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書き逃げアンドロイド。
副交感神経が優位になるような写真が好き。
副作用。
2012年01月12日 16時40分56秒
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日記
こういうのって副作用はないのかな。LDLが大量に血中に回ったりしないのかな。こわいわー。
太るっていうのは動物的行動習性が現代社会に適応できてないからシーケンシャルに太るのであって、逆に自転車とかにハマったりするとみるみる痩せてみたりする。
自転車っていうのは大発明なんだから、社会体制として優先するようにすればいいんだと思う。別に疋田智の肩持つわけじゃないけどさ。
コメント
凡庸性。
2012年01月12日 16時11分05秒
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意識論関連
以前にも言ったことがあるんだけど、脳内において特定可能な領野というのは、いわば汎用的でパタン化された動作回路であるからこそ領野が特定できるのであって。領野が特定可能であるということは機械条件反射的な無意識機能であることの論証でもある。
生物学/医学系しか知らない研究者だと、このことは感覚的に掴みづらいのかも知れないが。電子工学系の知識も持つ研究者ならわかるのではないか。
シーケンス演算回路というのは、特定の演算においては高速で高機能を発揮できるが。これは特定演算に特化されているからこそ高速高機能なのであり、回路自体は非常に単純に「整理。」洗練されたものだと言える。だが、それゆえに条件反射的でもあり、短絡的でもある。
シツケを間違えたイヌが飼い主の手を噛むという条件反射的行動習性というものも。いわば環境の変化に対して対応することができず、予め組み込まれた本能習性のままに「暴走。」しているのである。
背内側前頭前野の働きが原因で意識狭窄が生ずるというのも、この領野の条件反射性による「暴走。」が原因であり。対処対応能力の欠落を意味する。
予め組み込まれた条件反射的な処理機構というものは、汎用的な特定機能に特化したものでしかない。
汎用なのか特化なのか、と問われそうであるが。汎用的に「普段使用する機能」として特化されたという意味であり。あらゆる条件において常に本質的な汎用性を発揮できるようなものではない。
言い換えれば「凡庸性。」に特化されているのであって、本質的には「汎用性。」にはなっていないということである。
イヌは特定環境状況下においては、従順で扱い易い性質も発揮することが可能ではあるが。特定環境以外においては対処対応するという意味において汎用性を持つことができず。本能習性の「暴走。」を自律的に止めることはイヌの脳にはできない。
つまり、「概ね汎用的。」な機能だけに「特化。」されている場合。「概ね。」という普段普通の一般的状況環境下においては高速高機能を発揮できるので。普段普通の一般的状況環境下においてのみ「特化。」学習され、神経回路が「整理。」されている状態が無意識状態なのである。
脳内部において特定可能な領野というものは、常に無意識的条件反射演算しかしないからこそ、無意識行動的に神経回路に「整理。」され、それ以外の演算に対応する機能の喪失も伴う。
本質的意識機能というものは、おそらく特定の領野によって条件反射的に動作するような演算回路ではなく。状況に応じた本当の意味における汎用的演算能力というものは、脳全体のどこで演算されているのかを特定することは不可能であると考えられる。故に本質的意識機能というのは遅くて重たい処理なのである。
本質的客観性としての論理的思考能力というものは、感情本能のバイアスとは全く異なる演算処理であり。これはそもそもドーパミンの常習性などによる「整理。」とか「行動学習。」とは全く異なる演算処理である。従って脳内部の特定領野によって論理性を伴う意識的思考が行われるようなものではなく。「より広い意識。」を保つ本質的客観性というものは、むしろ特定領野などによって意識狭窄的に囚われるような演算処理とは正反対のものである。
こうした本質的意識機能、論理的客観性というものは。感情本能やそれによって作り出された無意識的条件反射に左右されないからこそ発揮されるものであり。自己自身の感情を自律的に抑制することによって実現可能となるものである。
