無意識が促す「うっかり」行動というのは 意識的に「こうしよう」って考える前に身体が勝手に動いてしまうことで起きる現象なわけよ
だから脳内に「意識を介さずに先に手が出たりするショートカット回路」があっても そんなに不思議なことじゃない
昔 「十回クイズ」ってのがあったじゃん 「みりん」って十回言わせておいてから「鼻の長い動物は?」って問うやつ
「みりん」って十回言わされたことで 反射的に何か関連があんじゃねぇのかと錯覚させることで「キリン」ってうっかり言わされちゃうわけよ
これも脳内における言語関係のショートカット回路が関係しているんだと思うよ
言語機能ってのはパソコンで言えばI/O(入出力回路)みたいなものなので 日常的に習熟している「手を動かす」的な行動と似たようなものなので こうしたうっかりが発生する
論理的に物事を考える時には言語が必要だと「思われ」ているんだけど 実は何かに気付く時っていうのは先に言語があるわけではない
「あれ、何かおかしくね?」という感覚的違和感が先に来て その後から言語で論理的に説明することが出来るようになる
物事に気付くことに馴れてない場合 この感覚って多分わかんないんじゃないかな
「ヒトの99.8%は戦争をしていない、このことに気づけば戦争はなくなる。」なんて話を聞いて鵜呑みに出来るのは 十回クイズで「キリン」と反射的に答えているのと同じようなものなのね
そこに自発的論理検証は介在していなくて 「京都大学学長という権威が言っていることは常に正しいはずだ」という脳内のショートカット回路によって 自発的論理検証性がスルーされちゃう
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験において 被験者が権威の命令に無為に服従して他人に危害を加えてしまうのも 脳内にこうした無意識ショートカット回路があるからだと言える
ユダヤ人の大量虐殺計画を立案しても それが自分の住む社会にとって莫大な害を及ぼすとしても 身体の方にはその害を感じる「味覚」のような本能的に拒絶反応を促す感覚器がないもんだから 「俺の身体は痛くねぇ。」とばかりに平気で むしろ率先してユダヤ人殺害計画に邁進する
ナチス政権下においてはユダヤ人を淘汰することは正義だったからね
自律のない者の場合 無責任な行動を多数派から咎(とが)められるまでは自律的に自分の行動を反省することがない
マスコミやネット上などで世間の多数派にバッシングされてから 初めて「取り返しのつかないことをしてしまいました、反省しています。」では遅いのよね その場限りには反省したような気分にはなっているものの本当は気分観念的なものでしかないので治りはしない
多数派から咎められることで初めて恐怖を「感じる」ようになるから それで気分観念的に反省をしているだけであって 自律のないバカは実は多数派からのバッシングが収まれば平気でまた同じような悪いことをするようになる
「怖いことや痛いこと」=「悪いこと」っていう無意識条件反射だけが判断基準なもんだから 自律がない
感覚的に「嫌」だと感じないことは平気で実行出来る だからヘイトスピーチ
ユダヤ人殺害計画と一緒
◇追記:
例えばさ
机の上にあるものを持ち上げようとした場合にね
机の上に手を伸ばし始める段階では意識は特に必要なくてさ
机の上に手を伸ばしてから「持つ」っていう意識が働いてもおかしくはないわけさ
それなら意識する前に手を動かそうとする電位が発生しても不思議はない
机の上に手を伸ばすまでは特に意識が働かなくてもいいので無意識的条件反射で動いても不思議はない
机の上の「何を取るのか」を意識するまでの動作には意識は特に必要ないわけよ
だったら「机の上に手を伸ばす」段階というのは日常的に習熟しているので無意識条件反射で動き始めても不思議はない
身体動作というのは習熟することによって 意識的に選択しなければならない段階までは意識は働かないことがあっても不思議ではないのよ
「意識する前に手が動いた」という現象だけを根拠に「自由意思などない」などと決め付けるのは短絡的過ぎて科学でも何でもないからね
