スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

阪神ジュベナイルフィリーズ&通院

2009-12-13 19:11:02 | 中央競馬
 2歳芝の牝馬チャンピオン決定戦,第61回阪神ジュベナイルフィリーズ
 シンメイフジは出遅れ。先手を奪ったのはジュエルオブナイルで,パリスドール,メイショウデイム,モトヒメ,サリエルといった内枠の各馬が先行する形。前半の800mは47秒3で,これはミドルペースですが,その割には縦長の隊列になりました。
 レースの最大のポイントは4コーナーから直線に入るところ。ここで逃げたジュエルオブナイルがなぜか馬場の中央付近まで出てきたのでインがガラリと開きました。内から3頭目に突っ込んできたのがアパパネで,これが一瞬の瞬発力で一気に抜け出しました。ゴール前で脚色が鈍ったために,一旦は置き去りにしたすぐ外のアニメイトバイオに再び詰め寄られましたが,凌いだアパパネが優勝。アニメイトバイオが2着で,その外を追いこんだベストクルーズが3着。
 優勝したアパパネは7月のデビュー戦を3着になった後,未勝利,特別と連勝できて3連勝目で大レース優勝。内が開いたのは捌く手間がなくなった分,ラッキーではありますが,そこで突き抜けたときの脚色は目を瞠るものがありました。距離が伸びていくのは少なくともプラスには作用しない気がします。父はキングカメハメハ
 鞍上は蛯名正義騎手で,一昨年の有馬記念以来の大レース優勝。管理している国枝栄調教師は今年の春の天皇賞以来の大レース制覇。阪神ジュベナイルフィリーズは共に初制覇です。

 すでにお話ししましたように,退院後,最初の通院日は2月2日に設定されました。これは月曜ですが,僕の場合は総合内科の通院日は,その後もずっと月曜で固定されています。これは医師の出勤日の関係もありますから,おそらく今後も変わらないものと思います。
 通院の日の流れというのは,糖尿病に関連する限りいつでも同じですから,最初にそれを説明しておくことにします。
 まず受付ですが,これはふたつ。ひとつは保険証の確認。これは月に1度は必要なもの。したがって,何らかの事情でここの病院,みなと赤十字病院で診察を受けるのが,その月に2度目以降であるという場合には必要ありません。これが終わったら今度は専用の機械に診察カードを入れます。するとその日になすべきことが書かれた受診票が出てきます。なお,僕はこの順で行っていますが,保険証の確認は診察の終了後でも大丈夫です。
 診察の前に検査があります。これは入院中に腹部エコーなど,諸々の検査を行った中央検査室というところ。やる検査は決まっていて,ひとつが採尿でもうひとつが採血。採尿は自分でやるから関係ありませんが,採血はすぐにできる日もありますし,ひどく待たされる日もあります。時間も決まっていて,これが12時から。早くても検査してくれるらしいですが,採血には血糖値の計測も含まれていますので,朝食からある程度の時間は必要です。
 この後で診察なのですが,これは1度だけ2時半に設定されたことがありましたが,あとは3時。したがって昼食はその間に摂ります。最初は病院で食べていたのですが,あまりに間が長いので,今は家に戻って食べ,また病院に行くようになりました。
 診察もすぐに呼ばれる日もあれば,えらく待たされることもあります。場所は同じ1階ですが,総合内科の診察室。これが終わるとまた受付で会計を済ませて帰宅。ただしインスリンの処方箋が出ますから,自宅近くの薬局を経由するということになります。
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バブルカンパニー&食べ過ぎ

