書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

奥田 順之

2021年01月04日 21時07分01秒 | 意識論関連

奥田 順之(獣医師)は

「犬は家族を順位付けする」が迷信にすぎない

「犬が上に立っているからかむ」は迷信

と称しておきながら

「オオカミが順位を作り、犬も同じように順位を作るという話は、正しいかどうかは別として」

などとちぐはぐな言い逃れやはぐらかしをしている

 

イヌなどの動物が凶暴化する理由の全てが順位欲によるものではないのは確かであるが ヒトの感覚でイヌを過剰にかわいがってしまうと服従対象としての順位欲が満たされずに凶暴化の大きな要因であることは確かである

イヌを散歩させる時にはリードを引っ張って飼い主に服従させることでイヌは飼い主の顔色を窺うようになり 無駄吠えや凶暴化を著しく抑えることができることは確かであり 疑う余地はない

だが 例えばヒトやチンパンジーに見られる「虐待の連鎖」のように 暴力的に服従を強要するばかりだと飼い主などの怖い相手以外に対してはむしろ暴力的になることもある

つまり 状況をわきまえずに むやみに暴力威圧的に服従させても凶暴化が抑えられるわけではないことは言える

実際に盲導犬や救助犬の生育においては決して頭ごなしな服従を強要するような暴力威圧的な育て方や訓練をするわけではなく イヌの意欲を削ぐようなことはしない

あくまで順位序列を勘違いしないよう 愛情を持って訓練することで信頼関係のある優秀な盲導犬や救助犬として育てることができることは確かである

だが ひたすら過剰にかわいがって甘やかし 順位序列を勘違いさせてしまえば暴力威圧的な服従を強要しなくても凶暴性を発揮することは確かである

 

つまり 「順位序列だけが凶暴性を決定するわけではない」のであって 「凶暴性の原因は順位欲だというのは迷信だ」というのは間違いである

 

出典:https://toyokeizai.net/articles/amp/397957?page=3 -東洋経済

 

先天的な本能としての順位序列を形成する 生物学上の社会形成習性というものは ヒトにおける封建的差別格差や暴力威圧的紛争の原因でもあり 

これを「オオカミ同様にイヌも順位序列を作ることが正しいかどうかは別にして」おいて「迷信だ」などと決めつけてしまうことの方が科学を逸脱した大衆迎合である

獣医師であればイヌのことだけ心配していれば満足かも知れないが 科学的論証をねじ曲げてヒトの危険性については無視しても良いという無責任な話にはならない

封建的格差や威圧的暴力の原因となる順位序列への本能的な執着性というものが イジメやヘイトスピーチや紛争や戦争の原因である可能性が極めて高い以上 「正しいかどうかは別にして」しまったのでは社会的に無責任極まりない

 

 

Ende;

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イヌの正義

2021年01月04日 21時07分01秒 | 意識論関連

イヌにはイヌなりの主体的欲求というものがあり これを尊重せずに「飼い主のエゴを押し付け」てしまうことで欲求不満に陥り ストレスとなって凶暴化が起こることについては 正にそのとおりだと言える

だが 飼い主が「良かれ」と思ってイヌのご機嫌取りに徹してしまうと イヌは服従対象として飼い主を認めることができなくなり これもまたストレスとなって凶暴化する原因ともなる

https://toyokeizai.net/articles/-/397972 「子犬のかみつき」に悩む人が知るべき6の方法 -東洋経済

共通して言えることは 欲求不満によるストレスが凶暴性の原因となっているのである

ヒトの場合も生育環境で主体的な知的好奇心を満たすことをさせてもらえず 一方的な学力偏差値競争などの「他人との比較」ばかりを強要されることによって 自発性や自主性が育たず 結果的に「自律的な責任判断選択」すらもできないバカができあがることになる

テロだの通り魔だのを実行したところで 社会的には糞の役にも立たないことは明らかであるにも関わらず そうした合理的な「考え」というものが主体的には働かない状態に陥っているとテロだの通り魔などという意味のわからぬ方向性のない社会に対する茫漠とした無差別報復に暴走するようになる

イヌの場合には先天的本能を満たしてやることでヒトにとって都合の良い行動だけを引き出すという育て方しかできないが ヒトの場合には先天的な知的好奇心を満たすことによって「自律的な社会的責任判断選択能力」という人間性の根源を発揮しなくてはならない

人間性を発揮するためには環境依存性からの脱却が必要であり これはイヌとは全く異なる主体的な「自律」が必要である

イヌは環境に左右されることしかできないが ヒトの場合は「会社の体質(環境)が悪いから原発の危険性を放置しました」というわけにはいかないからだ

ヒトの場合も生育環境が人格に影響を及ぼすことは確かだが ヒトの場合は自分の行動の全てを他人や社会などの環境に責任の全てをなすりつけておいて良いわけではない

刑法に基づく懲罰だけで「解決」だとみなし それ以上の原因究明や再発防止の制度が存在しないという「環境」かからといって それを「理由」に刑罰だけで全てが終わってしまうことを放置することもまた社会的には無責任である

ヒトは 多くの他人が無責任である場合には 責任が薄まる感覚(錯覚)によって問題意識が働かなくなる性質があり これもまた「自律」的判断の欠落の原因でもある

多数派に同調し 迎合し 何も問題意識を持たずに既存の制度や因習を鵜呑みにしておけば 気分的には安心でストレスを「感じる」こともないだろうが それこそが環境依存性の無責任な行動選択の原因でもある

 

一日中ケージやサークルに閉じ込められておけばイヌが欲求不満に陥りストレスとなるからといって ヒトが外出自粛要請にストレスを感じたからといって夜中に泥酔して居酒屋やキャバクラをハシゴしても許されるわけではない

ヒトはイヌではない

ヒトは人間としての自律的な社会的責任判断選択行動が求められるのであって 機械的条件反射行動だけで説明できるような「バカ」では話にならないのである

何も考えないバカでいることが許されないヒトであることに不条理性やストレスを「感じ」ても それらは全て主観であって 論理客観的な物事の考えに基づいた真実の論証にはならない

イヌのシツケの話においても 「これさえやっときゃ全ては解決」的な短絡的解釈をしている飼い主の話がたくさん出てくるのだが これもまた自分で物事を考えない頭の悪さが原因である

真実は一つだが 現実世界における現象は多様であり 決して単純ではない

あらゆる物理現象も個別に分解すれば慣性の法則などに則って起こっているものだが 現実世界の現象の全てが予測可能なわけではないのと同様 「これさえやっときゃ全ては解決」するような短絡安易な「答え」があるわけではない

ところが 子供の頃から「教えられたことを憶えさえすれば成績になる」という環境で育った子供は 大人になっても短絡的に答えがあるのだと勘違いするようになり 結果的に「刑法懲罰で解決だ」というバカの多数決によって回避可能性のある危険性も放置されているのである

「何が本当の真実なのか」を自主的には考えないからバカが治らない

自主的に物事を考え判断すれば 大多数のバカの群れの中では「ストレス」になるものである

東電社内で原発の危険性を訴え続けることも 食肉偽装や粉飾決算の内部告発も 主観的気分としては「ストレス」を感じる嫌なことであり 環境依存的に逃避すれば体制に迎合して事なかれ主義を貫いた方が「楽」である

それはもはやイヌの正義でしかない

 

 

Ende;

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