スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

実体の数&訓練

2017-09-29 19:17:54 | 哲学
 グレフィウスJohann Georg Graeviusに送ったライプニッツの返事を分析する中で,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizにとってスピノザ主義が有する最大の問題は宗教問題なのであって,思想の真理性の問題ではなかったという見解をスチュアートは示しています。これは実はライプニッツはスピノザの哲学が正しいと内心では考えていたのだという可能性を生じさせます。僕はそういう可能性も完全には排除しませんが,少なくともライプニッツはスピノザに対抗するための哲学を構築したのであり,自身の哲学が正しく,スピノザの哲学は誤っているということを,外面的な文章としては残していますので,これについて簡単に紹介しておきましょう。
                                     
 これはスピノザが死んだ後ですが,1714年にライプニッツは,文通相手からライプニッツが構築したモナド論の教説のうちにスピノザ主義のようなものが存在するのか否かを問われました。これに対してライプニッツは,モナド論にはスピノザ主義などはなく,むしろモナド論によってスピノザ主義は破壊されるのだと答えています。この文章は実際には表現がやや弱まっているのであって,ライプニッツがいわんとしているのは,スピノザ主義を破壊することができる思想があるのだとすれば,それはモナド論以外にはないのであるということです。これはこの手紙全体の文脈から明らかだといえます。
 なぜモナド論だけがスピノザ主義を破壊することができるのかということについては,ライプニッツはモナド論におけるモナドの数と同じだけの真なる実体substantiaが存在するからだとしています。この文脈では真なる実体が宇宙と同一視されています。つまりここでライプニッツがいっている真なる実体というのは,可能世界のことであると解してよいものと思われます。これに対していえばスピノザはひとつの実体の実在しか認めません。これは第一部定理一四から明白で,つまりこの点に関してライプニッツはスピノザ主義を正しく把握しています。
 これでライプニッツが哲学的に何を問題としていたのかが分かります。つまり存在する実体はDeusだけであるのか,それとも数多くの真なる実体が存在するのかという対立なのです。

 3月23日,木曜日。Kさんと昼食に出掛けました。Kさんは外食するケースが多いようで,この日は僕の家の近くの地区センターでカレーを提供する日なので,それを食べに行く予定で,近いからということで母も誘われたようです。カレーだけでなくデザートも出されたとのことでした。僕はこの日は長者町に行っていました。
 3月24日,金曜日。母が妹を施設まで送って行ったところ,小港に開設する新しい職場の工事が遅れているため,開所が5月1日に延期になるという知らせを受けました。それまではこのときに通っていた本牧の施設に行くことになりました。ただ,従来は4月1日から新施設で仕事をする予定となっていたため,現在の施設での仕事は3月一杯です。要するに4月は仕事はなしで,単に妹を含めた利用者を預かるという状態になるようでした。僕はこの日は横浜に行っていました。
 3月25日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
 3月26日,日曜日。母と妹が5月から通うことになる新しい施設の下見に行きました。といってもこれは施設を見学することが目的ではありません。朝は送って行くわけですが,帰りは妹がひとりで帰ってくることになります。ですから施設から最寄りのバス停にどのように行き,どのバスに乗るかといったことの訓練が妹には必要でした。場所が遠くなるだけで,乗車するバスに変更はないので,それほど難しいことではありませんが,妹には実際に乗って帰ってくるという練習が必要なのです。もちろんこの日だけの練習で覚えられるとも限りませんから,この後も何度かこの練習に出掛けています。昼に行ったので,ふたりは昼食も済ませてから帰りました。
 3月28日,火曜日。母と日野公園墓地の墓参りに行きました。本当は前日に行く予定としていたのですが,雨が降ってしまったのでこの日に延期したものです。僕は前日が長者町でこの日は本牧という予定でしたが,この日の本牧の予定を午後からにずらして対応しました。
 3月30日,木曜日。妹の後期の最終日でした。これは給料日にも該当します。僕はこの日は鶴見に行っていました。
コメント
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