2009-12-12 18:55:25 | 血統
 バブルガムフェローの母系を紹介します。
               
 バブルガムフェローの母がフランス産まれのバブルカンパニーという馬。これが日本での祖先になりますので,日本での歴史は古くありません。ファミリーナンバー1-bですから,フラストレートセレタと同じになりますが,近親といえるような関係ではありません。
 バブルカンパニーはアメリカで繁殖生活を送った後,輸入されました。競走馬として初めて走ったのがバブルガムフェロー。この馬の活躍により,同一牝系が輸入されるようになりました。
 バブルカンパニーがアメリカで産んだのがバブルプロスペクター。これもアメリカで繁殖生活を送っていましたが,後に輸入。日本で最初に産んだのがマニックサンデーという牝馬で,この馬はオークストライアルに勝ちました。翌年の産駒も重賞こそ勝てなかったものの活躍。さらに1年を置いて産んだのがダンスインザダークを父に持つザッツザプレンティという馬で,菊花賞を勝ちました。
 バブルプロスペクターは来日以前はアメリカ,フランス,イギリス,イタリアと各地で繁殖生活を送っていたのですが,フランス時代の産駒の1頭,つまりザッツザプレンティの姉がバブルウイングスで,この馬も輸入されました。繁殖生活は日本のみ。産駒の1頭がショウナンパントルで,これは2004年の阪神ジュベナイルフィリーズを勝ち,同年の最優秀2歳牝馬に選出されています。
 最近は鳴りをひそめている感もありますが,この短期間で3頭もの大レースの勝ち馬が輩出したわけですから,まだ発展していく要素はあるのではないかと思います。
 なお,1998年に3歳の短距離重賞を2勝したトキオパーフェクトという馬は,祖母がバブルカンパニーの妹になりますので,日本での母系祖先は異なりますが,同じ一族にあたります。

 もうひとつ,食生活において不便なことがあるとしたら,やはり食べる量が制限されているということでしょうか。実をいうと僕は,性格的にものを食べ残すということがあまり得意というか好きではなく,入院する以前,口渇の症状が出る前は,出されていたものに関しては好き嫌いに関係なく,すべてを平らげていました。もっとも,梅干しだけは別で,これは絶対に口にしませんでしたが。変な話かもしれませんが,食物を残すということに,罪悪感めいたものがあったのです。
 ところが,今はそういうわけにもいきません。もちろん家で食事をするという場合には,きちんと自分の分だけを計量して食べればいいわけで,残すということはしません。カツや天ぷらの衣とか肉の脂身などは取り分けて残すこともありますが,この程度では別に何も感じません。
 一方,外食などの場合には,食べられそうな分だけを注文すればいいので,これも大した苦労にはなりません。少し少な目に注文して,足りないと思えば再オーダーすればいいわけです。また,コンビニなどで買う場合でも,自分で買う分には食べられそうな量はある程度分かりますから,この場合も問題とはなりません。
 ところが,だれかに買ってきてもらうとか,御馳走してもらうというようなケースではそうもいきません。明らかに多ければ残しますけど,ちょっと多いかなという程度ですと,どうしても食べてしまいます。つい先日も,買ってきてもらった弁当のご飯の量が少し多いなと思ったのですが,分かっていながら食べてしまいました。
 こういうとき,血糖値というのは正直なもの。確かにその次に計測した値は,正常値よりもかなり高くなっていました。まあこれは一時的なものであって,すぐに元の状態には戻りますが,こういうケースで食べ過ぎてしまうことがあるのは,やはり今でも変わらない悩みの種ではあります。
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女流名人位戦&不便

2009-12-10 19:00:18 | 将棋
 3人によるプレーオフにもつれ込んだ第36期女流名人位戦A級。7日に指された1回戦では岩根忍女流二段が千葉涼子女流三段を降し,今日の里見香奈倉敷藤花との挑戦者決定戦に進出してきました。対戦成績は里見倉敷藤花が3勝,岩根二段が6勝。
 振駒で先手は岩根二段。両者とも振飛車党なので相振飛車は予想されましたが,相三間飛車となりました。序盤早々から珍しい進展に。
               
 先手が7筋の歩を交換したところ。ここで後手は△5五角と出ました。相振飛車の狙い筋としてある手ですが,実際に指されるのは珍しいのではないでしょうか。後手はこの後,角を8二に引きました。これは玉を囲いにくくなりますから,急戦を目指すことになります。先手も歩を駆使して受け,第2図に。
               
