人間としての本質的知能の根源は「気づき」であり どんなに大量の知識を「知って」いたとしても「知って」いる内容に間違いがあるかどうか全く「気付かない」のでは到底知能とは言えない
「気づき」に関わるデフォルトモードネットワークというものは脳全体につながる神経接続であり 前頭葉などの脳の特定部位に偏在しているものではない可能性が高い
デフォルトモードネットワークを統括する部位が前頭葉にあるとしても フィニアス:ゲイジのように損傷した場合には 脳の他の部位が代替するような可塑性があってもおかしくはない
生まれつき身体の一部が未発達な人の場合など 一般的には運動野にマッピングされる機能とは違うマッピングがみられることもあり 必ずしも前頭葉だけしか意識の本質を担うことができないとも言い切れない
ゲイジが事故に遭ったのは25歳と比較的若かったため 前頭葉を損傷した後に脳内マッピングが変異した可能性もある
ただ 少なくとも事故後数カ月は人格の変容があったことは確かなようである
一枚の写真から受ける主観的「印象」や 講演会における言葉遣いも人格や知能の論証には全くならない 言葉遣いだけなら振り込め詐欺でも偽装は可能であり 外見的な「印象」とは主観的感覚に過ぎないからだ
麻薬中毒患者や連続殺人犯でも外見的人間性を装うことは簡単であり 主観的な観念に過ぎぬ外見から論理客観的な人間性や人間としての知能の論証には全くならない
Ende;