先月の北海道スプリントカップで初の重賞制覇を成し遂げたジョイフルハート。この馬の父,サクラバクシンオーも名馬の1頭です。
デビューは3歳1月。これを勝つと,3戦目に500万特別を勝ち,5戦目となった4月のクリスタルカップで早くも重賞制覇。ここから一貫して短距離路線を進み,この年は春と秋にオープン特別で1勝ずつを加えました。
3歳暮れから4歳秋まで休養。さらにオープン特別の2勝を加えると,当時は暮れに施行されていたスプリンターズステークスに出走。ここで大レース制覇を達成しました。
5歳春。当時は1200メートルのダービー卿チャレンジトロフィーを勝って安田記念に進むも4着。秋は毎日王冠から復帰し,次のスワンステークスを制覇。1400メートルで1分20秒を切る時計は日本ではこれが初めてでした。その後のマイルチャンピオンシップは当時のトップマイラーで,春の安田記念も勝っていたノースフライトの2着に敗れましたが,続くスプリンターズステークスを2年連続で優勝。この年の最優秀短距離馬のタイトルを手土産に引退となりました。
1200メートルがベストで1600メートルでも少し長いかなというところのあった典型的なスプリンター。代表産駒もやはり高松宮記念を制したスプリンターのショウナンカンプですが、障害馬として中山グランドジャンプなどを勝ったブランディスも出しています。
明日は棋聖戦五番勝負第三局。佐藤康光棋聖が3連勝で一気に防衛するか,羽生善治名人が巻き返すかという一番です。
また浦和ではゴールドカップがあります。ここはチェレブラーレ◎に期待。相手はアストリッド○とディープサマー▲。あとサウンドサンデー△とベルモントギルダー△。
第二部定理四〇の意味のうち,妥当な観念idea adaequataといわれている観念は,僕が十全な観念idea adaequataといっている観念のことです。十全な観念というのがどんな観念であるのかといえば,それは第二部定義四で定義されている通りであるということになります。この定義Definitioに関してはテーマとして考察済みですから,ここでそれ以上の説明をする必要もないかと思います。
むしろ重要なのは,ここでいわれている精神mensとは何かということになります。これも第二部定理一三備考で考察しましたが,スピノザの哲学においては,あらゆるものが精神を有するということになっています。よってここでいわれている精神についても,これは単に人間の精神mens humanaというのを意味するというわけではありません。実際にこの定理Propositioは,この精神というものを,とくに人間の精神とは限らずに,ほかのものの精神と考えたとしても成立します。
しかしここでこの定理Propositioを考察する目的は,前提が誤りerrorであるならば結論も誤っているということを抽出するという点にあります。そこで前提を認識するcognoscereのは僕たち人間にほかならないわけですから,今はこの精神は人間の精神であると限定して構わないでしょう。よって,精神についての詳しい議論を蒸し返しますと煩雑になりますから,この考察においては,まずこの精神は人間の精神であると考えることにします。
デビューは3歳1月。これを勝つと,3戦目に500万特別を勝ち,5戦目となった4月のクリスタルカップで早くも重賞制覇。ここから一貫して短距離路線を進み,この年は春と秋にオープン特別で1勝ずつを加えました。
3歳暮れから4歳秋まで休養。さらにオープン特別の2勝を加えると,当時は暮れに施行されていたスプリンターズステークスに出走。ここで大レース制覇を達成しました。
5歳春。当時は1200メートルのダービー卿チャレンジトロフィーを勝って安田記念に進むも4着。秋は毎日王冠から復帰し,次のスワンステークスを制覇。1400メートルで1分20秒を切る時計は日本ではこれが初めてでした。その後のマイルチャンピオンシップは当時のトップマイラーで,春の安田記念も勝っていたノースフライトの2着に敗れましたが,続くスプリンターズステークスを2年連続で優勝。この年の最優秀短距離馬のタイトルを手土産に引退となりました。
1200メートルがベストで1600メートルでも少し長いかなというところのあった典型的なスプリンター。代表産駒もやはり高松宮記念を制したスプリンターのショウナンカンプですが、障害馬として中山グランドジャンプなどを勝ったブランディスも出しています。
明日は棋聖戦五番勝負第三局。佐藤康光棋聖が3連勝で一気に防衛するか,羽生善治名人が巻き返すかという一番です。
また浦和ではゴールドカップがあります。ここはチェレブラーレ◎に期待。相手はアストリッド○とディープサマー▲。あとサウンドサンデー△とベルモントギルダー△。
第二部定理四〇の意味のうち,妥当な観念idea adaequataといわれている観念は,僕が十全な観念idea adaequataといっている観念のことです。十全な観念というのがどんな観念であるのかといえば,それは第二部定義四で定義されている通りであるということになります。この定義Definitioに関してはテーマとして考察済みですから,ここでそれ以上の説明をする必要もないかと思います。
むしろ重要なのは,ここでいわれている精神mensとは何かということになります。これも第二部定理一三備考で考察しましたが,スピノザの哲学においては,あらゆるものが精神を有するということになっています。よってここでいわれている精神についても,これは単に人間の精神mens humanaというのを意味するというわけではありません。実際にこの定理Propositioは,この精神というものを,とくに人間の精神とは限らずに,ほかのものの精神と考えたとしても成立します。
しかしここでこの定理Propositioを考察する目的は,前提が誤りerrorであるならば結論も誤っているということを抽出するという点にあります。そこで前提を認識するcognoscereのは僕たち人間にほかならないわけですから,今はこの精神は人間の精神であると限定して構わないでしょう。よって,精神についての詳しい議論を蒸し返しますと煩雑になりますから,この考察においては,まずこの精神は人間の精神であると考えることにします。
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