(つづき)
「23番」大蔵行きの天神郵便局前(18A)バス停(昭和通り東行き)における側面の行先表示。
「既に昭和通り上に居るのだから、天神の時点で"昭和通"の表示は無駄なのでは?」ということを、これまで何度か書いた(全く不要だと言っている訳ではなく、「昭和通」の相対的なプライオリティは低いのでは?という意味です)。
その後いろいろと考えてみたのだが、この「23番」は石堂大橋の交差点まで昭和通りを完走するのに対し、「21番」は石城町経由のため蔵本交差点で昭和通りをドロップアウトする。
ということは、この「昭和通」という表示は「昭和通りを最後まで走り抜きますよ!」という「宣言」と捉えれば、適正であるような気もしている。
まあ、呉服町ランプから都市高速道路に乗る路線にも「昭和通」と表示しているものがあるので、かなり好意的な解釈ではあるけれど…。
「名島→香椎」間には、「22番」のルート(城浜団地・香椎浜海岸通り経由)とそれ以外のルート(国道3号直進)の2つがあるが、後者のほうは、「名島~香椎」間のバス停を経由地に表示することはない。
「特に何も書いていなければそのまま直進しますよ」という一種の「黙示」ないしは「暗示」を、利用者も自然に受け入れているということができる。
仮に途中の停留所「千早」などを入れてしまうと、「千早駅」などとも混同が起こり、逆に面倒なことにもなりそうである。
かつての「2番」次郎丸経由や、現在の「204番」野方行きにも共通する「行間を読み取らせる」パターンであるといえる。
「香椎→大蔵」間には、本来は「和白」を入れるとよいと思うのだが、香椎から産大南口、東部青果市場方面に向かうバスが全滅してしまった今となっては、形式的には「不要」なのかもしれない。
(つづく)
「23番」大蔵行きの天神郵便局前(18A)バス停(昭和通り東行き)における側面の行先表示。
「既に昭和通り上に居るのだから、天神の時点で"昭和通"の表示は無駄なのでは?」ということを、これまで何度か書いた(全く不要だと言っている訳ではなく、「昭和通」の相対的なプライオリティは低いのでは?という意味です)。
その後いろいろと考えてみたのだが、この「23番」は石堂大橋の交差点まで昭和通りを完走するのに対し、「21番」は石城町経由のため蔵本交差点で昭和通りをドロップアウトする。
ということは、この「昭和通」という表示は「昭和通りを最後まで走り抜きますよ!」という「宣言」と捉えれば、適正であるような気もしている。
まあ、呉服町ランプから都市高速道路に乗る路線にも「昭和通」と表示しているものがあるので、かなり好意的な解釈ではあるけれど…。
「名島→香椎」間には、「22番」のルート(城浜団地・香椎浜海岸通り経由)とそれ以外のルート(国道3号直進)の2つがあるが、後者のほうは、「名島~香椎」間のバス停を経由地に表示することはない。
「特に何も書いていなければそのまま直進しますよ」という一種の「黙示」ないしは「暗示」を、利用者も自然に受け入れているということができる。
仮に途中の停留所「千早」などを入れてしまうと、「千早駅」などとも混同が起こり、逆に面倒なことにもなりそうである。
かつての「2番」次郎丸経由や、現在の「204番」野方行きにも共通する「行間を読み取らせる」パターンであるといえる。
「香椎→大蔵」間には、本来は「和白」を入れるとよいと思うのだが、香椎から産大南口、東部青果市場方面に向かうバスが全滅してしまった今となっては、形式的には「不要」なのかもしれない。
(つづく)
(つづき)
一連の1996年5月1日の東部地区大改正シリーズ。
香椎台・みどりが丘地区、三苫駅・高美台地区、城浜団地・香椎浜及び下原地区、青葉・舞松原地区に続く5回目は、「赤間急行」である。
この改正の際に「特急 むなかた号」は廃止され、全て「急行」となった。
ただしその後、都心向けに限り「特急」が復活している。
またこのとき、日の里団地、東郷駅、宗像市役所経由の便も廃止されている。
