書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

虚無という罠

2020年03月31日 22時18分39秒 | 意識論関連

橘 玲(たちばな あきら)という作家さんがプレジデントで以下の主張をしていた

 世の中には一定数の「強い不安を感じるひと(日本人は生得的に多いとされる)」がいて、このひとたちはなにかしないと不安を抑えられないので、SNSで訴えたり、マスクやトイレットペーパーを買い占めたり、目の前にある機会に飛びついて積極的かつ衝動的に行動します。

 やはり世の中には「同調圧力に弱いひと」が、こちらはかなりの割合いて(やはり日本人は生得的に多いとされる)、「不安感が強いひと」に引きずられて同じ行動をします。この同調性は、「群れる」ことがもっとも効果的な生存戦略だったことから進化論的に説明できます。

 こうして多くのひとが同調するようになると、冷静で知的なひとも、自分も同調しないと不利になると合理的に判断して大衆に追随するようになります。これが「全体主義(ファシズム)の起源」です。これは社会心理学の基本ですが、感染症はこの構図を誰でもわかるように可視化します。SNSにはこうした「不安と同調のフィードバック」を拡張する機能があるので、より対処を難しくしています。




こうした話を論拠にして「不道徳な政策もやむなし」と結論づけています

日本人が同調圧力に弱いのは生得的(先天的)なものではなく あくまで生育環境によって植え付けられた後天的な「文化」による一種の軽い洗脳のようなものであるというのが真実でしょう

ヒトの多くは先天的な習性や本能 後天的に植え付けられた価値観に流されがちな傾向というものがありますが こうした理性を伴わない無意識な行動を自覚認識しないことが問題なのであって

「先天的に組み込まれた本能習性には抗えない」と勝手に決めつけるからこそ虚無的発想に陥り不道徳な政策を正当化してしまう考えに陥るわけです



ヒトという種の生物は 人間としての理性や客観性というものが存在しており そうした人間性に基づく倫理を発揮すれば 政府による強権的抑圧など用いなくても問題行動には発展することはなくなるのです

「ヒトという種の生物は永遠にバカが治ることはない」と決めつけ バカを操る愚民政策に陥るのは非常に危険なことです

それでも 多くのヒトが自身の理性を働かせず 恐怖や欲望のままに行動していれば愚民政策も正当化されてしまうことになりかねません

そうならないために必要なことは 人間としての意識とは何か 心とは何か 倫理の本質は何なのかを理解し 個人が自律的な社会的責任判断選択を行うようこころがける必要性があるのです



生存価だけを絶対的正義とみなしてしまえば 生存にとって有利な行動の全ては正当化されてしまい そうした行動の結果に過ぎない遺伝的進化の全ても正当化されることになってしまいます

「死んだらそれでおしまい だから死なないための行動の全ては正当化できる」というロジックだからこそ 優生思想などという野蛮な発想から脱することができないのです

死ぬことが「怖い」というのは主観に過ぎません

論理客観的には永遠に生きることに意味などどこにもありません

限られた寿命であろうとも 「何を望むのか」という目的意識こそに個人の存在価値があるのであって

何年生きたかを他人と競うゲームを誰かから強制されているわけではないのです

無責任な行動によって社会が破綻に陥る可能性を「知って」いながら暴走することをやめられないから無意識だと言っているのです

買い占めというのは合法ですが 脱法犯罪とも言える行動です

マナー違反には刑法罰は適用されませんが それによって社会破綻や迷惑になることの全てをいちいち政府が強制的に抑圧していたのでは社会から自由が大きく損なう危険性があるのです

民主主義制度というのは 国民の多数がバカだとバカ主義にしか陥りません

民主主義制度というのは国民の自律的な社会的責任判断に基づいてのみ 人間性や倫理を伴う制度として機能するわけです

だから 人間としての意識の本質である客観的論理検証性こそが重要だと言っているのです

民主主義制度であっても所詮は道具に過ぎず それを使う「人間」がいないことには正常に機能することはないのです

それとも虚無主義者の誘導に飼い馴らされ 主体的な目的意識を持たない無意識な夢遊病者ような扱いをされたいですか?



短期的には政府による配給などによって多くの人に平等にマスクが行き渡るようにすることも必要ですが

長期的には国民の一人一人が自律的に他人の迷惑にならない行動選択をする人間性や倫理を醸成することが必要なのです

政府による政策だけでは温室効果ガス削減も感染症によるパンデミック封じ込めもイジメや差別の撲滅も不可能であり 個人の自律的な社会的責任判断という「人間性」や「倫理」が必要不可欠です

今まで個人の自律というものを誰も重要視してきませんでしたが 感染症が蔓延してから急に「一致団結してコロナウイルスを封じ込めましょう」などと言い出しても遅いのです

もっと平時から国民の一人一人の自律というものを喚起する必要があり そのためには人間としての意識の本質が何なのかを理解認識する必要性があるのです

バカは問題を解決できません

バカですから当然の帰結です

本当に「賢い」というのは学力偏差値や生存価でもなく 人間性を発揮できるかどうかにかかっているのです



毎日のように誰かが飢えて苦しんでいるような社会で 自分だけが何不自由なく快適に暮らすことができたとして それで本当の幸福だと心の底から思えますか?

