イデア論というのは「頭の中に先天的に分類が予め組み込まれている。」とするプラトンの妄想である
「男とはこういうものだ。」と先天的に脳内に分類が組み込まれていると錯覚していて「男は女を好きになるものである。」という方程式が出来上がる
LGBTの問題もヒトというもののイデアが予め先天的に組み込まれた完全なものであると見なしていることから生ずるのであり そんなもんが先天的にないことは近年のAIの研究によって明らかになっている
「○○とは、こういうものだ。」という思い込みの類いというものは 先天的に組み込まれているものではなく 後天的な機械学習によって分類されるものである
大衆の多くは 学習の全ては常に頭が良くなるものであると勘違いしているフシがあるのだが 機械学習というのは観念的な「思い込み」も作り出すものであって それによってむしろ頭が悪くなることも充分にある
マイクロソフトのAIがヘイトスピーチを始めたのも AIが「学習」した一つの結果でもある
産まれたばかりの鳥類の脳に見られるインプリンティング(刷り込み学習)というのは、最初に見たものを盲目的に親か何かと勘違いする性質のことである
こうした刷り込み学習において 鳥のヒナが最初に見た相手を親的なものと「学習」する際に 「親とは、こういうものだ。」というイデアが先天的にあるわけではないからこそ 相手がヒトだろうがネコだろうが親的なものだと「学習」してしまうのである
脳内では ある程度多少のハードウェア的な認識区別のメカニズムが先天的にあるらしいことは言われているものの 大半の区別は産まれた後になってから「学習」することで作り出されるものである
カルト宗教を信じ込んで疑うことをしなくなるのも 脳が機械学習することによって「教祖様の言うことは常に正しい。」という盲目性が生じてしまうからである
ヒトという種の生物は 哺乳類である
哺乳類というは産まれてくると初期的には全て子供であるため 親の養育を必要とする
そして親の養育を受けるためには親に盲目的に服従することが先天的な習性として組み込まれてもいる
この先天的に組み込まれた盲目的な服従の習性が 続柄としての親を超えて集団組織の内部における統率者へと転移が生ずることによって 封建的な統率協調行動が採れるようにもなる
これが ヒトに限らずイヌなどの哺乳類全般に見られる生物学上の「社会性」なのだが
従来の生物学においては 封建的であろうと暴力威圧的であろうと「統率的に協調行動が採れる。」という事柄だけを論拠に あたかも「人間としての社会性」の論証でもあるかのように述べてきた
これが まず 大間違いなのである
統率的な協調行動を採れることによって これが生存価において有利に働くことで 結果的に自然環境から受ける過酷な淘汰圧力を免れ「進化(変異)」してきたとは言えるのだが
言っておくが進化というのは 個体が何か目的意識に基づいた考えや願いや呪いに従って起こせるものではなく あくまで「生存にとって有利に働いた」という結果でしか遺伝的進化は促進されることはない
草食動物が足の遅い個体から天敵に襲われることによって 結果的に足の速い個体への進化が促されたのと同様
統率的協調性であっても それを発揮した個体が「生存にとって有利に働いた」結果以上に意味はない
暴力的であろうと非人道的であろうと とにかく統率的協調行動さえ採れれば生き残ることは出来るのであって ISILのような暴力集団が他の集団を淘汰することによって 暴力集団だけが生き残った可能性もある
実際中世の戦乱は暴力こそが絶対的正義だったことからも 生き残った個体に人間性が組み込まれている保障は何もない
イジメにおいても差別や暴力に反対するとイジメ排除の標的にされてしまう事実からも イジメ差別は「やった者勝ち」であって 自律的に学級内における安全性や暴力的独裁を止めることは生存価にとって不利に働くことはあっても有利に働くことはない
「結果的に生存していた」からといって 自動的に人間性が組み込まれる構造など存在しないのである
断片的な論証として 集団内部での利他的行動習性傾向を抽出することは可能であるが 仲間内で仲間内にとって有利になるだけの行動が人間性であるとは言えないのである
何度でも取り上げるが国会原発事故調査委員会報告書にあるように「組織の利益を優先し、個人が自律的に社会的責任を負わなかった。」ことが 最も根源的な事故の原因であり 同時にこれこそが本質的な人間性の有無を指し示す基準でもある
「組織の利益を優先」することというのは 断片的には「集団組織にとって利他的行動」でもある