 後手はここで△4五歩と打ちました。銀挟みとは少し違いますが,6六に引けば香車を取って角が成れます。先手はそれを受けて▲3七桂。それでも△5四歩。引いてはつまらないので▲3五歩△同飛▲4四銀ですが,王手で△3七角成。▲6八玉に△5九馬と捨て,▲同金に△3八飛成(第3図)と王手で龍を作りました。
               
 これで後手がよいというわけでなく,まだ難しいと思います。ただ,角を転換した作戦の顔は立ったといえそうです。この後,先手が猛攻をかけ,チャンスもあったように思いますが,最後は凌いだ後手の反撃が決まり,勝ちました。
 里見倉敷藤花が挑戦者に。清水市代女流名人との五番勝負第一局は,来年の1月24日です。

 このような食生活を送るようになると,いろいろと不便を感じることがどうしても生じてきます。もちろん間食ができないということもそうですが,こんなことは我慢すればいいだけの話で,さしたる問題ではないのです。
 食前にはインスリンを注射します。しかしインスリンを注射すれば,低血糖症状という副作用を防ぐために,ある程度の量,決められた量の食事をする必要があります。すなわち,軽く食事をするということはできないのです。きちんと食べるか,そうでなければ食べないかという選択しかありません。インスリンを注射する量が決められているのでこうしたことが生じるわけですが,これが意外に不便さをもたらすのです。
 先日のことですが,友人の結婚式の二次会のパーティーが,ホテルの立食バイキングという形式で行われ,僕も参加してきました。当然ながら食べ物が用意されているわけですが,こういう場合に僕の選択肢としては,それ自体を一食の食事としてインスリンを打つか,そうでなければインスリンは打たずに食べないでいるかという二者択一となってしまうのです。よくあるように,軽く食べて,また後で別に食事をするというようなわけにはいきません。
 ちなみにこのときは,キノコのソテーや海草のサラダなど,熱量を気にしないでいい料理だけを食して,ほかのものには手をつけず,このパーティーが終わってから別に食事をしました。このために食事の時間が11時近くとかなり遅くなってしまい,睡眠前の血糖値が高くなってしまったのですが,これはあくまでも問題点としては二次的なもの。時間が経てば下がります。しかし一時的にみるならば,こうしたことも避けることができないのです。
 この場合のように,きちんと食事を摂取するか,そうでなければ食べないでいるという選択しかないということには,いろいろな場面で不便さを感じます。これは入院前の生活ではもちろん,入院中にも想定できていないことでした。
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クイーン賞&計量

2009-12-09 20:12:08 | 地方競馬
 数少ないハンデ戦として行われる地方競馬場における交流重賞のクイーン賞
 戦前から逃げると公言していたシスターエレキングの逃げ。テイエムヨカドーが2番手でこれを追い,内にワールドレデー,外にユキチャンが並ぶ隊列。最初の800mは49秒6で,最初の400mがやや早かった分だけこれはハイペースでしょう。
 向正面ではシスターエレキングが一杯となり,テイエムヨカドーが自然と先頭に。これにユキチャンが並び掛け,ヤマトマリオンなども追っては来たものの,前とは離されてしまい,直線はほぼマッチレース。格下のテイエムヨカドーも軽ハンデの分だけ頑張りましたが,ゴール手前でユキチャンが前に出て優勝。テイエムヨカドーが2着で,内目から差してきたパノラマビューティが3着。
 優勝したユキチャンは昨年の関東オークス以来となる久々の勝利で重賞2勝目。除外が多く思うようにレースが使えなかったために南関東に転入。2戦目で結果を出しました。ヤマトマリオンと2キロ差というハンデは多少恵まれたような気はします。父はクロフネ
 新たに主戦となったのは川崎の今野忠成騎手で,南関東重賞は9月にトゥインクルレディー賞を制しています。前走から管理しているのは川崎の山崎尋美調教師。クイーン賞は共に初制覇。

