書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

冷凍保存

2020年03月25日 18時10分42秒 | 日記

家の外から持ち込んだものは とりあえず全部除染しているんだが

味の素冷凍餃子で脳がフリーズした

短時間なら洗剤で除染して すかさず冷凍庫に入れても良いかなとも思ったんだが

悩んでいると溶けちゃいそうなのでとりあえず除染せずに冷凍庫に放り込んでしまった

調理するときに除染すりゃいいんだろうけど

忘れないかと不安

研究機関ではウイルスは冷凍保存するわけで

冷凍しといたらいつまでもウイルスの活性がなくならないと思う

 

 ◇追記:結局再度冷凍庫から取り出して次亜塩素酸水吹付けて拭って冷凍庫に放り込んでやったぜ 毎日除染ばっかやってるのでエタノールと次亜塩素酸水で指の皮がボロボロだぜ

 

Ende;

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主体性

2020年03月25日 13時24分32秒 | 意識論関連

今の哲学界の現状というのは 言葉の定義も曖昧なままに雰囲気ものだけで議論しているだけであるため 合理的で実効性のある具体的解答が全く出てこないのである

意識とは 精神とは 心とは 人間性とは 倫理とは 道徳とは

それらの定義が明確にされていないまま主観的感覚だけを頼りに文学的雰囲気だけで満足しているに過ぎないため 何の役にも立たないのである

 ◇

マルクス:ガブリエルなど 現状「哲学者」として扱われている奴らは誰一人として「サンデル命題」には倫理の本質が含まれていないことを指摘していない

また 進化生物学における遺伝的進化には目的や戦略が存在していないことにも一切言及していないのである

これは 要するにデクノボウの集まりに過ぎないことを意味する

本来 哲学というのは科学の帝王であり 科学を司る社会的役目を担わなければならない

進化生物学上の著しい誤謬すら 誰も指摘しないし 出来ないデクノボウばかりが「哲学者」として扱われているのである

役立たずのデクノボウを デクノボウと認識出来ない大衆やマスコミにも問題はあり 同罪である

「罪には罰」という短絡的指向自体も間違いで 間違いを犯したら なぜ「間違ったのか」についての合理的原因究明を行い 再発防止のための教訓として活かすことの方が優先されなければならないのだが

大衆の多く 文系のマスコミ関係者共によって刑法罰の無意味さが一向に周知されないのである

ヒトという種の生物がなぜバカになるのかと言えば

ヒトという種の生物は自分がバカに陥っていることを認識したがらない先天的習性(本能)があるからだ

「自分は間違っているかも知れない」という自己客観性を発揮するために必要なのは 主体的論理検証性であり これこそが人間としての意識の本質であり 論理検証性なくして倫理も人間性も発揮されることはないのである

 

科学とは 「本当のこととはなんだろう」そして「何が間違いなんだろう」という分別をすることを意味する

社会安全性にとって最も合理的で有効な選択が刑罰ではないことを「理解」するのは主観的感覚ではなく 客観的論理検証性である

中国では麻薬取り締まり法違反は死刑だが それで麻薬犯罪がなくなるわけではないことからも 厳罰化というのは一定の抑止効果を持っているものの根絶には全くならないことは明らかである

ましてや過失となれば ヒトは誰しもが間違えるものであって 被害者感情(本能)を満たすために罰を与えても間違いが減るわけではなく 同じような間違いが何度も繰り返されてしまうのである

危険学や失敗学のメソッドというのは 刑法罰を一旦停止して徹底した論理的原因究明を行うことによって 再発防止を優先するものである

そして これこそが社会安全性において最も合理的で有効な選択であることは 論理客観的に見れば明らかなことである

意識とは 動物的な「ヒトという種の生物」としての意識である主観的感覚と 論理的根拠に基づいた客観的検証を行う「人間」としての意識に分けられる

この区別をするのは客観的論理検証性の方であって 主観的感覚の方ではない

主観的感覚というものは こうした区別が曖昧で 区別が出来ないからである

野生動物に倫理や人間性を説いても無駄なのは いちいち説明せんでもわかるやろ

バカか

主観的感覚というものは 先天的に組み込まれた遺伝的行動バイアスによるものであり 自然選択によって偶発的に「死ななかった」個体に存在していたものに過ぎず これに目的だの戦略が介在する余地はなく よって人間性や倫理が自動的に発揮されるなどというリチャード:ドーキンスのお伽話が文系大衆人気をいくら集めても 頭の悪いバカが主観的に満足安心するだけで具体的効用は一切存在しないのである

