日本将棋連盟の米長会長は、女流棋士の独立に関してふたつの試案をもっていたそうです(女流棋士独立5)。経緯から察するに、4月にはこの両案が女流棋士に示されたものと思われます。その後の議論の結果、女流棋士は①の方を目指すという結論になったと理解してよいでしょう。さて、僕の理解では、①の中にある「友好的」ということばは米長会長の中では、女流棋士が米長会長自身(理事会)の助言を受け入れるということ、そして独立した新団体が連盟から資金面の援助を受けるということのふたつを意味していると思います。ところが、新法人設立準備委員会が寄付を募ったので、これが米長会長の逆鱗に触れたようです。これは助言にありませんし、また独自に資金を集めることは、姿勢として連盟からの資金援助を拒否することになるので友好的とはいえないと。友好的ということばをこのように解釈することの是非(これについては僕は別に何もいう気はありません)は別ですが、これが米長会長が意味するところの①にも反するという意味では辻褄は合っているでしょう。しかしその先が僕には理解不能です。まず、準備委員会が連盟と対等な立場で話し合い、また助言通りに事を進めるか、あるいは独自に別のこともやるかは、単に面子の問題で、こんなことは議論にも値しません。一方、連盟の財政状況は現実的に厳しいわけですから、独立した女流棋士が独自に運営可能になり、そこに財政出動することを防いでくれるなら、これはむしろありがたい話に思えます。それでも新法人の運営が苦しくなった折には、そのときになって初めて連盟が一定の援助をするということにすればいいのではないでしょうか。ですからただこれだけのことをもって準備委員会は連盟(理事会)に対して友好的ではなくむしろ敵対的であると非難するのは、すごく理不尽なことをいっているように思えるのです。そしてこうした姿勢が、さらに相手の反発を激化させてしまっているような気がします。
第二部定理六は次のように証明することができます。Aという様態があって、これが神の無限に多くの属性のうちのXの属性の様態であると仮定します。すなわち、Aを、Aに変状した限りでの神のある属性Xと考えるわけです。ところで、第一部定理一〇に注意すれば、神の属性はそれがどんな属性であったとしても、その属性自身によって概念されるわけです。ですのでこの場合も、属性Xの認識(概念)に必要なのはXの属性だけであって、神の属性はこのXのほかにも無限に多くあるわけですが、そうしたX以外の属性は必要とされないのです。ですので、AはAに変状した限りでの神のXの属性と仮定されていますので、Aの概念はXの属性の概念だけを含み、ほかの一切の属性の概念は含まないことになります。そしてAは任意ですので、ここから一般的に、神のある属性の様態は、その様態の属性の概念だけを含み、ほかの属性の概念についてはそれを含まないということが理解できます。あとはこのことを第一部公理四に訴えればいいのです。結果の認識は原因の認識に依存しますから、Aが結果としてある場合にはその原因の認識に依存することになりますが、Aの認識はXの属性の認識だけを含み、ほかの属性の認識を含みません。したがって、Aの概念は属性Xの概念に依存することは可能ですが、それ以外の属性の概念に依存することはできないということになります。したがって一般的に、ある属性の様態は、それが様態となっている属性のもとでのみ神を原因とし(これについては第一部定理一五)、神がそれ以外の属性によって説明される場合にはそうではないということになるのです。
第二部定理六は次のように証明することができます。Aという様態があって、これが神の無限に多くの属性のうちのXの属性の様態であると仮定します。すなわち、Aを、Aに変状した限りでの神のある属性Xと考えるわけです。ところで、第一部定理一〇に注意すれば、神の属性はそれがどんな属性であったとしても、その属性自身によって概念されるわけです。ですのでこの場合も、属性Xの認識(概念)に必要なのはXの属性だけであって、神の属性はこのXのほかにも無限に多くあるわけですが、そうしたX以外の属性は必要とされないのです。ですので、AはAに変状した限りでの神のXの属性と仮定されていますので、Aの概念はXの属性の概念だけを含み、ほかの一切の属性の概念は含まないことになります。そしてAは任意ですので、ここから一般的に、神のある属性の様態は、その様態の属性の概念だけを含み、ほかの属性の概念についてはそれを含まないということが理解できます。あとはこのことを第一部公理四に訴えればいいのです。結果の認識は原因の認識に依存しますから、Aが結果としてある場合にはその原因の認識に依存することになりますが、Aの認識はXの属性の認識だけを含み、ほかの属性の認識を含みません。したがって、Aの概念は属性Xの概念に依存することは可能ですが、それ以外の属性の概念に依存することはできないということになります。したがって一般的に、ある属性の様態は、それが様態となっている属性のもとでのみ神を原因とし(これについては第一部定理一五)、神がそれ以外の属性によって説明される場合にはそうではないということになるのです。