自分が所属する集団組織にとって有利な行動であるが故に 社会全体にとっては無責任な行動を促すことは珍しいことではない
軍隊というものは その内部において上官の命令に絶対的に服従することによって統率的協調性を発揮することが出来るのだが それが大量殺人であろうとも何の疑いも持たずに実行出来るという点においては 個人の自律的な判断力は不具にさせるものでもある
アブグレイブ政治犯収容所における虐待が生じたのも 兵隊というものは自律的に責任ある判断選択を最初からするつもりがないからである
こうした無責任な虐待行動というのは 学生を使った社会心理学実験においても再現可能なものであり 米国などで複数回行われた監獄実験においても簡単に虐待は生じるものだったのである
ヒトという種の生物は先天的には差別や虐待をする先天的習性がある だから子供達だけで放置するとイジメは簡単に始まるのである
子供は年齢が低い程 自律的判断力が低いからでもある
ヒトという種の生物は 哺乳類であるため親と子の関係性において上下の順位序列がどうしても生じてしまう
生存能力の低い子供に対して 親は服従を強要しなければ子供の生存すらも維持出来ないこともあるからだ
子供は見通しの悪い交差点を左右確認せずに飛び出すことがあるが これがどれだけ危険かを親大人がどれだけ説明しても理解できない場合がある そういう時は「道路に飛び出したらきつく叱る。」ことによって 論理的説明を後回しにしてとりあえず「叱られる恐怖」と引き換えに行動抑制を行わなければならないこともある
しかし 子供が成長する過程において「叱られる恐怖」ではなく子供自身が自律的に問題意識を持つよう根気強く説明を繰り返す必要性が 本当はある
ところが である 親がそういった根気強く問題意識を持つよう説明をされて育てられていない場合 子供に対しても同じように根気強い説明をしなくなる性質というものがある
いわゆる「連鎖」である
虐待が「連鎖」するのと同様に ネグレクト(育児放棄)も連鎖をする
そして ネグレクトというものも程度問題であって 軽いものから重篤なものまで様々あるが 連鎖するという点においては同じなのである
こうした「連鎖」がどうして生ずるのかと言うと これらの行動は全て無意識に行動学習した結果だからである
鳥のヒナのインプリンティングと同様 自分の成育環境において行われた(または 行われなかった)行為というものは 機械学習的に刷り込まれたものであるため 無意識的に「連鎖」してしまいがちなのである
子供が自律的に社会的責任判断力を身につけるためには 子供の主体的意思を尊重することによって 子供自身が主観的で個人的な好き嫌いと 客観的な論理検証を区別できるようにしなければならない
養老孟司の母親は 養老の意思をあまり尊重せずに何かと強要させられたらしいのだ それが原因で支離滅裂な話で大衆人気を得て世間的成功ばかりを基準にするようになったのではなかろうか
まあ 良いや 養老みたいなオカルトジジイは他にも無数にいるし あくまでオカルトジジイが科学的権威として扱われ続けることが社会的に危険で問題だから取り扱っているだけなので 養老の個人攻撃が目的ではない
むしろもっと問題なのは オカルトジジイをそれと認識せずに多数大衆人気を根拠に科学的権威として持ち上げてしまってる大多数の大衆マスコミの無責任さの方にある
オウム真理教事件においては教祖こそが最も悪人であるかのように取り扱われているが 教祖は眼も見えない障害者であり その視覚障害者の言っていることを鵜呑みにして実行したバカな多数の幹部達がいたからこそ大規模なテロにまで発展したのである
それなら見方によっては教祖はお伽話をしていただけであって そのお伽話を鵜呑みにして勝手にテロを実行した多数のバカ幹部にこそが最大の原因であると言えるのである
「お伽話をしていた」だけなら「言論の自由」の範疇ではないか それなら教祖は無罪であり 養老もまた無罪である
オイラはむしろ 教祖がどのように幹部達をテロに導くことが出来たのかを理論的に分析し 具体的な再発防止策として洗脳の具体的手口について知識を社会的に共有することを優先すべきだったと考えている
そうでないと同じような洗脳が再発する可能性を潰したことにはならないからだ
養老による大衆洗脳手法も論理的に分析すれば再発防止においては有効だと言えるだろう それなら養老を殴ることよりも養老の著作を大衆がどのようなメカニズム構造によって科学的理論だと錯覚したのかを徹底分析することの方が社会的には価値があるはずである
言っておくがオイラは刑法廃止論者である 罰ではあらゆる事象の合理的な再発防止策にはつながらないからである
