第36期女流名人位戦A級は、千葉涼子女流三段がトップで今日の最終局を迎えました。その千葉三段の相手は本田小百合女流二段。
リーグ戦ですので振駒はなく、千葉三段の先手。本田二段の一手損角換り1-Ⅰ。先手の棒銀となりました。早い段階から全面的な戦いとなり、先手が龍、後手が馬を作って第1図。

端を破って龍を作っていますから先手の作戦自体はうまくいったのですが、棒銀は取り残されましたし、後手が居玉のためにかえって響きは薄くなっています。ということで後手はここで△5五香と打って反撃。先手は▲3四歩と銀を取りましたが、△5七香成以下の攻撃は、先手玉に近い分、厳しいものがありました。20手ほど進んで第2図。

後手の攻めがつながるかギリギリに思えますが、ここで△1二歩と打って馬の動向を聞いたのがよい手だったと思います。先手は▲3一馬で攻め合いを選んだため△6八歩成。以下、先手玉周辺の金銀をすべて剥がして第3図。

ここで△3二金引として馬を無理やり取りにいったのが最後の決め手となりました。以下は角を入手した後手が先手玉を寄せきっています。
6勝2敗で追っていた里見香奈倉敷藤花と岩根忍女流二段は共に勝ったため、3人が7勝2敗で並び、挑戦者の行方はプレーオフに持ち込まれることとなりました。第1戦は7日に千葉三段と岩根二段の間で行われます。
僕が入院していた8階の総合内科の病棟の中央にはナースステーションがあったのですが,このナースステーションの一角に,この病棟の受付のようなところがありまして,そこには常時ひとりかふたりの事務員がいました。実をいいますと,眼科検診など,1階で通院患者に混じって行われる検査の際に,検査ができる状況になったのでその場所へ行くように指示を受けたのは,この事務員からでした。といいますのは,1階で行う検査というのには,自室で行うのとは異なり,手首のバーコードではなくて,診察券が必要だったのですが,この診察券は事務員に預かってもらうようになっていたからです。つまり事務員が診察券を持ってきて僕に渡し,検査から病室に戻ってきたら今度は僕の方から診察券を事務員に預けるというようになっていたのです。もちろんこの診察券は,退院後は僕に渡され,通院の際にはこれが必要になります。
この事務員が19日の夕食後,7時半頃に自室に来ました。これが最終的な退院の手続きの確認でした。詳しい会計が翌日の10時から遅くとも10時半までには届くので,これが届いたら1階で会計を済ませ,再び8階に戻って手首のバーコードを取り外して退院になるとのこと。この話から分かるように,入院費が具体的にいくらになるかは翌朝にならなければ不明だったのですが,僕がこれについて尋ねますと,概算ではこれくらいになるだろうという金額を示してくれました。いくらといわれたのかは忘れてしまったのですが,実際の入院費というのは20万円強で,それとさほどの開きはなかった筈です。
さすがにそれだけの現金は持ち合わせていません。ということで僕は家に電話して,このことを伝えました。そして翌日の10時頃に,母が現金を持って迎えに来るということになりました。母は自動車で来ますので,手続きを済ませた後、病院からは乗って帰るということになったわけです。
リーグ戦ですので振駒はなく、千葉三段の先手。本田二段の一手損角換り1-Ⅰ。先手の棒銀となりました。早い段階から全面的な戦いとなり、先手が龍、後手が馬を作って第1図。

端を破って龍を作っていますから先手の作戦自体はうまくいったのですが、棒銀は取り残されましたし、後手が居玉のためにかえって響きは薄くなっています。ということで後手はここで△5五香と打って反撃。先手は▲3四歩と銀を取りましたが、△5七香成以下の攻撃は、先手玉に近い分、厳しいものがありました。20手ほど進んで第2図。

後手の攻めがつながるかギリギリに思えますが、ここで△1二歩と打って馬の動向を聞いたのがよい手だったと思います。先手は▲3一馬で攻め合いを選んだため△6八歩成。以下、先手玉周辺の金銀をすべて剥がして第3図。

ここで△3二金引として馬を無理やり取りにいったのが最後の決め手となりました。以下は角を入手した後手が先手玉を寄せきっています。
6勝2敗で追っていた里見香奈倉敷藤花と岩根忍女流二段は共に勝ったため、3人が7勝2敗で並び、挑戦者の行方はプレーオフに持ち込まれることとなりました。第1戦は7日に千葉三段と岩根二段の間で行われます。
僕が入院していた8階の総合内科の病棟の中央にはナースステーションがあったのですが,このナースステーションの一角に,この病棟の受付のようなところがありまして,そこには常時ひとりかふたりの事務員がいました。実をいいますと,眼科検診など,1階で通院患者に混じって行われる検査の際に,検査ができる状況になったのでその場所へ行くように指示を受けたのは,この事務員からでした。といいますのは,1階で行う検査というのには,自室で行うのとは異なり,手首のバーコードではなくて,診察券が必要だったのですが,この診察券は事務員に預かってもらうようになっていたからです。つまり事務員が診察券を持ってきて僕に渡し,検査から病室に戻ってきたら今度は僕の方から診察券を事務員に預けるというようになっていたのです。もちろんこの診察券は,退院後は僕に渡され,通院の際にはこれが必要になります。
この事務員が19日の夕食後,7時半頃に自室に来ました。これが最終的な退院の手続きの確認でした。詳しい会計が翌日の10時から遅くとも10時半までには届くので,これが届いたら1階で会計を済ませ,再び8階に戻って手首のバーコードを取り外して退院になるとのこと。この話から分かるように,入院費が具体的にいくらになるかは翌朝にならなければ不明だったのですが,僕がこれについて尋ねますと,概算ではこれくらいになるだろうという金額を示してくれました。いくらといわれたのかは忘れてしまったのですが,実際の入院費というのは20万円強で,それとさほどの開きはなかった筈です。
さすがにそれだけの現金は持ち合わせていません。ということで僕は家に電話して,このことを伝えました。そして翌日の10時頃に,母が現金を持って迎えに来るということになりました。母は自動車で来ますので,手続きを済ませた後、病院からは乗って帰るということになったわけです。