5日に天童で指された第13期女流王座戦五番勝負第三局。
里見香奈女流王座の先手で中飛車。後手の加藤桃子女流四段が居飛車穴熊に組んだところで先手から仕掛けていく将棋になりました。
第1図から☗5五歩☖同歩☗同飛。これには☖4五歩が手筋。これに対して飛車を逃げるのではなく☗5三飛成☖同金と飛車を切って☗4五桂と跳ねていきました。両取りなので☖4四角☗5三桂成☖同角まで必然の進行。
第2図となって金銀と飛車桂の交換。結果的にいうとこれが無理筋で先手が形勢を損ねました。ただこの仕掛けは,たとえば先手の玉が2八にいれば成立する可能性が残っていますので,居飛車側としては気にしておかなければならない変化のように思います。
加藤女流四段が勝って1勝2敗。第四局は11日に指される予定です。
モーセの律法やラビの指導は,ユダヤ人国家が滅ぼされた時点で無効になったということは,スピノザはユダヤ人共同体の中で産まれて育ったのですが,それを遵守する必要はないという意味に受け取れます。スピノザはとくに割礼という儀式を重要視しているのですが,そうしたものがユダヤ人のアイデンティティとなり,ユダヤ人を民族として存続させたことをスピノザは認めているのですから,これはつまり,自分はそういうアイデンティティは必要としないし,極端にいえばユダヤ民族が民族として存在し続けなくなっても構わないという意味に受け取れます。確かにスピノザは,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』において,ユダヤ人は再び国家Imperiumを構築するだろうという意味のことをいっているのですが,スピノザ自身がそのことを望んでいたわけではなかったのだと僕は思います。したがって後にシオニストがこの部分を読んで感銘を受けたというのは,ヨベルYirmiyahu Yovelが『異端の系譜Spinoza and Other Heretics : The Marrano of reason』でいっている通り,大いなる勘違いであったと思います。
たぶんスピノザはこういう考えをもっていたのですから,実際に律法や規則を守らなかったことがあったのではないかと思います。そのゆえにスピノザは破門の宣告を受けることになったのではないでしょうか。もちろん破門の宣告は『神学・政治論』が書かれて出版されるより前のことではありますが,たぶんスピノザはまだユダヤ人共同体で生活していた頃からこのような考え,あるいはこれに近いような考えをもっていたのだろうと僕は推測します。もしかしたらそうした考えを表明したり,あるいは公にそういうのではないにしても,親しい人に語ることがあったのではないでしょうか。だとすればそれはユダヤ人共同体にとっては大問題であった筈です。つまり,後藤が『スピノザーナ11号』の中で示しているこの部分は,後藤はスピノザの考え方とメンデルスゾーンMoses Mendelssohnの考え方の相違を明らかにすることを目的としているのですが,それを離れてスピノザについて語られる部分だけを抽出すれば,スピノザが破門を宣告された事情と大きく関連しているように僕には思えるのです。そしてその宣告を受けても,スピノザは考えを改めませんでした。
里見香奈女流王座の先手で中飛車。後手の加藤桃子女流四段が居飛車穴熊に組んだところで先手から仕掛けていく将棋になりました。
第1図から☗5五歩☖同歩☗同飛。これには☖4五歩が手筋。これに対して飛車を逃げるのではなく☗5三飛成☖同金と飛車を切って☗4五桂と跳ねていきました。両取りなので☖4四角☗5三桂成☖同角まで必然の進行。
第2図となって金銀と飛車桂の交換。結果的にいうとこれが無理筋で先手が形勢を損ねました。ただこの仕掛けは,たとえば先手の玉が2八にいれば成立する可能性が残っていますので,居飛車側としては気にしておかなければならない変化のように思います。
加藤女流四段が勝って1勝2敗。第四局は11日に指される予定です。
モーセの律法やラビの指導は,ユダヤ人国家が滅ぼされた時点で無効になったということは,スピノザはユダヤ人共同体の中で産まれて育ったのですが,それを遵守する必要はないという意味に受け取れます。スピノザはとくに割礼という儀式を重要視しているのですが,そうしたものがユダヤ人のアイデンティティとなり,ユダヤ人を民族として存続させたことをスピノザは認めているのですから,これはつまり,自分はそういうアイデンティティは必要としないし,極端にいえばユダヤ民族が民族として存在し続けなくなっても構わないという意味に受け取れます。確かにスピノザは,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』において,ユダヤ人は再び国家Imperiumを構築するだろうという意味のことをいっているのですが,スピノザ自身がそのことを望んでいたわけではなかったのだと僕は思います。したがって後にシオニストがこの部分を読んで感銘を受けたというのは,ヨベルYirmiyahu Yovelが『異端の系譜Spinoza and Other Heretics : The Marrano of reason』でいっている通り,大いなる勘違いであったと思います。
たぶんスピノザはこういう考えをもっていたのですから,実際に律法や規則を守らなかったことがあったのではないかと思います。そのゆえにスピノザは破門の宣告を受けることになったのではないでしょうか。もちろん破門の宣告は『神学・政治論』が書かれて出版されるより前のことではありますが,たぶんスピノザはまだユダヤ人共同体で生活していた頃からこのような考え,あるいはこれに近いような考えをもっていたのだろうと僕は推測します。もしかしたらそうした考えを表明したり,あるいは公にそういうのではないにしても,親しい人に語ることがあったのではないでしょうか。だとすればそれはユダヤ人共同体にとっては大問題であった筈です。つまり,後藤が『スピノザーナ11号』の中で示しているこの部分は,後藤はスピノザの考え方とメンデルスゾーンMoses Mendelssohnの考え方の相違を明らかにすることを目的としているのですが,それを離れてスピノザについて語られる部分だけを抽出すれば,スピノザが破門を宣告された事情と大きく関連しているように僕には思えるのです。そしてその宣告を受けても,スピノザは考えを改めませんでした。
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