無意識的な条件反射行動というのは、その危険性を論理的に認識していなければ気分的には「安心。」なものである。「今まで、ずっとそうだった。」ことというのは気分的には「安心。」なものなのであり、論理的合理性を伴うようなものではない。イヌが服従対象を求めるのも、既に本能的に組み込まれた行動習性の機械条件反射的な反応であって、これに論理的合理性など存在しない。後天的な行動「学習。」による無意識的条件反射であっても同様である。
コンピュータ回路における汎用性(凡庸性)というのは、あくまで機械条件反射演算における汎用性であって。人間の知性のような本質的汎用性を持った対処対応能力とは全く異なるものである。だからコンピュータは高速短絡的で「バカ。」なのである。CPUにおける汎用性というものは、あくまで機械条件反射的演算における汎用性でしかなく。本質的な人間の知能のように、知能自体を自発的自律的に創出することは原理的にできないし、設計上想定されてもいない。だから未だにプログラミングは人間が手作業でコーディングしているのである。現在のコンピュータは自律的には自分の動作を決めることはできないのである。
コンピュータは人間が行う全てのことを代行できるわけではない。教えたこと以外を自律的には全く行えないからである。そうした「汎用性。」しか持ち合わせておらず、これはヒトの場合には「凡庸性。」と言わざるを得ない。
普段の日常生活において「概ね。」危険を伴わない状況が長く続くことによって。その「普段の日常生活。」上においてのみ「特化。」されてしまえば、「普段の日常生活。」以外の状況や環境への対処対応能力は喪失することになる。
権威に服従しておけば「概ね。」危険性はない。それをあたかも絶対的に危険性が存在しないかのような錯覚に陥らせるのが無意識的な気分的「安心。」による行動バイアスの「学習。」や「整理。」というものである。アイヒマン実験における被験者の行動「結果。」というのは、こうした無意識的な行動によって作り出されたものなのである。
日常生活における行動「学習。」によって「整理。」された思考というものは。あくまで大脳辺縁系によって無意識に作り出された機械条件反射的行動でしかない。ドーパミンの常習性によって作り出された気分的「安心。」でしかないのである。アイヒマン実験の被験者のような状況というのは、日常生活上はあまりない特殊な状況である。権威者の命令に従わず無視するというのは、気分的な嫌悪感を伴うものである。それでもヒトは自分自身の自律的判断によって社会的責任を優先すべきであり。それで初めて「人間。」としての社会性を発揮することが可能となるのである。
「そんな特殊な場面には自分は陥らない。」と勝手に決め付けることも簡単であろう。振り込め詐欺の被害者達のほとんど全員も「自分だけは大丈夫。」だと勝手に論理的根拠もなく決め付けていたからこそ簡単に引っ掛かったのである。
背内側前頭前野の機能による意識狭窄、不安感で意識が奪われる状態に陥るのも。その条件反射的な機能によるシーケンシャルな「流れ。」によって、不安感自体によって意識狭窄がさらに暴走するような自己増殖暴走性を持っているからである。こうした「特殊な場面。」に対応する機能は背内側前頭前野には組み込まれていない。
耳鳴りというのも、いわば脳内における共振、発振現象である。耳鳴りは意識するとなかなか消えてくれないが、他のことに集中しているとすぐに消えてなくなる。
感情的意識(無意識)を逸らす。意識的に感情的集中を解くといった脱集中として、他の自発的に熱中できることに集中してみるというのは効果がある。うるまでるび氏の「仕事のヘビーローテーション。」というのは、無意識的意識としての感情を抑えるためには有効な手法だと思われる。
感情というものは自己増殖的な暴走癖というのがあり、感情的に特定の価値観に囚われると客観性を失うことになる。客観性というものは、こうした感情的暴走を自律的に抑制するための手法手段を持つことによって獲得することが可能である。コンピュータが暴走するのも、コンピュータが純粋に機械であり条件反射的な無意識動作以外をできないために、自律的には暴走を止めること、客観的に自己動作を抑制することができないのである。バカというのは本質的な客観的がないからバカなのである。
感情を優先しないことを「冷酷。」であると、一般的には「思われ。」るらしい。これは「合理性=利己的欲望。」という大衆的固定観念による思い込みであり、自分の気分的「安心。」を追及する本能的反射行動を事後正当化するための屁理屈でもある。「自分だけは常に正しい。」と、ヒトは思い込むのである。
