スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

房州旅行後&終業時間

2017-09-30 19:09:13 | 歌・小説
 下の四十一を中心としたKの動揺は,自身の恋を応援してくれると思い込んでいた先生がそれを否定したことによるというのが『『こころ』の真相』の読解です。このとき先生は,Kに対して向上心がない者は馬鹿だということばを発しました。これは下の三十で先生とKがふたりきりで房州を旅行していたときに,Kが先生に向けて言い放ったことばでした。
                                       
 この後,下の三十一でふたりは東京に帰ります。そして下の三十二の冒頭で,この旅行から帰った後のの態度が旅行以前とは変化したと先生は記述しています。具体的にはそれは,旅帰りで落ち着くまで奥さんと静の世話が必要であったけれども,静はその世話に関してはすべて先生に対することを先にして,Kに対しては後回しであったということです。この静の態度について先生は,静は先生に理解できるようにだけ親切心を余分に分けてくれていると解し,心の中でKに対して凱歌をあげたと告白しています。これは直接的にいえば,静が好きなのはKではなくて自分であると分かったので嬉しかったという意味でしょう。
 ふたりは長期にわたる旅行で不在でしたから,帰ってきた直後に静が本心を無意識的にさらけ出したのだと解することも可能であると僕は考えます。しかし僕が留意したいのは,静がどういう態度をとったのかということよりも,それを先生が自分に対する好意ないしは愛情であると理解した上で,わざわざこのことを遺書の中に綴ったということです。この遺書を先生が書いているとき,これを読むのは私だけであると認識していました。つまり先生は私に向けてこの部分を削除することなく記述したのです。それはおそらく,静が好きだったのはKではなく自分であったということ,なおかつそのことを先生自身がこのときには明確に認識していたということを私に伝えたかったからだと僕は考えます。
 戸棚の例もあるように,先生は静の自分に対する愛に自覚的でした。それはKとの同居を始める以前もそうだったし,始めてからも同様であったのです。

 3月31日,金曜日。妹は前日が後期の最終日でしたので休みです。ということでこの日も新施設から帰るための訓練をしました。僕はこの日は長者町に行っていました。
 4月2日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。妹を送り出した後で,母が高校の同窓会に出掛けました。妹がいることもあり,母はこのような催しに参加することはありません。ですがこの年は大岡川の船下りで,近くもありまた時間にも余裕がありましたので参加することができました。大岡川の川沿いは横浜市内では桜の名所のひとつです。この船下りは花見も兼ねて開催されたのだと思われます。ただ,僕は週末にWINS横浜まで歩いていく場合には必ず大岡川沿いを通るのですが,今年の桜はこの時期にはほとんど開花していませんでした。川の両側に桜が植えてあり,これは例年のことですが川の東側の桜が西側のものより少し早く咲き始めます。おそらく日当たりが影響しているものと思われます。今年のこの日ですと,その先に咲く東側の桜が少しだけ咲いているという程度でした。
 4月3日,月曜日。妹の新年度がこの日から始まりました。事前に通達があった通り,この日は3月まで通っていた施設へ行っています。送ることを考えれば,この施設は本牧で新施設は小港で,僕の家からは小港よりは本牧の方が近いので,負担はいくらか軽減します。また,新年度から帰宅の時間が変更になりました。3月までは基本的に午後4時が終業で,水曜日だけは午後3時に終業となっていたのですが,新年度からは週を通して午後3時半の終業となっています。したがって妹の帰宅時間は,水曜日はそれまでより遅くなりましたが,ほかの日は早くなったことになります。なお,この終業時間は現在はすでに通うようになっている新しい施設も同様です。ただ新施設は場所が少し遠くなっている関係で,この頃よりは今の方が妹が帰宅する時間も遅くなっています。
 4月14日,金曜日。眼科検診に行きました。これまでで最も空いていたのではないかと思います。医師から網膜の形がきれいであると言われました。形に言及されたのはたぶん初めてです。
コメント
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