(つづき)
・小ネタ2
冒頭の画像の通り、「22N」と香椎ローカル「1番」にも微修正が。
その他の改正告知の一部。
福岡タワー南口(TNC放送会館前)から出る「4番」は昭和通りから明治通りに移行し、「6-1番」の中央ふ頭行きはなくなる。
タワーから出る「3番」は、星の原団地を複乗することはない。
現在「名子」と書かれている部分が「みどり丘団地」に変わるものの、そのバスは「みどりが丘団地」には行かないという状況が間もなく発生する。
改正までに何らかの手は打たれるでしょうか。
「2番特快」の停車停留所追加については、都市高502さんも書かれています。
また、「206番」の三陽高校経由西陵高校行きに関して、“「三陽高校前」を「降車のみ」の取り扱いとする”という変更も行われ、当初その意図がよくわからなかったのだが、その記事を読むとわかります。
「4番」の乗り場変更のお知らせ。
現在、「21番」「25番」「25-1番」が走る「石城町~築港口~千鳥橋間」に新たに「4番」も仲間入りすることになる。
このあたりには各種専門学校が集積しているため、天神方面とのアクセス向上という点では意味がありそうだ。
なお、「21番」はもともと石堂大橋経由であり、かつては「29番」が博多駅から石城町を通って香椎方面に向かっていたが、県庁が東公園に移るにあたり「29番」が県庁経由になったことから、その代替手段として「21番」が石城町経由になった…という記憶がある。
ここからはさらにどうでもいい話。
現在この区間を走る「21番」と「25番」は、どちらも「石城町」と「築港口」を通るのだが、「21番」は「石城町経由」という表現であるのに対し、「25番」では「築港口経由」という表現が用いられることが多い。
「21番」は石城町よりも都心側で大博通りを博多駅方面に向かい蔵本から昭和通り経由で天神に向かうのに対し、「25番」は博多ふ頭入口、対馬小路を通り天神に北から入る。
よって、「25番」の「築港口」には、「博多ふ頭入口」のあたりまで含めた“築港地区”のニュアンスが含まれており(かつての「85番 福博循環線」では、経由地として「築港」の表記が用いられていた)、「築港口」は通るものの“築港地区”を横断的に通る訳ではない「21番」にはピンポイントの「石城町」が用いられるようになったと解釈できる(実際にそういう意味で表現を使い分けているかどうかは別として、あくまで「そう解釈できるのでは?」という話です)。
このお知らせで「石城町」が用いられているのにもそんな深い意味が…ないですかね?。
(つづく)
・小ネタ2
冒頭の画像の通り、「22N」と香椎ローカル「1番」にも微修正が。
その他の改正告知の一部。
福岡タワー南口(TNC放送会館前)から出る「4番」は昭和通りから明治通りに移行し、「6-1番」の中央ふ頭行きはなくなる。
タワーから出る「3番」は、星の原団地を複乗することはない。
現在「名子」と書かれている部分が「みどり丘団地」に変わるものの、そのバスは「みどりが丘団地」には行かないという状況が間もなく発生する。
改正までに何らかの手は打たれるでしょうか。
「2番特快」の停車停留所追加については、都市高502さんも書かれています。
また、「206番」の三陽高校経由西陵高校行きに関して、“「三陽高校前」を「降車のみ」の取り扱いとする”という変更も行われ、当初その意図がよくわからなかったのだが、その記事を読むとわかります。
「4番」の乗り場変更のお知らせ。
現在、「21番」「25番」「25-1番」が走る「石城町~築港口~千鳥橋間」に新たに「4番」も仲間入りすることになる。
このあたりには各種専門学校が集積しているため、天神方面とのアクセス向上という点では意味がありそうだ。
なお、「21番」はもともと石堂大橋経由であり、かつては「29番」が博多駅から石城町を通って香椎方面に向かっていたが、県庁が東公園に移るにあたり「29番」が県庁経由になったことから、その代替手段として「21番」が石城町経由になった…という記憶がある。
ここからはさらにどうでもいい話。
現在この区間を走る「21番」と「25番」は、どちらも「石城町」と「築港口」を通るのだが、「21番」は「石城町経由」という表現であるのに対し、「25番」では「築港口経由」という表現が用いられることが多い。
「21番」は石城町よりも都心側で大博通りを博多駅方面に向かい蔵本から昭和通り経由で天神に向かうのに対し、「25番」は博多ふ頭入口、対馬小路を通り天神に北から入る。
よって、「25番」の「築港口」には、「博多ふ頭入口」のあたりまで含めた“築港地区”のニュアンスが含まれており(かつての「85番 福博循環線」では、経由地として「築港」の表記が用いられていた)、「築港口」は通るものの“築港地区”を横断的に通る訳ではない「21番」にはピンポイントの「石城町」が用いられるようになったと解釈できる(実際にそういう意味で表現を使い分けているかどうかは別として、あくまで「そう解釈できるのでは?」という話です)。
このお知らせで「石城町」が用いられているのにもそんな深い意味が…ないですかね?。
(つづく)
市内電車(市電)の記憶になりますが、天神から須崎橋、石城町、千鳥橋までの区間を走る電車の経由地を表すのに、方向幕の行き先表示などあらゆる場面で、「築港経由」とか「築港廻り」という表現がなされていました。8番、16番、25番など。貫線、城南線廃止後の無番時代も。
今の「築港口」バス停の位置にあったのが、「博多築港前」電停です。築港そのものまで少し距離があるのに、現在のバスと違って「…築港前」となっているのは、「西公園」と同じように、現在のバスに比べて路線が疎であったからでしょうか。
現在でも同じ区間を行くバスについては、「築港」というキーワードで表す習慣が残っているのではないでしょうか。