もし 他人が「自分だけ快適なら良い」と思っているのだとしたら その人のことを人間として尊い人だと尊敬できますか?

ヒトという種の生物に産まれた以上 一定の大脳容積によって「自分だけ快適なら良いや」とは割り切ることが出来ないものなのです

宮沢賢治のように 他人からどう思われようとも どう扱われようとも 他人が不幸であるなら自分も本当の意味では満足することが出来ないからこそ 他人の為にも行動が出来るわけです

人間としての利他的行動というものは 「自分が本当の幸福を得るため」のものであって 別に誰かに評価されたり報酬を得るための行動ではないのです

「情けは他人の為ならず」とは 本当はそういう意味なのです



Ende;

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義務化

2020年03月31日 20時26分50秒 | 日記

屋内の密集空間を避ける必要があるんだけど

買い物でレジに並ぶのは避けようがない

客はまだしもレジのお姉さん達のリスクが高すぎるので

この際法律で医療用のマスクとフェイスシールドを義務づけてはどうか

多分経営者はそういう判断はしないと思う

 

 

 ◇追記:感染拡大が進行してしまったフランスでは お店のレジの人の多くが感染しており レジに透明なビニールシートのカーテンを下げたりして防御しているそうな

果たしてビニールカーテンがどれだけ有効なのかはわからん

多分レジ周辺の換気を併用しないと効果が薄いと思う

室内に紫外線レーザーをカーテン状に照射したらウイルス消毒になるのかしら

オゾンが出ちまうと有害なんだが…




Ende;

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正義

2020年03月31日 20時21分30秒 | 意識論関連
もし野依良治の言うように 主観が大切であるとするならば

主観的に怖くないなら感染症対策はしなくて良いという話になってしまう



主観というのはヒトそれぞれであって 無責任な奴とそうでない者とでは主観は全く異なる

「責任感」が強いからといって 本当に社会的責任を負うかと言えば 必ずしもそうではなく

ヘイトスピーチに邁進しているバカであっても「社会正義」だと勝手に妄想し

地下鉄毒ガステロをやらかした連中も「人類の救済」だと思いこんでいた

主観的な「正義感」というものは むしろ社会的に無責任で迷惑な行動の原動力になってしまうこともしばしばである

本当の意味における社会的責任というのは 主観的感覚ではなく あくまで論理客観的検証性という人間としての意識が働いているかどうかにかかっているのである

野依良治自身が身勝手な「正義」を貫こうとするのであれば それは洗脳でしかないのである



他人の善行をのべつまくなし偽善だと言い張る奴が時折いるが

それは自分が善行を自律的にやりたくないことを正当化するためである

もし 自分だけが善行を選択することが出来ないとなれば 自分だけが自律のない「人間として出来損ない」であることを認めなければならなくなり それが嫌で 認知的不協和を解消する形で「他人の善行の全てはウケ狙いの偽善である」ことにしておかなければならない



他人の善行を「偽善だ」と認識可能な時点で 何が善行で何が悪行なのかは「知って」おり 認識可能なのである

「知って」いながら選択実行出来ない不自由さ 無能さを認めたくないが故に 何でもかんでも「偽善」にしておかなければならないのである

ニヒリズム(虚無主義)というのは 自己の自律的判断能力の欠如を意識から外して「なかったこと」にしておくための逃避に過ぎない



他人の子供が元気に育つことを望めないのであれば それは自分が子供を授かった際には 誰も自分の子供が元気に育つことを望んでいない社会であることを認めなければならない

ペンギンは他人の子供は育てないばかりか むしろ攻撃する先天的本能習性がある

ヒトという種の生物も 自分が所属する集団に対しての忠誠忠実は望むが 他の集団に対しては排除差別する先天的習性がある

差別や暴力といった非人間的行動の根源というのは ヒトの先天的本能習性に起因するものであって 主観的に嫌いな相手に対して非合理な難癖をでっちあげて差別や暴力を振るうのである



主観的に恐怖を感じなければ 個人が感染症対策を行うことはない

これは温室効果ガス削減においても同じで 「どうせ自分だけが努力しても無駄」という虚無主義的逃避に簡単に陥るのが ヒトという種の生物の残念な習性である

ヒトという種の生物は先天的には人間性を発揮する保証はなく

ヒトが人間性を発揮するかどうかは自律的な論理検証性という「人間としての意識」が働くかどうかに拠るものである

主観的な趣味がお下劣でも構わない サバゲーが大好きだからといっても本当の殺し合いが好きとも限らないし

ロリコン趣味でも現実の子供達には親御さんとの生活があることに配慮ができれば人間性に問題はない

主観的に「気持ち悪い」と思ったからと言って ヲタ差別をしても それは根拠のない身勝手な正義感に過ぎないのである



Ende;
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