 退院予定日を通告されたのが8日というかなり早い段階であったということもあり,僕は退院の翌日,すなわち1月21日の水曜日からはもう以前と同様の生活スタイル,すなわち,昨年の暮れにほぼ寝たきりの状態になる以前の生活スタイルと同様の生活を再開しました。体調という面だけからいえば,すでに入院中から日常生活に支障は生じないだろうということが想定できたのです。また,食前にはインスリンの注射が必要でしたが,周囲がどう感じるかは別として,僕にとってはこれは簡単なものでしたから問題になりようがありませんでした。
 ただ,一点だけ,入院前とは大きく変えなければならないことがありました。それは食生活です。といいますのも,すでに何度も説明しましたように,糖尿病患者には食餌療法が,そもそも治療法のひとつとしてあるからです。したがって以前のように間食をするということは,熱量を含まないようなおやつを別にすればできなくなりました。たとえば前は夜にテレビを見ながらポテトチップスを食うというようなこともしばしばあったわけですが,こうしたことは不可能になったのです。
 さらに,各々の食事に関しても,指定されている通りの栄養素を摂取しなければなりません。こういう場合に教科書が頼りになることはすでに説明しましたが,もうひとつ,気にするようになったのが,食品に示されている熱量です。入院前はこんなことは気にも留めていませんでした。
                  
 それから,教科書には各々の食品の1単位がどのくらいの量であるかは示されていますが,その量もある程度は正確に測らなければなりません。ということで計量器を購入しました。
                  
 さすがに外へ持ち歩くということはしませんが,家ではこれを使って食品の計量をしています。
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伊東記念&退院

2009-12-08 19:06:26 | 競輪
 来年のS級S班を決める最後の戦いとなった伊東記念の決勝(動画)。並びは岩本-中井の南関東,浅井-山田-坂上の中部,村上-市田の近畿で,佐藤と渡部はそれぞれ単騎。
 動画が途中からなのではっきりしないのですが,村上が前受け。渡部が3番手で4番手に岩本。佐藤が6番手で7番手から浅井という周回だった模様。
 浅井から動いて残り2周のホームで村上を叩きにいきましたが,ここは村上が突っ張り,浅井も無理せずバックで4番手に入りました。打鐘から岩本が発進し,ホームからバックにかけて村上と激しい先行争いを繰り広げ,バックでは岩本が前に。しかし佐藤が離れたため,このラインの3番手にスイッチした渡部が,岩本が出たと見るやすぐに発進。そのまま捲りきり,流れの中で渡部マークという形になった浅井も振り切って優勝。浅井が2着で,浅井を追走する形となった佐藤が3着。
 優勝した愛媛の渡部哲男選手は1月の立川記念以来の記念競輪優勝。単騎での戦いを強いられましたが,上手に立ち回り,結果的に先手ラインの3番手を取りきる形となりました。もう少し上での活躍が期待される選手のひとりです。

 薬剤師が僕のところに来たのが9時半頃。たぶん話していたのは10分くらいだったのではないかと思います。それから10時前に事務員が来ました。会計のための書類,つまり請求書などを渡されまして,これで会計を済ませれば無事に退院できるということになったのです。荷物に関しては前夜のうちから用意して,もうすでにバッグにしまってありましたので,僕としては準備万端ではあったのですが,まだ現金を持ってくる母が来ませんでしたので,会計をすることができず,そのまま待っていました。その間は向いの患者④と話をしていたのですが,とにかくこの方は1日でも早く退院したいと思っていたようでしたから,退院していく僕に対して少し羨むような気持ちがあったように感じました。もっともそれはごく自然なこの人の感情の表れであったといえるでしょう。
 母が来たのは10時を少し回ってからでした。会計を済ませたら再び戻って手首のバーコードを取り外してもらわなければなりませんでしたので,荷物の方はベッドの上に置いたまま,会計機がある1階まで下りました。冷蔵庫を動かしたりテレビを視聴したりするためのカードは,残った分については払い戻しができるということでしたので,先にそちらの専用機で払い戻しを受けた後,入院費を支払いました.そして8階まで戻り,バーコードを外してもらって退院ということになりました。1月20日の午前10時20分頃でした。
 母の自動車で家に戻り,年末から年始にかけて何もしていなかったわけですから,やらねばならないこともたまっていましたが,とりあえずパソコンの電源を入れました。そして入院していたことを報告する記事だけ,取り急ぎ書き上げたのです。
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ジャパンカップダート&インスリンの管理