手元にある昭和58年(1983年)6月当時(時点Ⅰとする)の時刻表では、天神バスセンター発赤間営業所行きが一日30本(その他の行先はなし)であった(平日の本数、以下同)。
昭和62年(1987年)6月当時(時点Ⅱとする)の時刻表では、天神→赤間が58本、博多駅→赤間が30本の合計88本となり、大幅に増えている(郊外部の終点は、依然赤間営業所のみ)。
そして、このチラシの時点(時点Ⅲとする)における天神発の本数は、
赤間営業所行き …31本(うち深夜バス1本)
自由ケ丘南三丁目行き …31本
広陵台児童公園行き …17本
千鳥パークタウン(舞の里)行き …12本
平山行き …2本
合計93本
となっている。
現在(時点Ⅳとする)は、
赤間営業所行き …50本(うち深夜バス1本)
自由ケ丘南三丁目行き …31本
広陵台児童公園行き …12本
日赤看護大学行き …13本(うち広陵台ショートカット4本)
千鳥パークタウン(舞の里)行き …1本
ここまでの合計107本
(以下、参考)
新宮・緑ケ浜行き …38本
大蔵行き …1本
となっており、Ⅰ~Ⅳの各時点間では、常に本数は増加を続け、郊外部の行先のバリエーションも多様化している。
今後はどういう展開をたどっていくのだろうか。
なお、赤間急行には、一時期、香椎浜ランプ~香椎経由の便や、福岡空港行きなどもあったらしい。
存在した時期は、Ⅰ~Ⅱ間、もしくは、Ⅱ~Ⅲ間と推測されるが、なぜか記憶が全くない。
ご存知の方、ぜひ教えてください。
(つづく)
一連の1996年5月1日の東部地区大改正シリーズ。
香椎台・みどりが丘地区、三苫駅・高美台地区、城浜団地・香椎浜及び下原地区、青葉・舞松原地区に続く5回目は、「赤間急行」である。
この改正の際に「特急 むなかた号」は廃止され、全て「急行」となった。
ただしその後、都心向けに限り「特急」が復活している。
またこのとき、日の里団地、東郷駅、宗像市役所経由の便も廃止されている。
手元にある昭和58年(1983年)6月当時(時点Ⅰとする)の時刻表では、天神バスセンター発赤間営業所行きが一日30本(その他の行先はなし)であった(平日の本数、以下同)。
昭和62年(1987年)6月当時(時点Ⅱとする)の時刻表では、天神→赤間が58本、博多駅→赤間が30本の合計88本となり、大幅に増えている(郊外部の終点は、依然赤間営業所のみ)。
そして、このチラシの時点(時点Ⅲとする)における天神発の本数は、
赤間営業所行き …31本(うち深夜バス1本)
自由ケ丘南三丁目行き …31本
広陵台児童公園行き …17本
千鳥パークタウン(舞の里)行き …12本
平山行き …2本
合計93本
となっている。
現在(時点Ⅳとする)は、
赤間営業所行き …50本(うち深夜バス1本)
自由ケ丘南三丁目行き …31本
広陵台児童公園行き …12本
日赤看護大学行き …13本(うち広陵台ショートカット4本)
千鳥パークタウン(舞の里)行き …1本
ここまでの合計107本
(以下、参考)
新宮・緑ケ浜行き …38本
大蔵行き …1本
となっており、Ⅰ~Ⅳの各時点間では、常に本数は増加を続け、郊外部の行先のバリエーションも多様化している。
今後はどういう展開をたどっていくのだろうか。
なお、赤間急行には、一時期、香椎浜ランプ~香椎経由の便や、福岡空港行きなどもあったらしい。
存在した時期は、Ⅰ~Ⅱ間、もしくは、Ⅱ~Ⅲ間と推測されるが、なぜか記憶が全くない。
ご存知の方、ぜひ教えてください。
(つづく)
(つづき)
西鉄バスのサイトの過去の「ダイヤ改正情報」を保存したものを紹介しているこのシリーズ。
四回目は、1999年(平成11年)1月18日の改正である。
----------------------------
1999.1.18(月)改正
【福岡地区】
1.福岡~東京
運行時刻を変更し、1日1往復で運行。
西鉄天神BC 19:00 → 博多駅交通C 19:15 → 新宿駅西口 9:25
新宿駅西口 21:00 → 博多駅交通C 11:10 → 西鉄天神BC 11:20
