「菅内閣の感染対策ガー」的な報道が大半だけど
感染拡大の最大の責任は夜中に泥酔して騒ぎ散らしているバカの問題だけどな
酔っ払っているバカは「ストレスが溜まる」だとか言っているが
夜中に酔っ払っている暇があんなら大した仕事もしてねぇだろ
本当は最初っから酔っ払う以外に何もない薄っぺらな生き方しかしてねぇのが問題の本質だよ
接種が遅れてるのは厚生労働省の認可が遅れたのが要因で これは他国と比べて感染者が少なかったからというジレンマであり 死者が比較的少なかったという良い面もある
感染拡大対策の主体が「飲食店での酒類提供」なのは 泥酔して騒ぐバカが飛沫感染を拡げている主体だからであり 実際飲食店規制によって劇的に感染者数は減少するし 満員電車ではクラスターはほぼ見られない
飲酒運転が法改正で激減した理由は 飲酒運転を放置した飲食店にも刑罰を科すようにしたことが最も効果を発揮しているのであって そもそも居酒屋類というのは迷惑な泥酔者の温床になっているのであり 社会的負担を伴っている商売であり 客が泥酔する前に酒類の提供をやめさせるような法的規制をかけても良いのではないかと思っている
それでも路上で泥酔するようなバカはいるだろうが それは別の「治療」が必要である
感染の可能性がある泥酔者をトラ箱に連れていかなければならない警察官にばかり負担をかけても これ 税金だからね
いっそのこと時限特措法で「泥酔して騒ぐこと」に罰金でも科しておいても良いのではないか
しかし 税金の合理的な活用という観点からは根本的には罰ではなく治療による効果的対策を優先すべきである
ヒトが合理性のある対策よりも根拠のない因習に囚われてしまうのは 主観的な気分が優先して論理客観的な対策を後回しにしてしまう習性があるからで こうした頭の悪さは学力偏差値とは無関係でもあり 司法試験に合格しても「罰というものが犯罪者更生にとって決して最適解ではない」ことには誰も触れないのである
一度信じ込んだ観念を自己検証するという謙虚さを持てないのは 認知的不協和(気分が悪いこと)を解消する形で拒絶反応を起こすという ヒトの先天的習性に因るものである
東池袋プリウス暴走事故の飯塚被告が「俺は絶対にアクセルなんぞ踏んでねぇ!」と主張し続けることも そもそも自分の運転に過信があったからであり 自分の運転能力の低下を認めようとしなかったからこそ起きた事故だとも言える
「踏み間違いはしていない だが もっと早く運転をやめておけばよかった」という飯塚被告の主張は論理整合性が著しく欠如している 「俺は絶対に間違えていない」と言い張っておきながら どうして「早めに運転をやめる」ことになるのであろうか 意味がわからない
刑法罰だけを唯一絶対的な「解決」だと信じ込んで犯罪者の更生治療へのシフトを一切誰も提唱もしないというのは 多くのヒトの認知的不協和を買うことになるからである
これはマスコミも含めて多くの一般大衆が 従来の制度や法手続きに洗脳されている状態だから 非合理で効率の悪い「対策」という名の因習に囚われ 根源的で効果的な対策へのシフトができない最大の原因である
それこそ飯塚被告のような「事故」であれば これは飯塚被告だけの問題ではなく あらゆる国民や役人の自己過信による客観性の欠如への「意識」喚起が必要である
飯塚被告を拘置所に何年監禁しても それが「踏み間違い事故の根源的対策」にはならない
それは飲酒運転への厳罰化が八街市での小学生死傷事故には効果がなかったことからも 罰というのは「バレなきゃ怖くない」と思っているバカに対しては効果がない
「一つの大きな事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」のであって 飲酒運転をするようなバカが出てくる原因というのは 国民の圧倒的大多数による「無数の小さな頭の悪さ」が温床になっているのである
制度や法規制の効果というものは常に限定的で表面的な対策にしかならず むしろ対策を機械手続き的に剛直化させ柔軟な対応を阻害するものでもある
「これさえやっときゃ全ては解決」という短絡的手続き形式に囚われているからこそ 根源的な原因究明や対策が全く進まなくなるのである
こうした頭の悪さ 意識の欠如を自覚しないことには あらゆる諸問題の解決においても障害となる
そりゃそうでしょ バカじゃどうにもならんもの
Ende;