2009-12-06 19:42:49 | 中央競馬
 アメリカから1頭の招待馬を交えて争われたジャパンカップダート
 内からエスポワールシチーが出ていくと,その外にアメリカのティズウェイが並びかけ,この2頭が正面スタンドでは引っ張る形。しかしコーナーワークで1コーナー過ぎにはエスポワールシチーが単独で前に出ての逃げ。ティズウェイ,サクセスブロッケン,アドマイヤスバル,ワンダースピードといったあたりが先行集団を形成。最初の800mは48秒8のミドルペース。
 向正面でマコトスパルビエロが外を上昇していき,3コーナーでは2番手まで上がりましたが,エスポワールシチーには関係なし。再びコーナーワークで差を広げ,直線に入ってもさらに伸びて3馬身半もの差をつける圧勝となりました。後方から直線勝負に賭けたシルクメビウスが2着で,同様の競馬となったゴールデンチケットが3着。
 優勝したエスポワールシチーはこれでかしわ記念,南部杯に続き大レース3連勝。この着差は決定的なものといえ,現在の日本競馬のダートチャンピオンといっていいと思います。この馬が強い競馬をしたために,2着と3着には追い込んだ馬が届いたものでしょう。父はゴールドアリュール,母系はチップトップジーゲリンの分枝。エスポワールとはフランス語で希望という意味だそうです。
 鞍上は佐藤哲三騎手で管理しているのは安達昭夫調教師。ともに南部杯以来の大レース制覇で,ジャパンカップダートは初優勝です。

 すでに説明しましたように,入院中のインスリンの管理に関しては病院任せでした。しかし退院しますと当然ながら自分で管理しなくてはいけなくなります。これに伴い,このときの薬剤師の訪問では,その管理方法についての説明もありました。
 まず基本的に,インスリンは冷蔵庫で保存します。適温は2℃から8℃で,日光を避けるのが原則です。なお,冷凍庫に保存してしまいますと,性能に問題が生じてしまうようです。通院から次の通院までの期間は現在だとおよそ2ヶ月と長いですから,インスリン,僕の場合は2種類ですが,とくに量を多く打つ超速効型の方は何本も処方されます。そこでこうしたインスリンについては冷蔵庫に保存しておくということになります。
 ただし,これは未使用のインスリンに限った話です。使用中の物に関しては,常温で保存するのが基本です。というのは,急激な温度の変化が繰り返されることによっても,インスリンの効能に支障が生じる場合があるからです。いつでも家で食事をするならば,その都度,冷蔵庫にしまっておけば問題はありませんが,当然ですが家以外の場所で食事をするという場合もあるわけで,そういうわけにもいきません。よって使用中のインスリンは,下の写真のバッグに入れておきます。
                
 これはこのときに薬剤師からもらったもの。中に2本のインスリンと,何本かの注射針が入れられるようになっています。僕は入院中からインスリン注射をしていたわけですから,これを渡された時点でその残りの分も入っていました。注射器はそう簡単に壊れるものではないと思いますが,剥き出しではどんな衝撃がかかるか分かりません。このバッグに入れておくことによって,そうした危険を回避できますし,何より携帯するのに便利です。
 なお,インスリンは37℃を超えるとやはり性能に問題を起こすようです。したがって夏場などは,あまり温度が上がりすぎないようにも注意しなければなりません。
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クラフティワイフ&薬剤師