Ende;
だから脳内に「意識を介さずに先に手が出たりするショートカット回路」があっても そんなに不思議なことじゃない
昔 「十回クイズ」ってのがあったじゃん 「みりん」って十回言わせておいてから「鼻の長い動物は?」って問うやつ
「みりん」って十回言わされたことで 反射的に何か関連があんじゃねぇのかと錯覚させることで「キリン」ってうっかり言わされちゃうわけよ
これも脳内における言語関係のショートカット回路が関係しているんだと思うよ
言語機能ってのはパソコンで言えばI/O(入出力回路)みたいなものなので 日常的に習熟している「手を動かす」的な行動と似たようなものなので こうしたうっかりが発生する
論理的に物事を考える時には言語が必要だと「思われ」ているんだけど 実は何かに気付く時っていうのは先に言語があるわけではない
「あれ、何かおかしくね?」という感覚的違和感が先に来て その後から言語で論理的に説明することが出来るようになる
物事に気付くことに馴れてない場合 この感覚って多分わかんないんじゃないかな
「ヒトの99.8%は戦争をしていない、このことに気づけば戦争はなくなる。」なんて話を聞いて鵜呑みに出来るのは 十回クイズで「キリン」と反射的に答えているのと同じようなものなのね
そこに自発的論理検証は介在していなくて 「京都大学学長という権威が言っていることは常に正しいはずだ」という脳内のショートカット回路によって 自発的論理検証性がスルーされちゃう
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験において 被験者が権威の命令に無為に服従して他人に危害を加えてしまうのも 脳内にこうした無意識ショートカット回路があるからだと言える
ユダヤ人の大量虐殺計画を立案しても それが自分の住む社会にとって莫大な害を及ぼすとしても 身体の方にはその害を感じる「味覚」のような本能的に拒絶反応を促す感覚器がないもんだから 「俺の身体は痛くねぇ。」とばかりに平気で むしろ率先してユダヤ人殺害計画に邁進する
ナチス政権下においてはユダヤ人を淘汰することは正義だったからね
自律のない者の場合 無責任な行動を多数派から咎(とが)められるまでは自律的に自分の行動を反省することがない
マスコミやネット上などで世間の多数派にバッシングされてから 初めて「取り返しのつかないことをしてしまいました、反省しています。」では遅いのよね その場限りには反省したような気分にはなっているものの本当は気分観念的なものでしかないので治りはしない
多数派から咎められることで初めて恐怖を「感じる」ようになるから それで気分観念的に反省をしているだけであって 自律のないバカは実は多数派からのバッシングが収まれば平気でまた同じような悪いことをするようになる
「怖いことや痛いこと」=「悪いこと」っていう無意識条件反射だけが判断基準なもんだから 自律がない
感覚的に「嫌」だと感じないことは平気で実行出来る だからヘイトスピーチ
ユダヤ人殺害計画と一緒
◇追記:
例えばさ
机の上にあるものを持ち上げようとした場合にね
机の上に手を伸ばし始める段階では意識は特に必要なくてさ
机の上に手を伸ばしてから「持つ」っていう意識が働いてもおかしくはないわけさ
それなら意識する前に手を動かそうとする電位が発生しても不思議はない
机の上に手を伸ばすまでは特に意識が働かなくてもいいので無意識的条件反射で動いても不思議はない
机の上の「何を取るのか」を意識するまでの動作には意識は特に必要ないわけよ
だったら「机の上に手を伸ばす」段階というのは日常的に習熟しているので無意識条件反射で動き始めても不思議はない
身体動作というのは習熟することによって 意識的に選択しなければならない段階までは意識は働かないことがあっても不思議ではないのよ
「意識する前に手が動いた」という現象だけを根拠に「自由意思などない」などと決め付けるのは短絡的過ぎて科学でも何でもないからね
Ende;