スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&不十分な事情

2013-07-25 18:49:38 | 将棋
 郷田真隆九段と中村太地六段で争われた22日の第61期王座戦挑戦者決定戦。対戦成績は郷田九段の1勝。
 振駒で先手は中村六段。角換り相腰掛銀の☗4八飛型に。手待ちの後,後手から仕掛ける将棋となり,難しい中盤戦が展開されていた,としか僕の力ではいえません。
                         
 ここで熟慮して☗7一角と打ちましたが,中村六段はこれで自信を持っていたようです。郷田九段は攻め合いの☖7六歩を選択。取れる駒がたくさんありますが,☗5五銀と角を取りました。☖7七歩成☗同金は当然。そこで☖7六歩。これも☗同金と取るところで,☖7二飛と回りました。これには☗5四銀と銀を取り,☖同歩でしたので☗4三歩成☖同金直と成り捨てて作った空間に☗4四角打。
                         
 実戦はここで☖3三銀と受けていますが,☖1二王の方がよかったとのこと。ただ,先手は一気に攻めるのではなく,手を戻す展開にすることも可能なので,第2図は先手がリードをしている局面であることは間違いないようです。
 中村六段が挑戦者に。王座戦は初挑戦。第一局は9月4日です。

 『エチカ』の定理の配置の順序を無視して,後発の定理Propositioによって先行する定理を理解することを僕が排除しないのは,端的にそのような方法は『エチカ』の正確な理解にとって有用であると判断しているからです。こうした方法は一種の帰納法でしょうから,演繹法を用いるスピノザの哲学の方法論という観点からするならば妥当性を欠くだろうということは僕も認めます。しかし少なくともこの方法を採用することによって,スピノザ自身が考えている思想の内容に関して,誤った結論を導く可能性はいっかなないといえると思うのです。ですから,第一部定理二六にある疑問が生じた場合に,第一部定理二八を参照してその疑問を解決するということは,手法として僕は認めます。したがって,無限様態modus infinitusがres singularisを作用に決定する原因ではあり得ないという結論部分については,僕は譲ることはありません。ただし,現状の考察は単にこの結論を探しているのとは異なり,もう少し複雑な事情が潜んでいるために,この手法にはやや不十分な点も残っているというように僕は思うのです。
 現在の考察の対象となっているのは,スピノザによる第一部定理二六証明への疑問のうち,最後の部分と関連しています。この部分というのは,もしも決定の原因であるものがあるならば,それは神Deus以外にはあり得ないということを主張しているとしか理解できません。そして福居純の証明を利用することによって,決定と限定というのは対義語的関係にあるということ,いい換えれば決定の原因といわれるものは,決定されるものに対して,限定determinatioをすることはないということは明らかになりました。一方,第一部定理二六でいわれている物のうちには,res singularisが含まれていなければならないことも論証し,そのゆえにその決定の原因が無限様態ではあり得ないと結論付けたのです。
 すでに示したように,res singularisは限定されつつ限定しながら実在するものですから,決定の原因ではあり得ません。そして無限様態も決定の原因であり得ないとしたら,神ないしは神の属性attributumだけがその原因であり得るということは帰結します。
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