スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ALSOK杯王将戦&メカニズム

2023-01-10 19:31:39 | 将棋
 一昨日と昨日,掛川城二の丸茶室で指された第72期王将戦七番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太王将が7勝,羽生善治九段が1勝。
 掛川市長による振駒で藤井王将が先手となり,羽生九段の一手損角換り1-Ⅱ。相早繰り銀の将棋になりました。先手が進出させた銀が後手の左銀と交換に。後手はその銀を飛車取りに打ちました。これは1筋の突き合いがなく,先手が飛車を定位置に引きにくかったためのもの。この打った銀が先手陣に成り込み,先手が銀を打ってその成銀との交換を迫ったところで封じ手に。
 封じ手で銀を取れば先手は金で取り返すほかなく,その局面で後手がどう指すか難しかったので,後手はその前に封じ,その局面を夜のうちにも考えたものと推測されます。このために時間を消費することになりましたが,その難解な局面をクリアしましたので,時間を消費したかいがあったと思います。
 これに対して先手はただのところに銀を打っていきました。これは後手が金で取れば飛車を成り込んでよしというもの。後手は飛車取りに銀を打ち返し,先手が金と桂馬,後手が飛車を取る振り替わりに。このとき先手が一旦は飛車を逃げて飛車を取られる位置を変えたのですが,それで後手は苦しむことになったようです。
 この後,後手は桂馬を打たれるのを防ぐために歩で歩を取り込んで取らせ,歩を受けるという手順を採用。ただそれに対して先手が歩を突き捨ててから歩がいたところに桂馬を打つという手順に進め,そこでリードを奪いました。AIは銀を引いて受けることを推奨していましたが,感想戦でもあまり取り上げられなかった手順で,人間的にはそれでは後手が苦しいという判断だったようです。
                                        
 藤井王将が先勝。第二局は21日と22日に指される予定です。

 現実的に存在するある人間が,何らかの能動的感情に刺激されていたとしても,もしその人間がそれと相反するより強力な受動感情に刺激されるafficiなら,第四部定理七が適用されます。つまりその人間は,その受動的感情に刺激されることになるでしょう。これはそれ自体でみれば自由の人homo liberから奴隷になるということであり,同じことですが賢者から無知者になるということです。ただこのようなことはだれにでも生じることなので,それだけで賢者と無知者あるいは自由の人と奴隷を分類することはできません。すでに考察したように,受動感情に対して賢者と無知者,自由の人と奴隷とを分かつのは,受動感情に刺激されたときにどのような対処をするのかということであって,受動感情に刺激されるか否かということではないからです。したがって,能動的感情を感じていた人間が,それに相反しかつそれより強力な受動感情に刺激されるなら,そのときにさらにそれより強力で相反する能動的感情でそれを抑制するのが賢者ないしは自由の人であるということになります。いい換えれば,常に受動感情に対してそのような対処をするのが賢者なのであって,その限りにおいて賢者は賢者としての存在をやめることはありません。第四部定理七は一般的な定理Propositioなので,個別の受動感情すべてに対して適用することが可能です。したがって,第五部定理四二備考で賢者は存在することをやめないという意味のことがいわれるとき,それを受動感情とのみ関連させて解釈する場合には,賢者は受動感情を除去しまた抑制するメカニズムを知っている限りで賢者であることをやめることはないというように解するのが適切だと僕は考えます。少なくとも現実的に存在する人間が,ある能動的な感情affectusに刺激されれば,その感情に刺激し続けられることによって賢者であることをやめないという解釈は誤りであって,そのようなことは現に生じ得ないと僕は考えます。
 受動感情の場合はこのような解釈になりますので,今度は表象像imagoあるいは混乱した観念idea inadaequata一般の場合について探求します。この場合も同じ備考Scholiumで無知者については存在することをやめるといわれていることとの対比だと仮定します。

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