未だにトロッコ問題を持ち出してきて 主観に過ぎない「良心の呵責(罪悪感)」を根拠に正当化するバカがいる
たまたま大量の死者が出た列車に乗り合わせ 偶然一人だけ生き残ったりすると「サバイバーズギルド」的な根拠のない罪悪感に苛まされることがよくあるのだが それは主観的なものであって 生き残ったこと自体に何らかの倫理的問題が存在するわけではない
トロッコ問題というのは 本来「倫理の話」として取り上げられたものであって 主観的な感覚に過ぎぬ罪悪感の錯覚を持ち出したからといってトロッコ問題が倫理の話にすりかわるわけではない
1人死ぬか 5人死ぬかを選択しても 人間性や倫理の客観的論証には一切ならず 単に主観的感覚としての罪悪感をいくら「感じて」も 倫理の問題には全くならないのである
トロッコ問題というのは非常に「悩ましい」命題ではあるが 「死んだ人数」で倫理が決定するわけではないことは何度も述べたはずである
誰も死ななくても危険行為は倫理に反するし 1万人死んでも不可避ならば倫理とは無関係である
どんなに「悩ましい」命題であろうと 論理客観的に人間性や倫理の論証に一切ならない話を「倫理の話」としてすり替えている時点で真実を蔑ろにしており それこそが社会的に無責任であり「倫理に反して」いるのである
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