書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

イジメ差別の淘汰圧力

2019年06月13日 15時07分53秒 | 意識論関連
実際のイジメや差別の現場では暴力的で感情的な個体が差別を実行し その割合は1〜2割程度だという

あとの8〜9割は無関心な傍観者であって ヒトという種の生物の傾向性を正規分布的に見た場合 むしろ暴力的な個体と日和見主義への淘汰圧力にしか働くことはない

そもそも イジメや差別というのは 差別排除そのものが目的ではなく 差別排除をする対象は誰でも構わなくて

単なる主観的な嫌悪感に過ぎない「キモい」だの「かっこ悪い」だのといった合理性のない実証不能の幼稚な子供じみた観念だけで行われるものであり

統率協調的にイジメ差別という行動を採ることで仲間意識(無意識な快楽)を得るための中毒的行動バイアスに過ぎない

従って 差別排除が穏やかな個体への淘汰圧力として働くことはなく

むしろ 無意識で暴力的感情的ヒステリックな個体への服従性や迎合同調性を持った個体への淘汰圧力としてしか働かず

「脳が肥大した原因」や「穏やかな個体への淘汰圧力」である論証には全くならない



ロシア ノボシビルスクだかで行われているキツネを用いた変異品種改良実験においても

おそらくは性格の違うキツネ同士で集団生活させれば 穏やかで非暴力的個体の方が集団からの排除を受けるはずである

ネオテニー化というものは 暴力性の低下を招くものでもあり これが集団における統率協調的差別において残るような淘汰圧としては働きようがない
 
たとえ穏やかな個体が同調や迎合は出来たとしても 集団内部ではボス以外は繁殖しないのであって 同調性や迎合性だけは配偶者淘汰の対象にしかならない
 




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ニーチェは実存主義ではない

2019年06月13日 01時01分11秒 | 意識論関連
フリードリヒ:ヴィルヘルム:ニーチェでググると実存主義だと形容しているが

これは頭の悪いエセ哲学者による身勝手な解釈に過ぎない

実存(哲学)というのは主観的な「癒やし」だの「満足」だの「悩みの解消」を得ることが目的ではない

哲学の目的は客観的な真理であり

主観的感覚を客観的真理と区別出来ていない時点で哲学者としてはクソポンコツとしか言いようがない



自己の生存というものを特別に尊大なものだと思う事が大間違いである

養老孟司も「命に関わることは人生において一大事」などと述べていたが

そもそも「生きていること」自体が自己の主体的選択ではなく 「死ぬこと」も同じである

生に対する執着(中毒)に苛まされているから煩悩なのであって

執着したからといって永遠に生きられるわけでもなく

悩むだけ無駄だと悟るべきである

「死ぬのが怖い」というのは主観的感覚であって客観的には自己個人など1/70億の一人に過ぎないのであり さしたる存在意義などありゃしないのである

自分のことを必要以上に社会において存在意義を求めるから 評価が得られないと勝手に憤慨して無差別報復に暴走したりするようになるのである

真理の追求に他人からの評価をアテにする必要性はない

主体的純粋に真理を求めることが哲学や科学であって 大多数がバカで真理を理解出来ないとしても それは大多数がバカであるからに過ぎず 知ったことではない

ガリレオの地動説を誰も理解出来ないとしても それはガリレオにとっては知ったことではない

唯「それでも地球は回っている」と述べるのみである



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