2009-12-05 18:56:41 | 血統
 天皇賞マイルチャンピオンシップと連勝。引退して種牡馬となることが決まったカンパニーの母系を紹介します。
                
 日本での歴史は古くありません。カンパニーの祖母が輸入された馬で、クラフティワイフファミリーナンバー9-aです。
 繁殖生活は日本のみ。初仔がブリリアントベリーという牝馬で、この馬が1999年に産んだのがアルゼンチン共和国杯を勝ったレニングラード。カンパニーはこのレニングラードの半弟、もっともカンパニーの父、ミラクルアドマイヤの父が、レニングラードの父でもあるトニービンなので、正確には4分の3弟となります。
 ブリリアントベリーのすぐ下の弟、つまりカンパニーの叔父ですが、これがマイラーズカップを勝ったビッグショウリ。そしてその弟として1998年に産まれたのが2003年の中山グランドジャンプを制し、同年の最優秀障害馬に選出されたビッグテースト。カンパニーはこの一族では2頭目の大レース勝ち馬となったわけです。
 この程度の歴史でこれだけの活躍馬が輩出しているわけですから、今後も発展していく一族なのではないかと思います。

 G先生による最後の回診が終わった後、今度は薬剤師が僕のところに来ました。この人は糖尿病教室で講義をしたのと同じ人。30代後半から40代前半と思われる男の人でした。非常に温厚な語り口で、それが印象に残っています。
 みなと赤十字病院では、通院の際には薬は処方されず、処方箋が渡され、それを持って薬局で薬を購入するということになります。これはもちろんインスリンの場合も同様で、現在は僕はそのようにしてインスリンと注射針を入手しています。なお、血糖値を計測するキット、つまりセンサーと注射針ですが、これは薬品ではありませんので病院で医師から渡されるものです。処方される量というのは基本的に次の通院までに間に合う量ですが、いくらかは余分に処方してくれます。したがって注射器が1本残るというケースもあります。
 しかしこのときは通院ではなく退院ということなので、この薬剤師がインスリンを処方してくれました。次の通院日はおよそ2週間後の2月2日と決まっていましたので、その間のもの。それと同時に、下の写真のおくすり手帳というのをもらいました。
                
 これは通院して薬剤を処方されている方ならご存知のものかもしれません。病院や薬局で薬を処方されますと、処方された薬剤の名前や効能、使用する量や時間などが印刷された紙が渡されます。この紙はシールになっていまして、これを剥がしてこの手帳に貼り付けます。こうすれば僕たち患者はいつどんな薬をどの程度処方されたか分かりますし、また医師や薬剤師も、これを見ることによって、患者がどんな薬を使用しているかを理解できますから、ある薬と別の薬を併用することによって生じる弊害を回避することができます。
 ちなみに、インスリンにもこうした弊害はありますし、また単独の薬品で、血糖値の急激な変化をもたらしやすいものもあります。この手帳を携帯することにより、そうした弊害を排除することができるようになるわけです。
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勝島王冠&最後の回診

2009-12-03 19:27:30 | 地方競馬
 昨日の大井競馬場では、今年から新設された南関東重賞の勝島王冠がありました。
 好発はクレイアートビュンでしたが外からヴァイタルシーズが先頭を奪って逃げ。クレイアートビュンが2番手、ロイヤルボスが内、ラッキーブレイクが外に続く形。前半の800mが52秒4というかなりのスローペースとなりました。
 1番人気のセレンはいつも通りに後方の位置取りでしたが、向正面から徐々に上昇。そのままコーナーも外目を回って直線の入り口では前を射程圏内に。よい手応えのまま直線に入って追われると、後続を一気に突き放して快勝。大外から伸びたマズルブラストが2着に入り、逃げ粘ったヴァイタルシーズが3着。
 優勝したセレンは前走のグランドマイラーズに続いて南関東重賞連勝で2勝目。ここは16頭中、重賞ないし南関東重賞の勝ち馬が13頭、残る3頭も2着はあるという、南関東重賞にしてはかなり強いメンバー構成。それをいつもより早めのレースでいつも通りの末脚、しかも斤量面の恩恵なしですから掛け値なしに強かった。今後が楽しみですし、間違いなく重賞でも通用する馬だと思います。父はマーベラスサンデー
 鞍上は船橋の石崎隆之騎手で、グランドマイラーズ以来の南関東重賞制覇。管理している船橋の佐藤賢二調教師とともに、記念すべき第1回にその名を残しました。

