書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

費用対効果

2021年07月01日 23時09分06秒 | 意識論関連

飲酒運転が厳罰化されたことで飲酒が原因で起こる死亡事故は減ったというのだが

「バレなきゃ良いや」と思っているバカには厳罰化は意味がない

通り魔を死刑にしても通り魔事件がなくならないのと同じで 飲酒運転で死亡事故を起こしたバカを死刑にしても飲酒運転による事故はなくならない

ガードレールや速度制限といった対策をどんなに施しても 酔っ払って大型トラックを運転するようなバカがいる限り どこで誰が轢き殺されるかわかったものではない

自律的な社会的責任を負うことをしないバカがいる限り どんなに厳罰化をしても犯罪の根絶にはならない

なぜ どうして自律的な社会的責任を負うことをしないバカが存在するのか その原因を究明しないことには本質的な再発防止にはならない

事故や犯罪の原因を究明する上においては 刑事裁判は邪魔にしかならないのだが 現在の社会制度上では刑事裁判が最優先され 判決だけが唯一絶対に「解決」として扱われ 無責任な犯罪者が出てくる根源的原因に対する分析がほとんど行われていないのである

司法裁判というのは法律に基づいた「手続き」に過ぎず これがむしろ問題事象の原因究明のための様々な研究分析の妨げにしかならない

身勝手な理屈で他人に多大な迷惑をかけるバカに共通するものを見つけられれば 再発防止において極めて有効な知見となることは明らかだが 現状の司法裁判においては犯罪者個人の無責任性だけがとりだたされ その無責任性の原因については全く原因究明がされないのである

しかも刑務所を出所した犯罪者のおよそ半数は再犯し イギリスでは再犯率は75%にも達するという

こうした重大な欠陥を持った社会制度に全く疑念を持たず 漫然と刑法裁判制度を受け入れていることもまた 「自律の欠落」でもある

国会原発事故調査委員会報告書において 事故の根源的原因として「個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」を挙げている

 


もちろん飲酒運転による死亡事故は運転者個人の責任でもあるのだが

「なぜ自律的な社会的責任判断を行わない愚か者が存在しているのか」についての原因を究明するための制度や仕組みを新たに作るための努力も意見も言わない大衆や代議員 役人やマスコミもまた同罪なのである

論理客観的には改善の余地があることがわかっていながら 何もしなかった以上 無責任な犯罪や事故が起きることについて放置した無責任は免れない

それがどんなに多数であろうと 多数によって無責任が薄まるような感覚(錯覚)に惑わされている頭の悪さ 人間としての先天的欠陥についての認識が甘すぎるのである

犯罪者を育ててしまった親に罪があるかと言えば 罪はあるだろう

しかし だからといって罰でどうにかなるようなものではない

それは大多数の大衆やマスコミの無責任に対しても同じことであり 薄く広く罰を与えてどうにかなるようなものではないことは明らかである

そもそも「子供の育て方」に絶対的正解が予め用意されているわけではなく 様々な育て方の中から何が「間違った育て方」なのかを知ることが重要であり そのためにも犯罪者の生育環境や育て方についての客観的分析は必要であり 犯罪者の親や親族への「私刑」的懲罰などは むしろ客観的事実を撹乱する身勝手な犯罪でしかない

 

間違えることのないヒトなど存在しない

この前提に立てば 「どのようにすれば間違いが減らせるのか」についての地道で丹念な研究解析や対策が最も社会安全において重要であることに疑う余地は1ミリもない

ヒトという種の生物は 先天的に人間としての欠陥を持っている存在であり それは誰もが同じことである

一般人よる身勝手な「私刑」が犯罪であるのと同様 犯罪や事故に対する根源的原因究明を妨げる司法裁判による刑事判決もまた客観的には「罪」なのである

むしろ何人もの命を奪うような事件事故を起こしたバカに対して 時間や公金を費やして司法裁判判決などという不毛な手続きは 社会的負担に対して意味がなさ過ぎる

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖に どのような罰を与えるかをいくら考えても死刑以外に何も選択肢などないのに そんなことのために時間と金を注ぎ込むことしかしない司法裁判というのは 国家権力を誇示するためのパフォーマンスにしかなっておらず 社会安全性を高める上において費用対効果が悪すぎるのである

 

 

Ende;

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