2.長住~天神 (55)
朝ラッシュ時間帯の、天神終点系統の一部を中央ふ頭へ延長。
3.賀茂 (209)
朝ラッシュ時間帯の、天神終点系統の一部を中央ふ頭へ延長。
----------------------------
このシリーズでは、当時のサイトからコピーしたものに手を加えず原文のまま掲載している。
「福岡~東京」と「長住~天神」「賀茂」を並列で扱っているのがなんだか面白かったので取り上げてみた次第である。
この時期は、中央埠頭(博多港国際ターミナル)へ、市内各地からの乗り入れが進んでいく過程の途中のようだ。
天神から先が「80番」に統一されるのは、これよりもまだ後である。
現在「2-9番」が乗り入れている早良区の賀茂地区は、当初は「209番」が乗り入れており、藤崎ではなく天神まで運行されていた。
その後、「209番」は朝のみの運行に、日中は「2-9番」となり、さらにその後「209番」は廃止となった。
残った「2-9番」は、のちに賀茂駅・歯科大総合病院経由に変更、賀茂駅止めに短縮&国立医療センターまで延長という経緯をたどっている。
「2番」の枝番に、大きな数字「9」が付いているのは、「209番」の「9」と合わせているためだと思われる。
同様に、「1-5番」の「5」は、「205番」の「5」と合わせている気がする。
(つづく)
西鉄バスのサイトの過去の「ダイヤ改正情報」を保存したものを紹介しているこのシリーズ。
四回目は、1999年(平成11年)1月18日の改正である。
----------------------------
1999.1.18(月)改正
【福岡地区】
1.福岡~東京
運行時刻を変更し、1日1往復で運行。
西鉄天神BC 19:00 → 博多駅交通C 19:15 → 新宿駅西口 9:25
新宿駅西口 21:00 → 博多駅交通C 11:10 → 西鉄天神BC 11:20
2.長住~天神 (55)
朝ラッシュ時間帯の、天神終点系統の一部を中央ふ頭へ延長。
3.賀茂 (209)
朝ラッシュ時間帯の、天神終点系統の一部を中央ふ頭へ延長。
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このシリーズでは、当時のサイトからコピーしたものに手を加えず原文のまま掲載している。
「福岡~東京」と「長住~天神」「賀茂」を並列で扱っているのがなんだか面白かったので取り上げてみた次第である。
この時期は、中央埠頭(博多港国際ターミナル)へ、市内各地からの乗り入れが進んでいく過程の途中のようだ。
天神から先が「80番」に統一されるのは、これよりもまだ後である。
現在「2-9番」が乗り入れている早良区の賀茂地区は、当初は「209番」が乗り入れており、藤崎ではなく天神まで運行されていた。
その後、「209番」は朝のみの運行に、日中は「2-9番」となり、さらにその後「209番」は廃止となった。
残った「2-9番」は、のちに賀茂駅・歯科大総合病院経由に変更、賀茂駅止めに短縮&国立医療センターまで延長という経緯をたどっている。
「2番」の枝番に、大きな数字「9」が付いているのは、「209番」の「9」と合わせているためだと思われる。
同様に、「1-5番」の「5」は、「205番」の「5」と合わせている気がする。
(つづく)
(つづき)
福岡市中央区の「渡辺通一丁目」(城南線外回り)のバス停。
このバス停のすぐ先には、以前取り上げた「渡辺通西」交差点がある。
バス停の行先案内では、今年3月のダイヤ改正で廃止された「18番」は消されているものの(完全には消えていないけど)、それよりもずいぶん前に廃止となった「急行 前原」が残ったままである(以前、MOON DOGさんからも情報をいただきました)。
「頭隠して尻隠さず」というのはこういうことを言うのかもしれない。
そういえば、高校の時の英語の先生は「頭隠して尻掻く猿」とか「石橋を叩いて割る」とか「猫にごはん」…とか、いろいろ考案されていたが、今も健在だろうか?
