デュッセルドルフの北20kmにあるデュイスブルクのランドスケープパークっていうのがあって、古い製鋼所の施設が敷地内に遺してある。
http://www.landschaftspark.de/der-park
↑このサイトはドイツ語です。
「アウグスト・テュッセン製鋼所」でググっても出てこなくて、「ランドスケープパーク」で出てきた。
ドイツの人の感性って素敵。古いものを大切にするって、こういうことなんだけどね。日本の役所にはこういう感性は全くない。
危ないっちゃ危ないんだけど、基本、全部自己責任なんだよね。
何でもかんでも規制したがる日本って、結局中途半端に無責任なだけなんだよね。
日本だと「事故が多くて面倒臭いから全面立ち入り禁止」とか多い。子供の頃から何が危険なのかを自律的に判断するように教育されていないから、ひたすら規制しておくっていう短絡的発想しか出てこないんだろうね。
地方の中学校だと「ヘル中。」とか言ってダサいヘルメットを強制されることによって、自発的にはヘルメットを被ることを忌み嫌うように「学習。」させられてしまうから、余計にヘルメットを被らなくなってしまう。疋田智も言ってた。
これって結局通学の時だけ事故が軽減されればいいやっていう、教育者の手抜きなんだよね。だから当人の自主性が全く育まれない。
民主的に議論することを全く排除しておいて、民主主義なんて機能するわけないんだけどね。結局制度だけが民主主義なだけで、それを実行する民衆自体に民主主義の意義が全く理解できていないから、やたらと強制排除が横行する。
危ないことは楽しいもの。だからこそ安全というのは自分自身で確保しながら楽しむことが重要なのです。
やたらと危険なことをしたがる奴っていうのは、本質的には自発的にやっていないからであって、一種強迫観念的にやりたがるから危険をかえりみなくなってしまう。
精神に余裕がない。他人の迷惑はおろか、自分の身の安全すら意識が働いていないわけですね。だからやたらと「余裕だぜ。」とか強調したがる。
本当は余裕があるものなんて楽しくはない。ギリギリこそが本当は楽しいわけです。当人がギリギリだと認識しているから安全対策も自発的にする。
ギリギリをずっと楽しみたいからこそ、安全対策にも神経が働くわけです。
だから、暴走族的に危険なことをする奴っていうのは、本当は本心から楽しんではいなくて。やっていることに対する「これは楽しいものである。」という固定観念によって強迫観念が根本なので、「どうせ死んだっていいや。」的な自暴自棄な行動に走ってしまうことになる。
甥っ子が小さい頃に、友達とテレビゲームをやっていた時に、「おまいたちはゲーム好きなのか?。」って聞いたことがある。そしたら「別に。」って答てきた。
「テレビゲームとは、楽しいものである。」といった、いわば固定観念。ゲーム機を買ってもらった手前、「そう思わないと仕方ない。」的な事後正当化として、漫然とテレビゲームをやっているだけだったのである。
子供の頃からランドスケープパークみたいなところで大人に混ざって遊びを覚えていたら、自暴自棄で漫然とした遊びには走らないと思う。
クソゲーの類で金を散財したりするのも、「皆」という環境の中においての競争心を煽られて、自制心を失った結果なのである。
冷静になって、「〇〇に対して自分は執着しているけど。これって本当に自分が自主的に楽しくてやっていることなのかな。」と考え直す精神的余裕というものが必要。
暴走族がケーキ作ったって、誰にも迷惑なんかかからない。
クソゲーとかパチンコで散財している暇があったら、他にもっと建設的な楽しみを探した方が、自分の人生にとっては重要なのです。
撮り鉄の中にも、危険な行為をする人がいるけど。それって「自分だけが特別に凄い写真を撮れた。」ことを自慢したいというのが根底にある。
強迫観念的に競争することを、学校教育では植え付けられてしまっているから、精神に余裕というものが全くないわけです。でも、それを「教育が悪かった。」なんて環境依存的な言い訳をしていては、それこそただのバカでしかありません。
バカで構わないというのであれば、日本ではなくて北朝鮮にでも亡命して下さい。迷惑なんですよ。正直ね。レスキューも救急も税金なんですから。
赤ん坊を自動車に置き去りにしてまでパチンコするなんて、明らかに優先順位がおかしいでしょうが。