北海道から1頭,金沢から1頭,名古屋から1頭が遠征してきた昨晩の第54回東京記念。バルダッサーレが左前脚の蹄の底の内出血により出走取消となり15頭。
好発はキタノイットウセイ。これを外から交わしたジャーニーマンがまず先頭に。今度は内からカツゲキキトキトが交わしていってこの馬の逃げに。控えたジャーニーマンが2番手。3列目にキングニミッツとサブノクロヒョウ。4列目はキタノイットウセイ,ウマノジョー,キープインタッチの3頭。5列目がタマモネイヴィー,ディアドムス,ドラゴンエアル,デュアルスウォードの4頭。6列目にユーロビートとグルームアイランド。ストゥディウム,ヴァーゲンザイルは単独で追走という隊列。1周目の正面で15頭がほぼ一団。最初の1000mは66秒0の超スローペース。
向正面の中ほどから逃げたカツゲキキトキトはペースアップしました。後方でグルームアイランドが外を上昇しようとした以外に動きはなく,むしろ正面より隊列が長くなる形に。これでは後ろの馬はほぼ勝負圏外。3コーナー手前から2番手のジャーニーマンは追走に苦しみ始め,サブノクロヒョウが2番手,捌いたキングニミッツが内の3番手でコーナーを回って直線に。粘ろうとするカツゲキキトキトをサブノクロヒョウが追い,交わして抜け出して優勝。逃げたカツゲキキトキトが2馬身半差で2着。直線で2頭の外に出されたキングニミッツには思いのほか伸び脚がなく,4分の3馬身差で3着。ユーロビートは底力で追い込みましたが3馬身差の4着が精一杯。
優勝したサブノクロヒョウは南関東重賞初勝利。A2以下の条件戦でも勝てていなかった馬で,この馬が勝つどころか好走するというシーンさえ想像していませんでした。以前に長距離戦を使ったときは逃げて大敗していたのですが,本当はこういう距離の適性が高かったのだとしか今は説明できません。大井の長距離戦は同じ馬が好走するというケースが多く,まだ4歳のこの馬はそこにチャレンジする機会も多くなるでしょうから,今後もそういうレースでは注目していかなければならないでしょう。2着馬は重賞でも通用しますから,あるいは長距離ならこの馬にもそのくらいの力量があるという可能性もあると思います。祖母の母がフジキセキ。また祖母の半兄に1996年の神戸新聞杯を勝ったシロキタクロス。
騎乗した大井の和田譲治騎手はデビューから約15年5ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している大井の阪本一栄調教師は南関東重賞8勝目で東京記念は初勝利。
前にもいったように,スピノザは各々の感情affectusを多角的に分析します。高慢superbiaも希望spesも理性ratioと矛盾し,理性から生じることができない感情です。しかし第四部定理五八備考から容易に推測できるように,高慢という感情は無益であり,あるいは有害でしかありません。ですが第四部定理五四備考から明白なように,希望というのは有害無益であるどころかむしろ有益な感情であるのです。こうした分析は,喜びlaetitiaに類別されるような感情にだけ該当するわけではありません。第三部定理五九から分かるように,悲しみtristitiaに類別される感情はすべて理性と矛盾しますし,理性から生じることはできません。そして悲しみに類別される感情はそれ自体で悪malumです。そのことは第四部定理四一に示されています。
「喜びは直接的には悪でなくて善である。これに反して悲しみは直接的に悪である」。
スピノザの哲学における善悪は,特殊な意味を有するので,この点には注意しておかなければなりませんが,悲しみがそれ自体で悪であるということをスピノザが主張していることは疑い得ないでしょう。これはおそらく,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheが初めてスピノザに触れたとき,自身の考えとスピノザの考えに類似があると感じたことのひとつであると思われます。
悲しみはそれ自体で悪ですが,だから悲しみに類別されるすべての感情が現実的に存在する人間にとって無益であるとスピノザが考えているというわけではありません。第四部定理五七備考からすると,自卑abjectioという悲しみについてはスピノザはたぶん無益で有害でしかない感情であると判断していると思われます。そしてこの点において,反対感情である喜びの一種としての高慢と悲しみの一種である自卑は,この定理Propositioでは直接的には前者が善,後者は悪であるにも関わらず類似しているといわれるのです。これに対してやはり悲しみの一種である憐憫commiseratioは,第四部定理五〇でいわれているように,理性に従う限りでは悪であり無用ですが,この文言から分かるように,もし理性に従わないならむしろ有用であり有益なのです。よってこの点においては,喜びの一種である希望と悲しみの一種である憐憫には,類似した点があるといえるでしょう。