 

ヒトが客観的論理検証性を発揮するために必要なのは 先ず主観的な好き嫌いを知ることである

それなら野依良治の言っていることは正解かと言えば それは違う

重要なのは客観的論理検証性を発揮することであって その前提の教育段階において主観的な好き嫌いを知ることが必要なのである

何事においても順序というものがある いきなりヒトという種の生物が自動的自然に客観性を発揮できる構造を持ち合わせていないために 生育段階において自己の主観的な好き嫌いを知ることによって 結果的に客観的論理検証性を発揮することが可能となるのである

自律とは 自発性の中にあり 他にはない

これは定理である

自律とは環境依存性の対極にあるものであり 環境依存性に流されないためには自発性が不可欠だからである

自律なくして人間性を語ることは出来ない

畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書にもあるように 「組織の利益を優先し、個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が最も根源的な原因なのである

これは原発だけの話ではなく あらゆる過失や犯罪や紛争までをも含んだ「人災」に共通する「人間性」の根源でもある

自律的に社会的責任判断を行えば 「正直者がバカを見る」ことは珍しいことではない

単なる自己の利己的生存価を優先してしまえば環境に迎合し 自律などしない方が破綻に至るまでの間はかりそめには「賢い」選択にも外見上は「見える」のだろうが

その「賢さ」とは「ずる賢い」だけの「愚か者の賢さ」に過ぎない

ナチスに反対して自決を余儀なくされたヴァルター:ベンヤミンを「愚か者」と形容し ナチスに迎合したマルティン:ハイデガーを「賢い」と形容したとしても それがハイデガーの人間性の立証には全くならないのである

 

遺伝的進化万能を鵜呑みにするのであれば 死にさえしなければ あらゆる行動は事後正当化出来ることになる

そこに人間性や倫理以外が先天的習性として組み込まれることがないことの論理的証明など一切存在しないのである

たとえバカな生物学者や社会心理学者共が「人間には先天的に人間性が組み込まれていることを立証した」と言い張っても それによって詐欺や暴力が根絶される合理的根拠は何もない

こうした大嘘をマスコミや大衆が鵜呑みにするのは 「自分には先天的に人間性が組み込まれた優秀な存在なんだ」という勝手な妄想によって満足する錯覚が得られるからに過ぎない

そこに生物学や哲学は一切踏み込んでいないのは それが多数人気を得られないことがわかっているからである

要するに日和っているのである

多数派という環境に迎合し 自律的な社会的責任判断選択を放棄しているのである

科学は多数決ではない

どんなに多数の大衆や文系マスコミの人気を得ていても それが科学的な論証になるわけではない

大衆の多くは自己の主観的な感覚を満足させてくれる気分の良い話ばかりを信用したがるが

主観的に信用したい話を短絡的に客観的な論理的真理か何かと勘違いしているためである

すなはち 自己の先天的な主観的感覚が絶対的なものであると 「思って」おけば安心で満足だからである

これがヒトがバカに陥る最も根源的原因である

 

他人に評価されるかどうかに関わらず 主体的に物事を追求する自発性によって 客観的論理検証性は発揮され得る

頭が良くなるというのは 「自分の頭がどのように悪いのか」を知ることであって テストやクイズの高得点で「俺様は頭が良いんだ」と勝手に勘違いすることではない

自己の頭の悪さを認識していれば 環境に左右されずに自律的な判断も出来るが

テストの高得点で「俺様は頭が良いんだ」と勝手に満足していれば 間違ったことを教えられても疑うことなく鵜呑みにし 簡単に原発の津波に対する脆弱性指摘すら放棄するようになるのである

自分の頭の悪さを認識していれば 自ずから謙虚になる傾向があるのだが 頭の悪くない奴に限って謙虚になりすぎてバカを傍観放置する原因ともなる

あらゆる「人災」の暴走破綻というのは こうした先天的なヒトの習性に起因するブレーキの効かなさが大きな要因となっている

 

説明するのがバカらしくなってきたので今日は終わりだ

 

Ende;

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