それに対して後からできた、蔵本から石城町を通る「(昔の)29番」は、「築港経由」の範疇からはずれ、バスが大きく右折する「石城町」を経由地として表示するようになったのではないでしょうか。
昭和50年頃の「西鉄時刻表」で、「29番」のページに、
「博多駅-(石城町経由)-香椎線」
と書かれていて、この(石城町経由)という記載に新鮮さを感じたのを憶えています。
25番が市電を引き継いでいることの証とも言えそうですね。
バスの行先表示がLED化され、いとも簡単に書き換えられてしまうことも十分あり得ますが、なんとか残ってほしいものです。
>今の「築港口」バス停の位置にあったのが、「博多築港前」電停です。築港そのものまで少し距離があるのに、現在のバスと違って「…築港前」となっているのは、「西公園」と同じように、現在のバスに比べて路線が疎であったからでしょうか。
なるほど。
「防塁前」が「防塁口」などに変わっていた可能性もあるのかもしれませんね。
一方、「動物園入口」(古小烏)については、市電の視点でみても、「前」と表現できる「限界値」を超えていた…ということでしょうか(動物園の入口が城南線にあったんでしたっけ)。
「西公園」も「博多築港前」も電車の運行当初からその名称の電停であったはずです。したがって、「西公園」電停名称は福岡の電停名で最も古いものの一つということになります。もちろんその頃にはバスなんて走ってなかった。だから電停こそが交通機関の停留所として最も近く、躊躇することなくこの名称となったのです。
「動物園入口」電停は、昭和40年頃、それまでの「古小烏」電停から改称されました。この改称ははっきり憶えています。その頃、すでに動物園行きのバス(当時も56番であったかは不明)も走っていました。終点のバス停はもちろん「動物園前」ですから、さすがに、バス停2つ分以上も離れている電停を「動物園前」と名乗ることはできなかったのでしょう。だから「~入口」にした。
動物園から先の小笹団地方面に抜ける道は、道はありましたが、バス路線にはなっていませんでした。
もう一つ考えられること。
「西公園」も「築港」も、半ば地名、というか「地域名」として定着しているように思います。
-お住まいはどちらですか?
-西公園です。
というような会話が成り立つ、ということです。「西公園」も「築港」も、別に公園や港湾設備をピンポイントで指すだけでなく、もっと広い地域を漠然と示して使われていると思います。この点、「博多駅」や「九大前」も同様だと思います。
しかし、「動物園」や「動物園前」と言って、広く地域を指し示すという意識はないのではないでしょうか。
少なくとも「古小烏」からの改称の頃には、「動物園」という名称が広く地域を指す、という意識は働かなかった。
-住まいは、動物園です。
は、通常は成り立たなかったでしょうから。
最近の感覚はまた変わってきているかもしれませんし、今後も変わっていく可能性もありますね。
>「西公園」も「博多築港前」も電車の運行当初からその名称の電停であったはずです。したがって、「西公園」電停名称は福岡の電停名で最も古いものの一つということになります。もちろんその頃にはバスなんて走ってなかった。だから電停こそが交通機関の停留所として最も近く、躊躇することなくこの名称となったのです。
最近「西公園」バス停は「大濠公園」に変わりました。
市電が廃止になってから相当の年月が経ってからの改称でしたが、それだけ市電の記憶というものが人々の中にずっと残っていたということなのかもしれませんね。
そして、ついに改称が行われたということは、その記憶を持たない世代が、バス停名変更の権限を持つ時代になった…ということでしょうか。
>動物園から先の小笹団地方面に抜ける道は、道はありましたが、バス路線にはなっていませんでした。
動物園から小笹団地方面にバスが通るようになったのは、リアルタイムで記憶がありますので、おそらく30~35年前くらいと思われます。
>「西公園」も「築港」も、別に公園や港湾設備をピンポイントで指すだけでなく、もっと広い地域を漠然と示して使われていると思います。この点、「博多駅」や「九大前」も同様だと思います。
>しかし、「動物園」や「動物園前」と言って、広く地域を指し示すという意識はないのではないでしょうか。
>少なくとも「古小烏」からの改称の頃には、「動物園」という名称が広く地域を指す、という意識は働かなかった。
>最近の感覚はまた変わってきているかもしれませんし、今後も変わっていく可能性もありますね。
たしかに。
「九大前」は、もしかしたら「地域を示す」という性質は、薄れてきているかもしれません(「九大前」というバス停名自体の寿命も近付いてきている感もあります)。
「動物園」は、昔も今もピンポイントでしょうか。
>「築港口」と「築港前」についてですが、電車敷設時は埋め立てが今ほど進んでおらず、港湾自体がすぐそばにあり「口」と言うより、「前」でしっくりきていたものが、電車廃止でバスだけになるころには港湾設備は遥かかなたに有る感じで「口」でないとそぐわなくなったということでしょう。
>比較的最近まで、国際会議場の所は船溜まりがありましたが、このあたりが港湾設備の中心だったら「前」で良かったでしょう。
なるほど。
電車とバスの視点の差だけでなく、施設自体の「動き」もあったということですね。
>ピンポイントのバス停ではこうですが、千鳥橋~対馬小路を通るバスは「築港」経由という感覚なんとなくしっくりくると思いますね。
私も同感です。
ただ、「しっくりくる」のにも、世代間のギャップはあるのかもしれませんね。
「しっくりくる」人の割合が低くなっていけば、「築港口経由」という表現も使われなくなっていくのかもしれません。