スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典かきつばた記念&一致と反撥

2020-05-04 18:53:24 | 地方競馬
 第22回かきつばた記念
 リアンヴェリテはハナを奪うために鞭を入れていましたが,外のラプタスの方がダッシュに優り,1コーナー手前で前に出てラプタスの逃げ。リードも2馬身くらいに。2番手に逃げられなかったリアンヴェリテとマイタイザン。3馬身差でラブカンプー。2馬身差でノボバカラ。2馬身差でドリームドルチェとモズオラクルとアディラート。4馬身差でサンデンバロン。2馬身差でメモリージルバ。2馬身差の最後尾にペイシャゲランと,この距離にしては縦長の隊列に。ミドルペースでした。
 リアンヴェリテは向正面で下げ,単独の2番手となったマイタイザンは3コーナーを回ると一杯。ノボバカラが2番手に上がり,外から巻き返したリアンヴェリテ,内からドリームドルチェの追い上げ。ラプタスのリードは一時的には詰まりましたが,直線に入るとまた引き離し,鋭く逃げ切って優勝。ノボバカラが3馬身差で2着。内を回ったドリームドルチェが5馬身差の3着で外を回ったリアンヴェリテは4分の3馬身差で4着。
 優勝したラプタス黒船賞からの連勝で重賞2勝目。逃げることがベストなのは分かっていましたので,今日はやはり逃げたかったであろうリアンヴェリテとの逃げ争いが最大の焦点。発馬後の加速力で早々に決着をつけた時点で,今日のメンバー構成から勝利を決定づけたといっていいでしょう。逃げられなかった場合に同じように力を発揮することができるかどうかは未知ですから,課題はまだ残っていると考えておいた方がよいでしょう。父はディープブリランテ。5代母がバウンドトゥダンスとファーストアクトの祖母にあたります。Raptusは衝動。
 騎乗した幸英明騎手は第13回以来となる9年ぶりのかきつばた記念2勝目。管理している松永昌博調教師はかきつばた記念初勝利。

 自身の学説を哲学的に基礎づけようと意図したフロムErich Seligmann Frommが,そのためにスピノザとアリストテレスAristotelēsを数多く引いたのは,フロムの学説を哲学的に基礎づけるためには,スピノザの哲学とアリストテレスの哲学が有効であるとフロム自身が考えたからです。したがって少なくとも,フロムの学説を基礎づけるという点においては,スピノザの哲学とアリストテレスの哲学は一致するのです。だからといってプラトンPlatoの哲学はそのために有益ではないということにはなりませんが,スピノザの哲学とアリストテレスの哲学が,存在論では一致しないからといって,ほかのすべての面においても一致しないというわけではないということは,この例から明らかでしょう。そしてこのような一例があるのだとすれば,スピノザの哲学とプラトンの哲学は,存在論においては一致する面があるにしても,ほかのすべての面において一致するとは限らないということも明らかだと思います。さらにつけ加えれば,アリストテレスの存在論というのはプラトンの存在論に対する批判から現れたものだと僕は思いますが,だからといってプラトンの哲学とアリストテレスの哲学は,すべての点において反撥し合うことになるというわけではなく,一致をみる部分もまた存在するでしょう。これらの点ついてはくれぐれも勘違いしないように注意してください。
 バディウAlain Badiouの存在論に話を戻します。
                                        
 『主体の論理・概念の倫理』を巡る考察の中でバディウに言及したとき,僕にとって最も謎であったのは,スピノザの公理論とバディウの集合論が対立するという点でした。それがどういった謎であったか詳しくはそのときの考察を読んでもらうほかありませんが,簡単にいえば僕は,集合論を公理系によって記述することが不可能なこととは思えなかったために,公理論と集合論が対立しなければならない理由というのを見出すことができなかったのです。
 『〈内在の哲学〉へ』を読む限りでは,僕が謎と感じたことは実際には謎ではなく,僕が考えていた通りに成立するのです。つまり集合論を公理系を用いて記述するということは可能で,そのような意味で公理論と集合論が対立するのではないのです。
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