前原行きの「急行」(博多駅交通センター~城南線~六本松~原~周船寺~前原方面)は、昭和バスと共同運行されていた。
前原行きだけでなく、西の浦、周船寺(農村センターや筑前高校)、深江駅前などを終点とするものもあったと思う。
当時はまだ、現在の明治通りが国道202号であり、現在の202号(堅粕~赤坂3丁目~六本松~福重方面)はバイパスであったことから、当路線は「バイパス急行」と呼ばれており、方向幕にも青地に白文字(←多分)で「202号バイパス」と書かれていた。
ちなみに、現在の明治通りが市道(千代今宿線)に格下げになった際、国道263号の脇山口交差点~荒江交差点(バス停でいうと荒江四角)間も同時に市道に格下げになっている。
(つづく)
福岡市中央区の「渡辺通一丁目」(城南線外回り)のバス停。
このバス停のすぐ先には、以前取り上げた「渡辺通西」交差点がある。
バス停の行先案内では、今年3月のダイヤ改正で廃止された「18番」は消されているものの(完全には消えていないけど)、それよりもずいぶん前に廃止となった「急行 前原」が残ったままである(以前、MOON DOGさんからも情報をいただきました)。
「頭隠して尻隠さず」というのはこういうことを言うのかもしれない。
そういえば、高校の時の英語の先生は「頭隠して尻掻く猿」とか「石橋を叩いて割る」とか「猫にごはん」…とか、いろいろ考案されていたが、今も健在だろうか?
前原行きの「急行」(博多駅交通センター~城南線~六本松~原~周船寺~前原方面)は、昭和バスと共同運行されていた。
前原行きだけでなく、西の浦、周船寺(農村センターや筑前高校)、深江駅前などを終点とするものもあったと思う。
当時はまだ、現在の明治通りが国道202号であり、現在の202号(堅粕~赤坂3丁目~六本松~福重方面)はバイパスであったことから、当路線は「バイパス急行」と呼ばれており、方向幕にも青地に白文字(←多分)で「202号バイパス」と書かれていた。
ちなみに、現在の明治通りが市道(千代今宿線)に格下げになった際、国道263号の脇山口交差点~荒江交差点(バス停でいうと荒江四角)間も同時に市道に格下げになっている。
(つづく)
(つづき)
色付きのバス停、23色目は福岡市早良区の「もも色」。
北九州だと「桃色」がいくつか思い浮かぶが、なかなか近くに行く用事がないので…。
バス停には「百道浜クリニックゾーン前」と確かに書かれているのだが、西鉄のサイトの時刻検索においてはこのバス停は「ももち浜」という名称であり、大きく異なる。
一時期、「305番」などにここを終点とするものがあったのだが、その当時のバスの行先は「ももち浜」という表示であったし、現在の車内のデジタル運賃表における表示も「ももち浜」である。
一方で、車内の自動アナウンスでは「ももちはまくりにっくぞーんまえ」と言っている(当然「ももち」が漢字かひらがなかはわからないけど)。
このバス停の名称はどれが正式なのだろうか。
これまでも正式名称がわからないバス停をいろいろ取り上げてきたが、考えてみれば「何をもって正式とするのか」というのもよくわからない。
役所などに届けを出す必要があるとすればその届出上の名称が正式だという考え方もあるだろうし、あくまで「現況優先主義」で現地のバス停に実際表示されているのが正式だという考え方もあるだろう。
なので、停留所名が複数あることに対してあまり神経質になる必要はないのかもしれない。
ただ、それによって生じるバス停検索の際の弊害については、心配りをしてほしいものである。
(つづく)
色付きのバス停、23色目は福岡市早良区の「もも色」。
北九州だと「桃色」がいくつか思い浮かぶが、なかなか近くに行く用事がないので…。
バス停には「百道浜クリニックゾーン前」と確かに書かれているのだが、西鉄のサイトの時刻検索においてはこのバス停は「ももち浜」という名称であり、大きく異なる。
一時期、「305番」などにここを終点とするものがあったのだが、その当時のバスの行先は「ももち浜」という表示であったし、現在の車内のデジタル運賃表における表示も「ももち浜」である。