Ende;
「男とはこういうものだ。」と先天的に脳内に分類が組み込まれていると錯覚していて「男は女を好きになるものである。」という方程式が出来上がる
LGBTの問題もヒトというもののイデアが予め先天的に組み込まれた完全なものであると見なしていることから生ずるのであり そんなもんが先天的にないことは近年のAIの研究によって明らかになっている
「○○とは、こういうものだ。」という思い込みの類いというものは 先天的に組み込まれているものではなく 後天的な機械学習によって分類されるものである
大衆の多くは 学習の全ては常に頭が良くなるものであると勘違いしているフシがあるのだが 機械学習というのは観念的な「思い込み」も作り出すものであって それによってむしろ頭が悪くなることも充分にある
マイクロソフトのAIがヘイトスピーチを始めたのも AIが「学習」した一つの結果でもある
産まれたばかりの鳥類の脳に見られるインプリンティング(刷り込み学習)というのは、最初に見たものを盲目的に親か何かと勘違いする性質のことである
こうした刷り込み学習において 鳥のヒナが最初に見た相手を親的なものと「学習」する際に 「親とは、こういうものだ。」というイデアが先天的にあるわけではないからこそ 相手がヒトだろうがネコだろうが親的なものだと「学習」してしまうのである
脳内では ある程度多少のハードウェア的な認識区別のメカニズムが先天的にあるらしいことは言われているものの 大半の区別は産まれた後になってから「学習」することで作り出されるものである
カルト宗教を信じ込んで疑うことをしなくなるのも 脳が機械学習することによって「教祖様の言うことは常に正しい。」という盲目性が生じてしまうからである
ヒトという種の生物は 哺乳類である
哺乳類というは産まれてくると初期的には全て子供であるため 親の養育を必要とする
そして親の養育を受けるためには親に盲目的に服従することが先天的な習性として組み込まれてもいる
この先天的に組み込まれた盲目的な服従の習性が 続柄としての親を超えて集団組織の内部における統率者へと転移が生ずることによって 封建的な統率協調行動が採れるようにもなる
これが ヒトに限らずイヌなどの哺乳類全般に見られる生物学上の「社会性」なのだが
従来の生物学においては 封建的であろうと暴力威圧的であろうと「統率的に協調行動が採れる。」という事柄だけを論拠に あたかも「人間としての社会性」の論証でもあるかのように述べてきた
これが まず 大間違いなのである
統率的な協調行動を採れることによって これが生存価において有利に働くことで 結果的に自然環境から受ける過酷な淘汰圧力を免れ「進化(変異)」してきたとは言えるのだが
言っておくが進化というのは 個体が何か目的意識に基づいた考えや願いや呪いに従って起こせるものではなく あくまで「生存にとって有利に働いた」という結果でしか遺伝的進化は促進されることはない
草食動物が足の遅い個体から天敵に襲われることによって 結果的に足の速い個体への進化が促されたのと同様
統率的協調性であっても それを発揮した個体が「生存にとって有利に働いた」結果以上に意味はない
暴力的であろうと非人道的であろうと とにかく統率的協調行動さえ採れれば生き残ることは出来るのであって ISILのような暴力集団が他の集団を淘汰することによって 暴力集団だけが生き残った可能性もある
実際中世の戦乱は暴力こそが絶対的正義だったことからも 生き残った個体に人間性が組み込まれている保障は何もない
イジメにおいても差別や暴力に反対するとイジメ排除の標的にされてしまう事実からも イジメ差別は「やった者勝ち」であって 自律的に学級内における安全性や暴力的独裁を止めることは生存価にとって不利に働くことはあっても有利に働くことはない
「結果的に生存していた」からといって 自動的に人間性が組み込まれる構造など存在しないのである
断片的な論証として 集団内部での利他的行動習性傾向を抽出することは可能であるが 仲間内で仲間内にとって有利になるだけの行動が人間性であるとは言えないのである
何度でも取り上げるが国会原発事故調査委員会報告書にあるように「組織の利益を優先し、個人が自律的に社会的責任を負わなかった。」ことが 最も根源的な事故の原因であり 同時にこれこそが本質的な人間性の有無を指し示す基準でもある
「組織の利益を優先」することというのは 断片的には「集団組織にとって利他的行動」でもある
自分が所属する集団組織にとって有利な行動であるが故に 社会全体にとっては無責任な行動を促すことは珍しいことではない