好発はキタノイットウセイ。これを外から交わしたジャーニーマンがまず先頭に。今度は内からカツゲキキトキトが交わしていってこの馬の逃げに。控えたジャーニーマンが2番手。3列目にキングニミッツとサブノクロヒョウ。4列目はキタノイットウセイ,ウマノジョー,キープインタッチの3頭。5列目がタマモネイヴィー,ディアドムス,ドラゴンエアル,デュアルスウォードの4頭。6列目にユーロビートとグルームアイランド。ストゥディウム,ヴァーゲンザイルは単独で追走という隊列。1周目の正面で15頭がほぼ一団。最初の1000mは66秒0の超スローペース。
向正面の中ほどから逃げたカツゲキキトキトはペースアップしました。後方でグルームアイランドが外を上昇しようとした以外に動きはなく,むしろ正面より隊列が長くなる形に。これでは後ろの馬はほぼ勝負圏外。3コーナー手前から2番手のジャーニーマンは追走に苦しみ始め,サブノクロヒョウが2番手,捌いたキングニミッツが内の3番手でコーナーを回って直線に。粘ろうとするカツゲキキトキトをサブノクロヒョウが追い,交わして抜け出して優勝。逃げたカツゲキキトキトが2馬身半差で2着。直線で2頭の外に出されたキングニミッツには思いのほか伸び脚がなく,4分の3馬身差で3着。ユーロビートは底力で追い込みましたが3馬身差の4着が精一杯。
優勝したサブノクロヒョウは南関東重賞初勝利。A2以下の条件戦でも勝てていなかった馬で,この馬が勝つどころか好走するというシーンさえ想像していませんでした。以前に長距離戦を使ったときは逃げて大敗していたのですが,本当はこういう距離の適性が高かったのだとしか今は説明できません。大井の長距離戦は同じ馬が好走するというケースが多く,まだ4歳のこの馬はそこにチャレンジする機会も多くなるでしょうから,今後もそういうレースでは注目していかなければならないでしょう。2着馬は重賞でも通用しますから,あるいは長距離ならこの馬にもそのくらいの力量があるという可能性もあると思います。祖母の母がフジキセキ。また祖母の半兄に1996年の神戸新聞杯を勝ったシロキタクロス。
騎乗した大井の和田譲治騎手はデビューから約15年5ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している大井の阪本一栄調教師は南関東重賞8勝目で東京記念は初勝利。
前にもいったように,スピノザは各々の感情affectusを多角的に分析します。高慢superbiaも希望spesも理性ratioと矛盾し,理性から生じることができない感情です。しかし第四部定理五八備考から容易に推測できるように,高慢という感情は無益であり,あるいは有害でしかありません。ですが第四部定理五四備考から明白なように,希望というのは有害無益であるどころかむしろ有益な感情であるのです。こうした分析は,喜びlaetitiaに類別されるような感情にだけ該当するわけではありません。第三部定理五九から分かるように,悲しみtristitiaに類別される感情はすべて理性と矛盾しますし,理性から生じることはできません。そして悲しみに類別される感情はそれ自体で悪malumです。そのことは第四部定理四一に示されています。
「喜びは直接的には悪でなくて善である。これに反して悲しみは直接的に悪である」。
スピノザの哲学における善悪は,特殊な意味を有するので,この点には注意しておかなければなりませんが,悲しみがそれ自体で悪であるということをスピノザが主張していることは疑い得ないでしょう。これはおそらく,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheが初めてスピノザに触れたとき,自身の考えとスピノザの考えに類似があると感じたことのひとつであると思われます。
悲しみはそれ自体で悪ですが,だから悲しみに類別されるすべての感情が現実的に存在する人間にとって無益であるとスピノザが考えているというわけではありません。第四部定理五七備考からすると,自卑abjectioという悲しみについてはスピノザはたぶん無益で有害でしかない感情であると判断していると思われます。そしてこの点において,反対感情である喜びの一種としての高慢と悲しみの一種である自卑は,この定理Propositioでは直接的には前者が善,後者は悪であるにも関わらず類似しているといわれるのです。これに対してやはり悲しみの一種である憐憫commiseratioは,第四部定理五〇でいわれているように,理性に従う限りでは悪であり無用ですが,この文言から分かるように,もし理性に従わないならむしろ有用であり有益なのです。よってこの点においては,喜びの一種である希望と悲しみの一種である憐憫には,類似した点があるといえるでしょう。