書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○オチ。

2018年10月10日 23時27分56秒 | 意識論関連
養老孟司の言っている内容がオカルトだっていう件なんだけど

最近の若い人は養老孟司自体ほとんど知らなくて「東大で教授やってた」程度の認識しかないらしい

養老の著作って昭和脳なバカヲヤヂ共には人気があって 本気で意味があると思われていたのよ

昭和世代が「養老孟司を読め」とか言い出したら そいつ頭おかしいから注意してね

時折「何でも良いから本を読め」だとか言い出す昭和脳もいるんだけど

知識の「量」ばっか追求して「知能だ」とか思っているからそんなこと言い出すのよね

そ う い う こ と で は な い か ら ね

「これさえやっときゃ頭が良くなる」的な短絡安易な発想自体がバカの発想なので

疑うことも論理的に検証する気持ちもないバカの言うこと信じても同じバカになるのがオチです



Ende;
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○欠陥。

2018年10月10日 15時41分10秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物は 物事を論理的に検証することが先天的に嫌う習性があります

なぜ嫌うのかというと それが主観的な好き嫌いとの相性が悪いからです

NHK解説委員の室山哲也が「人類は絶対に絶滅します。」などという科学的論証のない勝手な決め付けを行うのは それによって論理的思考を停止させることで主観的な感覚にとって満足感が得られるからです

養老がむやみやたらと勝手な決め付けをするのも それが気分的に満足感や安心感を与えてしまうことによって 読者も気分的に安心感を得て その安心感によって簡単に洗脳されてしまうことで人気が得られ 金儲けが出来たからです

学力や学歴を短絡的に「頭が良い」ことの論理証明か何かと勘違いするのも 「多数派がそう思っているから」安心して鵜呑みに出来るわけです

養老の論法には「安心して同じを追求すれば良い」という気分的安心を論拠にした結論が出てきます これは読者が気分的に安心さえすれば安全性か何かと勘違い錯覚してくれるという ヒトの普遍的習性を利用したペテンの手口の一つです

ヒトという種の生物は 気分的に安心したり満足すると 短絡的に論理検証を停止する習性があります

振り込め詐欺も実は同じ手法を用いているのです

振り込め詐欺では 一度「犯罪になる」だとか「還付が受けられなくなる」などと言って被害者を怖がらせ その後「お金さえ振り込めば大丈夫」という安心感を提供することによって被害者を誘導する

養老の著作においても似たような論法があり 社会的に問題になっている話題を取り上げてから どうにも理解不能な訳のわからぬ屁理屈で思考を撹乱した後 「これさえやっときゃ大丈夫」であるかのような結論で読者を気分的に安心させ 内容が実際には「何も言ってない」ことを誰も論理的に検証しないようにさせているわけです

「脳は同じを追求する。」という件では 本能習性としての多数派同調性が促す共感や共鳴という観念的な習性と 論理的な安全性の知識共有をゴチャマゼにすることで あたかも「気分的な共感共鳴さえしておけば大丈夫なんだ」という錯覚を促します

集団的にヘイトスピーチとかやっているバカ共って もしかしたら養老に洗脳されているのかも知れません

脳というのは 本能習性が促す気分感情による行動バイアスと 自発的な論理検証に基づいた目的意識的な行動選択の二つがあります

前者は無意識であり 後者が人間としての本質的な意識です

前者は進化の過程で残された「結果」であって 後者は人間としての「目的」の源です

ヒトの大半は 気分感情が促す行動バイアスこそが本質的な意識であると 何となく錯覚しています それは気分感情というものが「実感」という感覚的な強度や程度を持っているからですが これこそがむしろ無意識な条件反射的なバイアスに過ぎないことの証明でもあるのです

ヒトは条件反射的行動バイアスによって 振り込め詐欺師の誘導に簡単に引っ掛かってしまいます

ちょっと冷静に考えれば嘘だと見抜くことが可能であるにも関わらず 反射的に無意識に感情が促す強度程度に引きずられる形で詐欺師の言っていることに疑いを持たなくなるのです

気分的な安心感を安全性の論証か何かだと錯覚することで 本当は安全性にとって重要な論理検証能力が麻痺させられてしまうのです

マイケル:サンデルに答の出しようもない制限だらけの問題を提示され 本来答なんぞ出しようもないことは明らかなのに その問題に対して気分的に「悩ましい」気分になったことを あたかも論理的に「考えた」考えたかのように錯覚し 更には「自分は頭を使ったので、頭が良くなった。」かのように錯覚して 「自分の頭を良くしてくれたサンデル先生は素晴らしい」などと思い込み その主観的感覚に過ぎない「素晴らしい」という感想を根拠に「好き」になり その主観的「好き」によって疑うことを一切しなくなる

