間違ったことを教えられても 教えられたことに間違いがあることに気付かず ただ漫然と教えられた通りに「知って」いるだけなら これは知能として役に立たない
知識の「量」だけをひけらかしておけば 大衆マスコミの多くは知能が高いものだという錯覚に陥る習性があるが これは間違いである
間違っていることを 間違っていると教えてやれば 間違っていることを理解可能であるならば それは本来間違っていることをいちいち教えなくても自分で気付くことも可能なはずである
ところが ヒトの多くは間違ったことを教えられても 自発的に間違いに気付くことが出来ず 間違ったことを簡単に鵜呑みにしてしまう習性がある
多くのヒトが気付かなかったことに気付く能力を 「天才」と称して特別扱いして祀り上げておけば ヒトの多くは気分的には満足してしまうが
重要なのは 「なぜ 気付くことが出来なかったのか」というメカニズム構造を知っていれば 間違いを理解可能な誰でも気付くことが可能になるのである
多くのヒトが気付かなかったことに気付く能力が天才なのではなく むしろ気付くことの出来なかった大多数のヒトの頭の悪さの方が問題なのである
インドのスブラマニアン:チャンドラセカールによるブラックホールの理論を 公の場で発表していたにも関わらずイギリスのアーサー:エディントンによる根拠のない誹謗中傷によって「なかったこと」に出来たのは 学会の大多数がバカで エディントンの主張に論理的根拠がないことに誰も気付かなかったのが原因である
こうしたバカさ 頭の悪さは 一体どのようにして発揮されるのか
そのメカニズム構造を理解していれば 同じような「失敗」には陥らずに済むのである
◇
ヒトは 相手を肩書で順位序列づけをして見てしまう習性がある
「権威」とは 「自分よりも上」だとみなした相手への分類であって たとえ「科学的権威」と形容されているとしても それは単なる形容詞に過ぎず 論理的根拠を伴うわけではない
京都大学学長とか 文化功労賞受賞者とか 東京大学名誉教授だとか こうした権威肩書さえあれば「常に科学的に正しいことしか言わないものである」というバイアス(錯覚)が働き
ヒトの多くは疑うこと 論理的に検証することを一切しなくなる
科学には批判精神が必要で 主観的感覚が促す錯覚に惑わされないためには 相手が誰であろうとも 言っている内容については常に論理検証をする必要がある
科学的真理というものは 主観的感覚の中にあるのではなく 客観的論理検証に基づいた根拠が必要だからである
主観的感覚には 錯覚やバイアスを伴うことがしばしばある
自分の感覚を疑わず 既存の権威の言っていることを鵜呑みにし 体制に迎合し 多数派に同調しておいた方が気分は楽である
それこそがヒトという種の生物の先天的欠陥の源なのである
Ende;
知識の「量」だけをひけらかしておけば 大衆マスコミの多くは知能が高いものだという錯覚に陥る習性があるが これは間違いである
間違っていることを 間違っていると教えてやれば 間違っていることを理解可能であるならば それは本来間違っていることをいちいち教えなくても自分で気付くことも可能なはずである
ところが ヒトの多くは間違ったことを教えられても 自発的に間違いに気付くことが出来ず 間違ったことを簡単に鵜呑みにしてしまう習性がある
多くのヒトが気付かなかったことに気付く能力を 「天才」と称して特別扱いして祀り上げておけば ヒトの多くは気分的には満足してしまうが
重要なのは 「なぜ 気付くことが出来なかったのか」というメカニズム構造を知っていれば 間違いを理解可能な誰でも気付くことが可能になるのである
多くのヒトが気付かなかったことに気付く能力が天才なのではなく むしろ気付くことの出来なかった大多数のヒトの頭の悪さの方が問題なのである
インドのスブラマニアン:チャンドラセカールによるブラックホールの理論を 公の場で発表していたにも関わらずイギリスのアーサー:エディントンによる根拠のない誹謗中傷によって「なかったこと」に出来たのは 学会の大多数がバカで エディントンの主張に論理的根拠がないことに誰も気付かなかったのが原因である
こうしたバカさ 頭の悪さは 一体どのようにして発揮されるのか
そのメカニズム構造を理解していれば 同じような「失敗」には陥らずに済むのである
◇
ヒトは 相手を肩書で順位序列づけをして見てしまう習性がある
「権威」とは 「自分よりも上」だとみなした相手への分類であって たとえ「科学的権威」と形容されているとしても それは単なる形容詞に過ぎず 論理的根拠を伴うわけではない
京都大学学長とか 文化功労賞受賞者とか 東京大学名誉教授だとか こうした権威肩書さえあれば「常に科学的に正しいことしか言わないものである」というバイアス(錯覚)が働き
ヒトの多くは疑うこと 論理的に検証することを一切しなくなる
科学には批判精神が必要で 主観的感覚が促す錯覚に惑わされないためには 相手が誰であろうとも 言っている内容については常に論理検証をする必要がある
科学的真理というものは 主観的感覚の中にあるのではなく 客観的論理検証に基づいた根拠が必要だからである
主観的感覚には 錯覚やバイアスを伴うことがしばしばある
自分の感覚を疑わず 既存の権威の言っていることを鵜呑みにし 体制に迎合し 多数派に同調しておいた方が気分は楽である
それこそがヒトという種の生物の先天的欠陥の源なのである
Ende;