一回戻るかみたいな、要は一対一のメディアですからね、他のメディアと違って」
「ラジオ聴いてる人は一緒に集合して何人かで聴くっていうのは今はもうなくて、一人対一人で、だから以前電話リクエストっていう番組が一番人気で、電リクギャルっていうのがね、スタジオにずらっと並んでスタンバイしていて、で、そういった人たちとリスナーさんとのやりとりがあって、そん中から何人かが番組に出演してもらうとか、ただ今はね、ラジオは聴いていただいてるけれども、別に出たいとは思わねーよって人のほうが多いのかなって思うんで、それを引き込む何か新しい魅力のある番組づくりっていうかねー、っていうのがあるのかなーと、うーん、こうしたいというのは今のところ僕にはアイディアが何もないんですよ」
「ラジオ、FMのいわゆる市場調査みたいなものやると、何年も前からそうなんですけど、どんな番組を希望しますかっていうと、お喋りの少ない音楽中心の番組って言う、でもそういう番組は、実は調べてみると聴取率的には別によくないという、そこ難しいなと、毎度、トーク中心の番組のほうが福岡の場合はやっぱり人気あるんですよ」
「ひと頃は、ラジオを聴く習慣がほぼ若者にはなかったのに、今はスマホでどのくらい、その戻ってきたというか、ラジオちょっと聞いてみようかっていう人たちが増えてはいるんですよね、そこが頼りですよね」
「平均年齢の話、出てましたけどね、まあぼくは55、6年くらいやってることになってるんですけど、ただ、どんな場合も懐メロ的な番組はやりたくない、というのがあってですねぇ、何か未来っていうか将来がちょっとでも見えるような形で、まあ昔の曲は当然今のアーティストの活動の中からかかったりはするんですけど、それはそれで別にその昔を懐かしがってかけているわけではない、みたいな、今の時代を伝えるための、まあ一つのネタとして使うことが多いですね」
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こういうご時世だからこそ、ラジオに耳を傾けてみていただければと。
(つづく)
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