書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

マスクの再利用

2020年03月04日 13時57分02秒 | 日記
「マスク 再利用」で検索したら中国のサイトがヒットした

煮洗い、アルコール消毒、紫外線照射…ウイルス対策マスクの再利用は可能か? -人民網日本語版

この記事の結論は「再利用は不可能」というものである

それでは厚生労働省が「マスクを2〜3回再利用しても良い」としているのは嘘なのかというと ちょっと話が違う

人民網の記事というのは あくまで医療用の高性能マスクについて空気感染に対しての有効性を述べているのであって 今回の新型コロナウイルスは空気感染の形跡はないというのが日本の医療関係者の分析である

実はマスクと言っても医療用の高性能なものと そこらへんで売っている不織布マスクは仕様や性能が全く異なる

医療用の高性能タイプというのは価格も非常に高くて それこそ脳外科手術にも使われるような厳格な仕様のものであり ウイルスそのものを97%もカットする能力を有しているものもある

それに対してそこらのドラッグストアで60枚入400円くらいで売っているマスクというのはウイルスそのものを吸着する能力などなく パッケージをよく読んでもらえばわかるが「ウイルスを含む飛沫」を防ぐ能力しかないのだ

なので何らかの「除染」を行ったとしても「ウイルスを含む飛沫」を防ぐ能力が著しく劣化するとは言えず 今回の新型コロナウイルスでは空気感染能力はないと言われているので 飛沫感染を防ぐ上においては一定の有効性があると言える

飛沫感染を防ぐだけであれば 何も不織布製のマスクである必要性はなくて 新品のキッチンペーパーや洗濯したてのハンカチでも一定の効果は期待できる

むしろ 不織布マスクの場合 頬の部分に隙間が生じてしまうケースもあるので この隙間からウイルスを含んだ飛沫を吸い込んでしまう可能性というのも充分考えられるので 必ずしも不織布マスクの方が有効とも言い切れない



○マスクの除染方法

コロナウイルスやインフルエンザウイルスというのは その感染力とは無関係に不活性化をすることはそれほど難しくはないという

記事の冒頭で紹介した人民網で紹介している除染方法は そこいらへんで売っている普通の不織布マスクの再利用においては有効性があると言えるだろう

一番いけないのは 汚染された可能性のあるマスクを顔に装着してしまうことであるが 充分に除染されていれば再利用しても一定の予防効果は期待できると考えられる

ウチでやっているのは ポリ製のチャック袋にアルコール除菌ティッシュと一緒にマスクを封入して一晩おくとか ファンヒーターやドライヤーで加熱している

一応言っておくけど アルコールは可燃性なのでアルコールスプレーをして火元に近づけるのは火災の原因になるのでやってはいけない

乾いた熱風を当ててしまうとウイルス自体が部屋に飛散してしまう可能性が否定できないので 換気しながら行った方がより確実だと思う

「まるごと煮る」というのは病院などでの煮沸消毒の手法だが おそらくヤカンでお湯を沸かしている時に出ている蒸気に当ててもウイルスは活性を失うと考えられる

もちろんヤケドにはくれぐれも注意

紫外線殺菌も有効だとは思うのだが 紫外線は白内障や皮膚癌の原因にもなるので 紫外線を照射している間は近づかない方が良いと思う



飛沫感染を防ぐためには一定の効果が期待できる「そこらへんで売っているマスク」だが

医療関係者にいわせれば あくまで「オプションに過ぎない」というので

「マスクをしていた方が していないよりは良い」というレベルの信頼性しか無いと考えた方が良い

今回の新型コロナウイルスの場合 密閉閉鎖空間に不特定多数の人が集まった場合の集団感染事例が多いそうなので マスクの有無に関わらず密閉閉鎖空間に集まるようなことを避けることの方が予防には有効だろう

また 感染者との近接会話などでも感染したらしい事例もあるので 他人とは1メートル以上近づかないようにすることも有効だと言える



とは言え スーパーマーケットやコンビニでのお買い物ではレジに並ばな買えないので どうしても不特定多数の他者と一定時間近接して待たなければならないわけで

こうした環境下で感染拡大を抑えるためには「咳エチケット」や「クシャミエチケット」に加え 「大声で話さない」という「会話エチケット」も必要かも知れない

喋るとどうしても目に見えない「おつゆ」が飛び散ることになるので これが感染を拡大してしまう要因になってしまうからだ

「自分は何の症状もないから感染していない」という思い込みは根拠がなく 今回の新型コロナウイルスの潜伏期間は12.5日もあるので「もしかしたら自分も感染源になるかもしれない」という前提で行動すべきであろう



Ende;
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マルクス:ガブリエル(1)