 前日の夜に言い残していったように,G先生は翌朝,すなわち僕が退院する20日の朝に,また僕のところに来ました。これで退院となるわけですから,もちろんまた入院するという可能性がないということはありませんが,この8階の病室でG先生と話をする最後の機会となったわけです。
 退院後の注意点については,すでに前日の夜の時点である程度のことを聞かされていましたから,このときは大した話はなかったと思います。ただ,インスリン注射による副作用で低血糖の症状が出たとき,血糖値を計測して、もしもそれが70mg/㎗であれば,必ずなにがしかの対策,なにがしかの対策といっても要するにこれはエネルギーを摂取するということ以外にはないわけですが,そうした対策を講じるようにという注意は受けました。こうした注意はもうすでにされていたと思うのですが,改めて確認されたといったところ。このことからも分かりますように,医師や看護師というのは,僕のようなⅠ型糖尿病患者の場合には,血糖値が高くなることよりも,むしろ低くなりすぎないようにすることの方を心配するのです。このことからも、いかに低血糖というのが危険な副作用であるのかということを理解していただけると思います。
 なお,回診ということばを使いますと,何か医療行為をなすように思われる方もいるかもしれませんが,基本的にそれはありません。たとえば聴診器を当てられるなどというのはだれでも1度はされたことがある医療行為と思いますが,こういうことは僕は入院中には1度もされませんでした。体温と血圧,脈は計測していましたけれど,日常的にはそれ以上のことは何もありません。そもそも医師の回診というのは,行われなかった日の方が多いくらいです。
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女流名人位戦&事務員

2009-12-02 18:56:25 | 将棋
 第36期女流名人位戦A級は、千葉涼子女流三段がトップで今日の最終局を迎えました。その千葉三段の相手は本田小百合女流二段。
 リーグ戦ですので振駒はなく、千葉三段の先手。本田二段の一手損角換り1-Ⅰ。先手の棒銀となりました。早い段階から全面的な戦いとなり、先手が龍、後手が馬を作って第1図。
            
 端を破って龍を作っていますから先手の作戦自体はうまくいったのですが、棒銀は取り残されましたし、後手が居玉のためにかえって響きは薄くなっています。ということで後手はここで△5五香と打って反撃。先手は▲3四歩と銀を取りましたが、△5七香成以下の攻撃は、先手玉に近い分、厳しいものがありました。20手ほど進んで第2図。
            
 後手の攻めがつながるかギリギリに思えますが、ここで△1二歩と打って馬の動向を聞いたのがよい手だったと思います。先手は▲3一馬で攻め合いを選んだため△6八歩成。以下、先手玉周辺の金銀をすべて剥がして第3図。
            
 ここで△3二金引として馬を無理やり取りにいったのが最後の決め手となりました。以下は角を入手した後手が先手玉を寄せきっています。
 6勝2敗で追っていた里見香奈倉敷藤花と岩根忍女流二段は共に勝ったため、3人が7勝2敗で並び、挑戦者の行方はプレーオフに持ち込まれることとなりました。第1戦は7日に千葉三段と岩根二段の間で行われます。

