イヌに意識がないことは明らかである。目的意識がないからこそ、社会形成習性を利用してヒトにとって便利に行動誘導をすることが可能だからである。
イヌは単にエサに釣られて脳の報酬系が促した行動学習のままに行動しているに過ぎない。
ヒトであっても評価報酬のためにユダヤ人殺害計画書を作成することもあるように。脳の報酬系に学習された無意識な行動というものには目的意識が存在しない。
たとえチンパンジーの一種ボノボがセクハラ痴漢行為で満足することで直接暴力行為に至らないことであっても、そんなことで倫理性の証明にならないことは当たり前の話である。 バカなんですか?。
気分が悪いからといって、誰彼構わずチンポコなすりつけて満足したから直接暴力行為に至らないことが倫理性の論証になんかなるわけないでしょ。 どんだけバカなんすか。
イヌが、その先天的本能習性によって、統率的に役割分担を行うことが「高度」であると見なしても、その「高度」さ自体には知能の論証にはならない。 所詮は特定能力の程度問題でしかないからだ。
サヴァン症候群における特定能力をどんなに世間的に評価しても、自律的な社会的責任判断力とは無関係な特定能力についての尺度でしかない。
それと同じでイヌや振り込め詐欺やISILがどんなに高度な統率役割分担を行ったとしても、そんなものが人間性を伴った本質的知能の論証になどならないのである。
先天的に何らかの特定能力が高いことはあるだろう。それが一般的なヒトよりも優れていたとしても、短絡的に「知能が高い。」ことの論証にはならないし。ましてや人間性の論証にもならない。
人間性を発揮しない特定能力の高さだけをどんなに抽出枚挙しても、それは人間としての知能の論証にはならず。非常に偏った普遍性を持たない知能論に過ぎない。
ヒトは自分の気分が良くなる相手を「賢い」と錯覚する性質がある。そのため動物好きな生物学者達の多くは動物に対して過剰な知能を妄想しがちでもある。
相手を「賢い」と見なせば、ヒトはその相手にとって有利な行動をもするようになる。
オウム真理教教祖を「賢い」と信じ込んだ幹部達は、教祖にとって有利になるような行動しか採らなくなった。それは決して特殊なものではなく、ナチス政権下のドイツ人の多くも陥ったものであり。同じヒトという種の生物であれば誰でも陥る平凡な特性でもあるのだ。
進化生物学におけるこじつけ論証に対して、おいら以外の誰も反論しなかったことも。その顕れである。
こうした先天的な頭の悪さを認識せず、「自分だけは絶対に大丈夫。」だと盲目的に信じ込んでいれば気分的には安心で満足感が得られるのであろう。
気分的な安心満足感というのは、ヒトの論理検証性に対して阻害するよう働くことはあっても、論理検証性を働かせるようには出来ていないのである。
Ende;
イヌは単にエサに釣られて脳の報酬系が促した行動学習のままに行動しているに過ぎない。
ヒトであっても評価報酬のためにユダヤ人殺害計画書を作成することもあるように。脳の報酬系に学習された無意識な行動というものには目的意識が存在しない。
たとえチンパンジーの一種ボノボがセクハラ痴漢行為で満足することで直接暴力行為に至らないことであっても、そんなことで倫理性の証明にならないことは当たり前の話である。 バカなんですか?。
気分が悪いからといって、誰彼構わずチンポコなすりつけて満足したから直接暴力行為に至らないことが倫理性の論証になんかなるわけないでしょ。 どんだけバカなんすか。
イヌが、その先天的本能習性によって、統率的に役割分担を行うことが「高度」であると見なしても、その「高度」さ自体には知能の論証にはならない。 所詮は特定能力の程度問題でしかないからだ。
サヴァン症候群における特定能力をどんなに世間的に評価しても、自律的な社会的責任判断力とは無関係な特定能力についての尺度でしかない。
それと同じでイヌや振り込め詐欺やISILがどんなに高度な統率役割分担を行ったとしても、そんなものが人間性を伴った本質的知能の論証になどならないのである。
先天的に何らかの特定能力が高いことはあるだろう。それが一般的なヒトよりも優れていたとしても、短絡的に「知能が高い。」ことの論証にはならないし。ましてや人間性の論証にもならない。
人間性を発揮しない特定能力の高さだけをどんなに抽出枚挙しても、それは人間としての知能の論証にはならず。非常に偏った普遍性を持たない知能論に過ぎない。
ヒトは自分の気分が良くなる相手を「賢い」と錯覚する性質がある。そのため動物好きな生物学者達の多くは動物に対して過剰な知能を妄想しがちでもある。
相手を「賢い」と見なせば、ヒトはその相手にとって有利な行動をもするようになる。
オウム真理教教祖を「賢い」と信じ込んだ幹部達は、教祖にとって有利になるような行動しか採らなくなった。それは決して特殊なものではなく、ナチス政権下のドイツ人の多くも陥ったものであり。同じヒトという種の生物であれば誰でも陥る平凡な特性でもあるのだ。
進化生物学におけるこじつけ論証に対して、おいら以外の誰も反論しなかったことも。その顕れである。
こうした先天的な頭の悪さを認識せず、「自分だけは絶対に大丈夫。」だと盲目的に信じ込んでいれば気分的には安心で満足感が得られるのであろう。
気分的な安心満足感というのは、ヒトの論理検証性に対して阻害するよう働くことはあっても、論理検証性を働かせるようには出来ていないのである。
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