2020年03月04日 00時21分06秒 | 意識論関連

ショーペンハウアーは「自由意志のパラドクス」を提唱した

「欲求を満たすことはできるが 欲求そのものを欲することが出来ない」と

「自由意志は存在しない」 これを「決定論」としている

「オノレはカブトムシと一緒だから本能欲望に逆らうことは出来ない」という話と同根である

欲望そのものは大脳辺縁系が勝手に促してくる行動バイアスだが だからといって行動バイアスに逆らうことが不可能であることを立証することは出来ない

Geist(精神)

「自己も現実の一部であり ヒトは自分以外の現実を自分と切り離して考えてしまう性質がある」

マルクス:ガブリエルは「なぜ我々は絶え間ない消費によって破綻に資源をつぎ込むのか それは悪い自由を社会から植えつけられたから」だと言うが

植え付けられた価値観を検証する自律的論理検証性が働いていないから 時代だの社会だのに翻弄されてしまうのであり この自律的論理検証性(理性)こそが精神であり意識であり自己の本質なのである



ガブリエルは「大衆文化は科学物理よりもハイレベル」だとも言っていたが これは根拠が示されておらず ガブリエルの勝手な決めつけに過ぎない

論理検証性というのは科学の基本であり それがどうして大衆文化の方が「ハイレベル」だと言えるのであろうか

それとも欲望の暴走状態は「大衆文化」とは無関係だとでも言うのであろうか

ナチズムの暴走は科学物理の産物だとでも言うのであろうか

あまりにバカげていて話にならない

ポピュリズムは大衆文化の産物であり 科学物理の産物ではない




「動物としての本能とは別に人工的欲望が無限の消費を促す」とも言っているが あらゆる欲望は人工のものではなく あくまでヒトの動物的本能の暴走に過ぎず ガブリエルの言っている内容は論理整合性に欠けた勝手な決めつけでしかない

そもそも「欲望そのものを欲することは出来ない」のに どうして「人工的欲望」などという概念が成立するというのであろうか その「人工」とは 一体誰の選択に拠るものだと言うのか 意味がわからない

 ◇

大脳辺縁系は環境要因などに依って様々な欲求を促してくる これは「ヒト」の動物的なハードウェアとしての無意識条件反射的な行動バイアスに過ぎない

しかし 「人間」としての意識(論理検証性)は 欲求を選択することが可能であり これこそが「人間としての本当の自由」なのである

「欲求のままに行動している状態」というのは あくまで「ヒト」という動物的ハードウェアの無意識的条件反射行動バイアスに操られるだけの不自由な状態なのである

目先の快楽だけを追求すれば薬物中毒に陥ることも簡単であるが 世の中が薬物中毒患者だらけになれば社会が破綻することは誰しもが「知って」いることである

破綻を「知って」いながら回避出来ない状態を どうして「自由」だと言えるであろうか

チンパンジーに麻薬を与えれば 死ぬまで使い続けるであろう

それはヒトも同じことである

そしてそれは人間としては「自由」な状態ではない

 ◇

カート:アンダーセン

「超主観性が進み過ぎている」

「宗教は典型的なショービジネス」

「自由が多くなりすぎている」

カート:アンダーセンが言うように「自由が多くなりすぎている」というのは誤った解釈であり 真実は本質的自由というものが一体何のかを理解し分別識別することが出来ていないことによって 欲望に踊らされて本当の自由を見失っているのである



フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(長っ!)

シェリングはこの著作(人間的自由の本質)で人間的自由の根拠を問い、悪への積極的な可能性を人間のうちにみる。シェリングによれば、人間は悪を行う自由をもっている、それが人間的自由の本質であり、もって人間をすべての存在者の頂点においている。 -Wikipedia

「人間は悪を行う自由を持っている」と言うが そもそも野生動物の行動に善悪という概念自体が存在せず 仲間をほったらかしにして自分だけが助かるための行動も 同一種族の子供であっても自分の子供でないことが気に入らず殺害することも珍しいことではない

「悪を行う自由」などというものは本当は存在せず むしろ悪だとわかっていながら自己制御不能に陥っているという不自由こそが「悪」の正体なのである

「人間を全てのの存在者の頂点においている」などというのはシェリングの勝手な妄想に過ぎない

ヒトという種の生物が「全ての存在者の頂点」であることの論理的根拠は全く存在していないのである

ヒトは その先天的な社会形成習性が促す順位序列により統率的協調性を発揮するわけだが この順位序列への異常執着(暴走)によって「人間は全ての存在者の頂点でである」などという身勝手な観念(妄想)を生み出しているに過ぎない



マルクス:ガブリエルは現代社会を「欲望の時代」などと勝手に定義しているが

ヒトの作る社会は全て欲望の産物であり 今だけが「欲望の時代」であるなどとは定義することは出来ないのである



Ende;

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