「いままでずっと大丈夫だった。」ことをいくら抽出枚挙しても、それによって「これからも永遠に大丈夫である。」ことの論証にはならないのである。
脳科学者の多くは、脳内部の特定領野の現象論だけで全てを説明することに囚われているようである。無意識的条件反射ではない本質的意識機能というものは、構造的に特定領野の血流増加によって説明されるようなものではないと考えられる。現象によって立証されるのは傾向性の抽出だけである。本質的意識機能というのは決して傾向性を持つようなものではなく、むしろヒトにおいては非常に稀な現象であって。傾向的現象から抽出しようとするのは間違いの素にしかならない。
何か機械条件反射的に「特定領野=意識。」といった図式によって意識が抽出可能であるという観念に囚われているとしか思えない。そのパラダイムは捨てるべきである。
傾向的現象から抽出可能な特定領野から説明される無意識性のほとんどは、むしろ「悪い結果。」を導くものであることを前提に考えるべきである。これはウケ狙いでやっている純粋さのないエセ研究者には難しいのかも知れないが。科学的研究においては大衆からのウケを求めず、論理的にも純粋に「考える。」ことを避けてはならない。特定領野から何かを説明できると大衆を観念的に説得するのには効果的ではあるが、こうした「手口。」に溺れるべきではない。
「瞑想さえやっときゃ健康だ。」などという短絡的結論を導き出すようでは、科学者として出来損ないである。考えが浅過ぎて話にならない。こうした短絡的結論の方が大衆ウケは良いことはわかっている、こうした大衆ウケを求めてしまうというのは研究自体に純粋な興味、自発性が欠落している証明であり。極めて不純と言わざるを得ない。
「ヒトというのは、デフォルトでは騙されやすく、間違いに陥りやすいものである。」ことを前提に考えなければ、ヒトが起こすあらゆる過ちについて検証することはできない。ヒトの「傾向性。」や「習性。」といったもの、無意識的条件反射行動の全ては「悪い結果。」「間違いの素。」であることを大前提にすべきである。それは世間的にはウケが良くないのかも知れないが、無意識性を排除する方向性を提示できなければ意識的な自律判断は促されることはないのである。
マスコミは何が何でも気分的「安心。」と論理的「安全。」性をセット販売にしたいらしいが。これもまた世間的ウケ狙いであり、大衆迎合である。論理的「安全。」性を追及するためには気分的な「安心。」だの「不安。」といったものは意識的には無視するという客観性が必要不可欠である。
マスコミ文科系観念として、多数の科学者の意見を多数決的に集めてくれば、それで科学的裏付けになると思っているようであるが。現在の脳科学、生物学というのは実証不能の観念を全く認めていないオカルト学会であることを認識すべきである。オカルト学者の多数決から論理的裏付けなど取れるわけもなく。それは「科学的論証。」にはなっていないのである。
「多数の要望に応えること=社会的責任を負うこと。」という短絡的なものではないのである。科学的論理的に安全性を追及するためには、大衆の観念的意識に異を唱えなければならないこともある。それを忘れて目先の大衆迎合に溺れていて「自律的な社会的責任判断。」にはならない。
反論風味な話で「多くのことを説明できる理論は、危険である。」などと言い出すバカもいるらしい。それなら「多くのことを説明できない実証不能の観念は安全である。」論証などどこにある。
文科系の者というのは、相手の言っていることを論理的に検証することを嫌い。すぐに観念的に迎合して思考を停止させてしまう。「なぜ危険であると言えるのか。」といった論理的追及を全くしたがらない。こうした雰囲気主体の迎合性こそが最も科学的客観性を失う原因なのである。
客観性を喪失する原因となる脳機能を指して、「客観視くん。」などと形容するのは間違いであるという客観性が欠けている。客観性を喪失する原因となる機能であるなら、それは「主観くん。」であることくらい自律的に気付いて頂きたいところである。
権威者の言っていることを鵜呑みにすることしかできないなら、報道としての社会的役割を果たしていない。だから「マスゴミ。」とか呼ばれてしまうのである。
頼むから少しは「考え。」ておくれ。
end;
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