一方で、車内の自動アナウンスでは「ももちはまくりにっくぞーんまえ」と言っている(当然「ももち」が漢字かひらがなかはわからないけど)。
このバス停の名称はどれが正式なのだろうか。
これまでも正式名称がわからないバス停をいろいろ取り上げてきたが、考えてみれば「何をもって正式とするのか」というのもよくわからない。
役所などに届けを出す必要があるとすればその届出上の名称が正式だという考え方もあるだろうし、あくまで「現況優先主義」で現地のバス停に実際表示されているのが正式だという考え方もあるだろう。
なので、停留所名が複数あることに対してあまり神経質になる必要はないのかもしれない。
ただ、それによって生じるバス停検索の際の弊害については、心配りをしてほしいものである。
(つづく)
(つづき)
今年2月28日から運行を開始している「93番 早良~マリノアシティ線」の告知のうち、藤崎ターミナルに掲示されていたもの。
藤崎から早良営業所間は「93番」ではなく「3番」として運行されるため、「お知らせ」も「3番」である。
(つづく)
今年2月28日から運行を開始している「93番 早良~マリノアシティ線」の告知のうち、藤崎ターミナルに掲示されていたもの。
藤崎から早良営業所間は「93番」ではなく「3番」として運行されるため、「お知らせ」も「3番」である。
(つづく)
(つづき)
今回からしばらくはゴールデンウィークモードである。
画像フォルダの中にありながら、タイミングを逃して公開していなかったものを公開する、かなり久々の在庫整理企画。
まずは今年3月23日改正における、「2-9番」の実質短縮とそれに伴う次善策の告知をどうぞ。
(つづく)
今回からしばらくはゴールデンウィークモードである。
画像フォルダの中にありながら、タイミングを逃して公開していなかったものを公開する、かなり久々の在庫整理企画。
まずは今年3月23日改正における、「2-9番」の実質短縮とそれに伴う次善策の告知をどうぞ。
(つづく)
(つづき)
平成8年11月10日時点の、赤間~直方を結ぶ「75番」及びその支線「10番」の時刻表の一部。
当時はネオポリス~高六は「10番」として運行されていた。
「75」という番号は、宗像地区の番号としては異質なので、もともとは、黒崎~香月~直方の「70番」や、黒崎~畑観音の「72番」など、八幡西~直方エリアの「70番台」のひとつという位置づけだったのかもしれない(このエリアの変遷にはあまり詳しくないので、間違っていたら指摘してください)。
当時、赤間~直方間は平日23往復運行されていた。
現在は12往復とほぼ半減しているが、なんとか生き延びている。
中小都市間における西鉄バス路線のネットワーク崩壊については、これまで何度か取り上げたことがある。
この路線は、宗像市と直方市を結んでおり、ネットワークの崩壊を必死で阻止しているようなルートになっている。
赤間から直方までを乗り通す人はおそらく少ないと思われるが、途中で切れてしまうことがないよう願うばかりである。
(つづく)
平成8年11月10日時点の、赤間~直方を結ぶ「75番」及びその支線「10番」の時刻表の一部。
当時はネオポリス~高六は「10番」として運行されていた。
「75」という番号は、宗像地区の番号としては異質なので、もともとは、黒崎~香月~直方の「70番」や、黒崎~畑観音の「72番」など、八幡西~直方エリアの「70番台」のひとつという位置づけだったのかもしれない(このエリアの変遷にはあまり詳しくないので、間違っていたら指摘してください)。
当時、赤間~直方間は平日23往復運行されていた。
現在は12往復とほぼ半減しているが、なんとか生き延びている。
中小都市間における西鉄バス路線のネットワーク崩壊については、これまで何度か取り上げたことがある。
この路線は、宗像市と直方市を結んでおり、ネットワークの崩壊を必死で阻止しているようなルートになっている。
赤間から直方までを乗り通す人はおそらく少ないと思われるが、途中で切れてしまうことがないよう願うばかりである。
(つづく)