北村 義浩を批判した途端にキレイにアクセスが激減したわ
静かで良いけどな
何にもわからない有象無象に見られても意味がないし
Ende;
北村 義浩を批判した途端にキレイにアクセスが激減したわ
静かで良いけどな
何にもわからない有象無象に見られても意味がないし
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物理的暴力を伴わない虐待というのもあって
これは論理的説明を一切せずに 頭ごなしに親の固定観念や根拠のない常識を押し付け 子供の主体的判断を全く聞き入れない育て方である
なぜ そんな育て方をするのかと言えば 「自分はそういう育て方しかされていない」という 典型的な虐待の連鎖に見られる屁理屈に基づく行動である
こういう育て方をしている親に限って 子供がヒステリックに何かを要求し出すと 面倒臭いので簡単に従ってしまい 親の方にも論理客観性のある主体的判断は伴わない
こうした環境で育った子供は 感情的になって怒鳴り散らせば何でも言うことを聞き入れてもらえるものだと行動学習してしまい 目先の感情の強度程度(欲望)が短絡的に「目的」になってしまう
暴力が伴えばなおさら暴力で物事が解決すると行動学習することになる
主体的に物事を考える能力が全く身についていないため 善悪の判断が主観的に「怖い」とか「嫌」かどうかだけで 自律的な社会的責任判断選択を一切しようともしないし そもそもできない
縦縞模様の中だけで育てられたネコが横縞を認識できなくなるのと同様に 自律的な社会的責任判断選択というものを生育環境下でしたことがないため 「へずまりゅう」だとか田代まさしのように警察に取っ捕まってこっぴどく叱られて主観的に悲しい気分になった時だけ外見的に真面目そうに反省したような「形式」を装うだけで 本当は一切「反省」なんぞしていないのである
なので 釈放されて環境が変われば簡単に同じように身勝手な行動を繰り返すようになる
自律的な社会的責任判断選択をしようともしなければ そもそもできないようになっているこうした「患者」に対して 刑法罰は全くといって良い程更生の効果がない
なぜなら 刑務所というのは受刑者の主体的判断を全く受け入れない所であって これは虐待家庭と同じ環境に過ぎないからである
物事を自分の頭で考え 何が最も重要なのかを区別選別できるようにならなければ 善悪の判断にも結びつくことはない
司法裁判で高給取りの役人共がどんなに煩雑な手続きに基づき「慎重に」熟慮したつもりになっても 本当は社会安全性にとってほとんど意味のない形式的な茶番に過ぎない
司法役人というのは 法律の使い方に精通しているだけであって 司法というものの社会的役割が何なのかも考えたことすらないのである
平たく言えば 「バカがバカを裁いて満足している」に過ぎない
司法役人共にとって 社会安全性などどうでも良いのである
それは警察官が 犯罪者や違反者を検挙取り締まりをして点数稼ぎをすることだけが目的になっているのと構造的には同じものである
「これさえやっときゃ 全ては解決」という短絡的「洗脳」状態で それ以上の面倒臭いことは一切興味も持たない
「社会安全性にとって最も重要な判断とは何なのか」を考えても 業績にも点数にもならないことは考えない
それは あたかも「エサにつられて高度な瞬間記憶能力を獲得したチンパンジー」と同じ様なものであり エサがもらえること以外には何も興味も働かないのである
これもまた 教育環境において行動学習された短絡的条件反射であることに違いはない
香港警察やミャンマー軍事政権における暴力も 「権力者の命令に盲目的に従っておく」こと以外に何の興味も持たなくなるのも同じ構造である
それは戦前の日本軍やナチス政権も同じことである
国会原発事故調査委員会報告書において 事故の最も根源的な原因として「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」と明記されている
これに対して「会社の体質が原因」だと言い出すバカがいたが それならナチスによるユダヤ人虐殺も ポルポトによる虐殺も ミャンマー軍事政権による弾圧も 全ては「組織の体質が悪いからだ」という話にすり替えられてしまうことになる
そもそも「組織の体質」とは何かと言えば 組織を構成する多数の個人に依るものであり 多数が主体的判断をせずに唯々諾々と権威に服従する「自律の欠落」によって出来上がるものである
組織の体質に依存せず 個人が自律的な社会的責任判断を行えば あらゆる「人災」は起きないのである
「人災」というのは そもそも個人が自律的な社会的責任判断選択を放棄した事例に限られるからであり 個人の判断に拠らない災害は「人災」ではないのである
組織であれ個人であれ 大局的には「個人の自律」に帰結するのであって それが失われるメカニズム構造の観点からは刑罰ではなく治療が優先されなければならないのであり 司法によるどんなに煩雑で機械的な手続きを踏襲しても根本治療にはならない
制度や規則法律というものは 対策の剛直化や単純化を招き 対応力を失う原因でもある
きめ細かな対応や対策を行うために必要なのは 情報の共有や公開性と論理客観的根拠に基づいた「工夫」である
「ヒトは間違えるもの」であり それは例外なく全てのヒトに言えることである
だが 間違っていることを認識しようともせずに観念的に拒絶し 間違った制度や形式手続きに異常執着しているのは最も悪質である
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「ウイルスは弱毒化する」だとか言っていた北村 義浩(きたむら よしひろ)は日本医科大学の特任教授だそうな
「50代以下が狙われている」だとか未だに言っている
遺伝的進化には目的がないのに どうして「狙う」ことが可能だと言えるのか
遠藤秀紀の言う遺伝的進化に対する「典型的な間違い」を誰も理解しようとしないというのは社会的に無責任である
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