軍隊というものは その内部において上官の命令に絶対的に服従することによって統率的協調性を発揮することが出来るのだが それが大量殺人であろうとも何の疑いも持たずに実行出来るという点においては 個人の自律的な判断力は不具にさせるものでもある
アブグレイブ政治犯収容所における虐待が生じたのも 兵隊というものは自律的に責任ある判断選択を最初からするつもりがないからである
こうした無責任な虐待行動というのは 学生を使った社会心理学実験においても再現可能なものであり 米国などで複数回行われた監獄実験においても簡単に虐待は生じるものだったのである
ヒトという種の生物は先天的には差別や虐待をする先天的習性がある だから子供達だけで放置するとイジメは簡単に始まるのである
子供は年齢が低い程 自律的判断力が低いからでもある
ヒトという種の生物は 哺乳類であるため親と子の関係性において上下の順位序列がどうしても生じてしまう
生存能力の低い子供に対して 親は服従を強要しなければ子供の生存すらも維持出来ないこともあるからだ
子供は見通しの悪い交差点を左右確認せずに飛び出すことがあるが これがどれだけ危険かを親大人がどれだけ説明しても理解できない場合がある そういう時は「道路に飛び出したらきつく叱る。」ことによって 論理的説明を後回しにしてとりあえず「叱られる恐怖」と引き換えに行動抑制を行わなければならないこともある
しかし 子供が成長する過程において「叱られる恐怖」ではなく子供自身が自律的に問題意識を持つよう根気強く説明を繰り返す必要性が 本当はある
ところが である 親がそういった根気強く問題意識を持つよう説明をされて育てられていない場合 子供に対しても同じように根気強い説明をしなくなる性質というものがある
いわゆる「連鎖」である
虐待が「連鎖」するのと同様に ネグレクト(育児放棄)も連鎖をする
そして ネグレクトというものも程度問題であって 軽いものから重篤なものまで様々あるが 連鎖するという点においては同じなのである
こうした「連鎖」がどうして生ずるのかと言うと これらの行動は全て無意識に行動学習した結果だからである
鳥のヒナのインプリンティングと同様 自分の成育環境において行われた(または 行われなかった)行為というものは 機械学習的に刷り込まれたものであるため 無意識的に「連鎖」してしまいがちなのである
子供が自律的に社会的責任判断力を身につけるためには 子供の主体的意思を尊重することによって 子供自身が主観的で個人的な好き嫌いと 客観的な論理検証を区別できるようにしなければならない
養老孟司の母親は 養老の意思をあまり尊重せずに何かと強要させられたらしいのだ それが原因で支離滅裂な話で大衆人気を得て世間的成功ばかりを基準にするようになったのではなかろうか
まあ 良いや 養老みたいなオカルトジジイは他にも無数にいるし あくまでオカルトジジイが科学的権威として扱われ続けることが社会的に危険で問題だから取り扱っているだけなので 養老の個人攻撃が目的ではない
むしろもっと問題なのは オカルトジジイをそれと認識せずに多数大衆人気を根拠に科学的権威として持ち上げてしまってる大多数の大衆マスコミの無責任さの方にある
オウム真理教事件においては教祖こそが最も悪人であるかのように取り扱われているが 教祖は眼も見えない障害者であり その視覚障害者の言っていることを鵜呑みにして実行したバカな多数の幹部達がいたからこそ大規模なテロにまで発展したのである
それなら見方によっては教祖はお伽話をしていただけであって そのお伽話を鵜呑みにして勝手にテロを実行した多数のバカ幹部にこそが最大の原因であると言えるのである
「お伽話をしていた」だけなら「言論の自由」の範疇ではないか それなら教祖は無罪であり 養老もまた無罪である
オイラはむしろ 教祖がどのように幹部達をテロに導くことが出来たのかを理論的に分析し 具体的な再発防止策として洗脳の具体的手口について知識を社会的に共有することを優先すべきだったと考えている
そうでないと同じような洗脳が再発する可能性を潰したことにはならないからだ
養老による大衆洗脳手法も論理的に分析すれば再発防止においては有効だと言えるだろう それなら養老を殴ることよりも養老の著作を大衆がどのようなメカニズム構造によって科学的理論だと錯覚したのかを徹底分析することの方が社会的には価値があるはずである
言っておくがオイラは刑法廃止論者である 罰ではあらゆる事象の合理的な再発防止策にはつながらないからである
Ende;