サンデルが「倫理だ正義だ」と言ってさえいれば 本当はその話の中には倫理も正義も存在していないことには誰も気付くことはありません

ヒトは好きな人が言っている内容を安心して信じたい習性があり 逆に嫌いな人が言っている内容はどんなに論理的根拠が伴っても信じようとはしない傾向性があるのです

洗脳されたカルト教団教徒が教団内部の話しか耳を貸さなくなるのと一緒です

ですから 振り込め詐欺師というのは 言葉巧みに「好きになってもらう」ことで詐欺が成立しているとも言えるのです

要は言葉の「マッチポンプ」みたいな仕組みです

散々原発の津波に対する脆弱性をほったらかしにしておいて いざ原発が暴走したら命懸けで対処に当たれば人気が出た発電所の所長と一緒です



個人的に好きな人だからといって常に正しいことを言っているとは限らないし 同時に嫌いだからといって常に間違ったことしか言わないとも限らない

また 多数派や 多数派によって承認された権威であれば常に正しいことを言っているとも限らない

重要なのは 個人が自律的に論理検証判断することであって それによって初めて責任ある一人の人間としての行動選択が可能となるのです



権威とは何かというと 結論から言えば服従対象になります

盲目的に信用できる誰か 親以上に信頼できる対象として 権威という順位序列を決めているに過ぎません

決めておくと気分的に安心するからです

決めておけば自分でいちいち考えたり疑ったり論理検証したりといった面倒臭くて嫌なことはしなくて済む だから権威というものを多数派で共有しておけば気分的に安心する

ヒトの脳というのは目先の安心感ばかりを追求しがちな傾向があり 論理的に安全性を深く検証することを後回しにする傾向があるのです

権威というものの絶対的抽象化したものが「神」です 言うなれば「超親」であって 盲目的に信頼服従出来る絶対的存在として「神」という概念を作り出すことで 気分的に安心する

やっぱり「安心」が根拠です

「神がいないなら、何をしても許される。」などという訳の判らぬ話が出てくるのも「社会の安全性や持続可能性ですら神が担保してくれるはずだ」という勝手な妄想に起因するのです

社会安全性とか持続可能性っていうのは ヒトが求めているものであって ヒトじゃない誰かが求めているわけではありません

権威という 自分よりも上と見なした相手の言うことを盲目的に信用信頼しておけば 自分で判断選択して行動する責任も放棄することが出来ると錯覚することも 権威服従の一つの動機となります

権威というのは科学的には証明出来ません 「科学的権威」とは言っても そもそも科学というのは宗教みたいに絶対的なものではありませんし 実際現在の生物学界や哲学界のようにオカルトジジイ達が牛耳っていることも珍しいことではありません

権威というのは 多数派から承認されて「権力を持って威張っている。」だけであって 科学的論証というのはこうした多数決で決定出来るようなものではないのです



「利己」というと 金儲けの話だけだと思われがちですが 主観的な好き嫌いだけを追求すること全般の話でもあります

オウム真理教において教祖の命令に従っておくことは 個人の金儲けにはなりませんが集団組織にとっての利益にはなりますから これもまた利己性の一つの形になります

東電福島第一原発における津波に対する脆弱性放置も 「組織の利益を優先し、個人が自律的な社会的責任を負わなかった」という集団的利己性が促した無責任行動選択です

そしてこれらに共通する「個人の自律的な社会的責任判断力の欠如」の原因は 権威服従という盲目性が最大要因だと言えるでしょう

こうした権威服従による自律の欠落は 自律よりも権威服従の方が優先しがちな脳の先天的な傾向性に原因があります

ヒトは先天的に人間としては欠陥品だと言うことです だから様々な「人災」が後を絶たない



科学的真理の追求というのは それによって安心とか満足といった快楽が得られるわけではなく 客観的な事実認識というものが安全性にとって必要なものだから社会人の義務として追求「しなくてはならない」のであって 観念的な共感や共鳴のような先天的行動バイアスを追求「したい」こととは正反対のものなのです

こうした分別(ふんべつ)を蔑(ないがし)ろにし 単なる個人の主観的好き嫌いの共鳴共感を安全性の論証とゴチャマゼにしてしまうから 差別スピーチのような意味のわからない暴走「人災」が起きることになる



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○日暮れ。

2018年10月10日 10時34分35秒 | 写真






荒川の岩淵水門(赤門)の辺りから 新荒川大橋方向

この日は雲が多くて夕焼けなんかならないだろうと思ってたら日没直前に急に真っ赤に染まった

いや 予測はつかないね なるたけカメラ持ち歩かないと



Ende;
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