私は 一流を超越した超一流の人間であるため
他人を一流二流三流とランク付けすることができます
論理客観的根拠なんぞ要りません 何せ私は超一流の人間なので 私自身にすら「絶対に知覚認識不可能な実証不能の謎の叡智」によって 私が思うことや感じることは全て正しいことが イマヌエル:カントの「純粋理性批判」によって保証されているからです
何せ私は弁護士国家資格を持っている学力偏差値の大変お高い人間ですので そこらにいる偏差値のお低いおバカな大衆よりも知能が優れており あらゆる他人を何流なのかを判定することができるのです
私は叡智界に属する優秀な存在であるため 動物的な行動しかできない現象界の人間共とは格が違うのです
「知識のエコシステム」を自然環境における生態系のピラミッドになぞらえれば 知識の「量」が優れた優秀な人間こそが 人間界における封建的ピラミッドの頂点に君臨することが許されているのです
生態系のピラミッドというのは 頂点に君臨する個体種のために存在するのであって 生態系を構成している底辺の無能なバカな大衆は 私の存在を支えるためだけに存在する「エサ」でしかないのです
「エサ」に過ぎない底辺のバカな大衆は 私を批判しては絶対にいけません
ですから 私を批判をする者は二流以下なのです
学力の低いバカは 学力の高い私の言っている内容を検証することは無駄です
なぜなら 世間的肩書こそが この世間においては絶対的な価値であり 肩書も何もないバカが何を言っても嫌われて排除されるだけであって 生存にとって不利になるバカげた言動としてしか扱われないからです
福沢諭吉が言うように 人には身分というものがあります
身分とはランクということです
福沢諭吉が学問をススメるのは ランクの高い人間になって ランクの低いバカとは違う贅沢で豊かな生活を送ることができるようになるためであって
決して自由や平等や公平性や 社会の安全性や持続可能性のために学問があるわけではないのです
福沢諭吉は学問のススメにおいて 冒頭で「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と申しておりますが
これは喩え話であって 「そうは言っても人間には身分というものがある」というのが福沢諭吉の真意なのです
上級国民になれば 平民の女房子供を自動車運転過失で轢き殺しても 逮捕勾留されることはありませんが
平民は過失によって自分の子供を死なせてしまうと逮捕勾留されてしまいます
どちらも逃亡の怖れもなけば 他人への被害が懸念されるわけでもないのに 逮捕勾留される差別を受けることになっているのです
身分ランクの高い人間というのは このように国家権力から特別扱いしてもらうことができるので 福沢諭吉は学問をススメているのです
学問はコスパが良いんですよ
得なんです
生存にとって有利なんです
知識の「量」を増やして世間的評価を得ることは 利己的にお得なんです
身分肩書が高ければ 何ら科学的根拠などなくても「ウイルスは全て弱毒化する」などという非科学的嘘やデマを流布しても 大衆やマスコミの大半はバカなので検証することも指摘することもできません
東京大学名誉教授という肩書があって 著作が大量に売れて金が儲かりさえすれば あたかも「正しいことしか言わない優れた人物」として扱われ 「客観的事実などない」などという科学を根底から否定する発言をしていても誰も反論することはしませんし しても誰も耳を貸すことはないのです
権威肩書に基づいた金儲けや大衆人気といった 生存にとって有利な行動こそが 人間としての優秀さの判断基準であり 嘘やデマであっても大多数の大衆やマスコミが認識できなければ 嘘やデマとして扱われることもないのです
マルクス:ガブリエルはこう述べました 「世界は存在しない」と
こうも述べました 「時間は無限に分割すればなくなる」とも
如何なる原発事故も交通事故も どうせ人間は全て死ぬんですから 誰が死のうと大した違いはありません
養老孟司はこう述べました 「9.11のテロであっても 長い歴史の中ではさざ波」だと
一流だと世間から認められてさえいれば どんなに不適切なことを述べても誰も指摘することはないのです
人生にとっての一大事とは 自分の生き死にだけであって 他人がどうなろうが知ったことではありません
だって 皆さんそうでしょう
大多数の人がそうなら それこそが「正しい」こと 「正常な状態」なんですよ
これを決して疑ってはいけません
そんなことをするのは少数派ですから 差別排除の対象にしかならず 損をするだけですからね
損をするのが「バカ」なんですよ
Ende;