 僕が入院していた8階の総合内科の病棟の中央にはナースステーションがあったのですが,このナースステーションの一角に,この病棟の受付のようなところがありまして,そこには常時ひとりかふたりの事務員がいました。実をいいますと,眼科検診など,1階で通院患者に混じって行われる検査の際に,検査ができる状況になったのでその場所へ行くように指示を受けたのは,この事務員からでした。といいますのは,1階で行う検査というのには,自室で行うのとは異なり,手首のバーコードではなくて,診察券が必要だったのですが,この診察券は事務員に預かってもらうようになっていたからです。つまり事務員が診察券を持ってきて僕に渡し,検査から病室に戻ってきたら今度は僕の方から診察券を事務員に預けるというようになっていたのです。もちろんこの診察券は,退院後は僕に渡され,通院の際にはこれが必要になります。
 この事務員が19日の夕食後,7時半頃に自室に来ました。これが最終的な退院の手続きの確認でした。詳しい会計が翌日の10時から遅くとも10時半までには届くので,これが届いたら1階で会計を済ませ,再び8階に戻って手首のバーコードを取り外して退院になるとのこと。この話から分かるように,入院費が具体的にいくらになるかは翌朝にならなければ不明だったのですが,僕がこれについて尋ねますと,概算ではこれくらいになるだろうという金額を示してくれました。いくらといわれたのかは忘れてしまったのですが,実際の入院費というのは20万円強で,それとさほどの開きはなかった筈です。
 さすがにそれだけの現金は持ち合わせていません。ということで僕は家に電話して,このことを伝えました。そして翌日の10時頃に,母が現金を持って迎えに来るということになりました。母は自動車で来ますので,手続きを済ませた後、病院からは乗って帰るということになったわけです。
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玉野記念&退院前夜

2009-12-01 19:04:13 | 競輪
 競輪グランプリの出走メンバーは確定しましたが、S級S班のメンバー入り争いはまだ続いている今年の競輪。今日は玉野記念の決勝(動画)でした。
 並びは小嶋-吉田の中部に深沢、稲垣-村上の京都には足達、守谷-岩津-吉永の中国。
 Sは村上が取って稲垣の前受け。中団が守谷で後方から小嶋の周回。残り2周半から小嶋が上昇開始。ホームで稲垣を抑えると、続いた守谷がバックで小嶋を叩いて打鐘先行。一旦は4番手を取った小嶋でしたが、ホームから追い上げた稲垣に被せられ不発。その稲垣のバックからの捲りは好回転でしたが、3コーナーから岩津に番手発進され、さらに吉永にも牽制されてスピードダウン。そのまま抜け出した岩津が優勝。大外を鋭く伸びた深沢が2着に食い込み、稲垣が3着。
 優勝した地元・岡山の岩津裕介選手は5月の一宮記念以来となる記念競輪2勝目。どちらかといえば番手戦で売ってきた選手という印象ですが、今日も番手捲りで、シビアなレースという意味では似たところがあるかもしれません。前も後ろもよい仕事をしてくれました。

 これら入院中の最後の検査が終了した19日,G先生が僕の自室に来たのは午後5時頃のことでした。16日の検査のときにも検査結果を伝えに来ましたので,このときも同様の目的で来たのではないかと今は思うのですが,実は僕の記憶の中には,この結果の伝達についてはまったく残っていません。本当になかったのかもしれませんし,あるいはただ僕が忘れてしまっただけなのかもしれませんが,いずれにしても,もしも検査の結果について何か重大なものがあったならば,こういうことが生じるとは考えられませんから,検査についてはどちらも異常がなかったと考えておくのが妥当であろうと思います。
 退院日が翌日に迫っていましたから,このときの主な話題は,その退院に関することでした。僕の興味がそちらに向いていたとしても、これは自然なことでしょう。まず,退院というのは一般的には午前10時頃になるとのこと。これはまだお話していなかったのですが,入院患者というのはすべて左の手首に入院患者であることを示すプラスチック製のいわば腕輪をはめていました。これは個人を識別するためのバーコードがついているもので,医師や看護士がテレビをパソコンとして用いる場合には,このバーコードを最初に読み取る必要があるものでした。したがって取り外せないようになっていまして,たとえばシャワーを浴びるときでも,これはつけられたまま。退院となればこれは外されるわけですが,入院費用が収められなければ外されないシステムになっているとのこと。僕も買い物をするための現金は持っていましたが,入院費ほどの多額ではありませんでしたから,これは解決する必要がありました。
 このときG先生からほかに伝えられたことは,退院後に自分で注射するインスリンについては当日になって渡されるということ。そして血糖値の計測については,しばらくの間は入院中と同じ時間,すなわち1日に4度続けるということ。そして2週間ほど後に,次の通院日を設定しておくということでした。このときはこれだけ。G先生はまた明日の朝に来ますといって,この日は病室をあとにしました。
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