書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

説明不足

2021年07月14日 21時50分45秒 | 日記

タレントの「りゅうちぇる」が「ワクチンで不妊になる可能性がある」だとか言ってたんだが

意味がよくわからない

COVID-19ワクチンって何種類かあるそうなんだけど メッセンジャーRNAタイプの場合はCOVID-19ウイルスの遺伝情報の一部を用いたものだそうなので COVID-19ウイルス自体の方が遺伝情報は多いことになる

だからもしワクチンで不妊になるというのであれば そもそもCOVID-19ウイルス自体で不妊になったという事例がなければおかしい

そもそもCOVID-19ウイルスってのは 「新型」コロナウイルスなので 元になった鼻風邪コロナウイルスで不妊になったという知見もないので COVID-19でも そのワクチンでも不妊になるとは考えにくい

 

 

かつて遺伝的進化の過程において 哺乳類の胎盤形成にウイルスが関与しているらしいことは明らかなんだけど それって数千万年に一度とか数億年に一度の極めて珍しい現象であって ウイルスでそんなに頻繁に宿主の遺伝情報が書き換えられることはないし 起きてたらもっと実際に何らかの影響が目に見えて生じているはずなんだよね

たとえば 「風邪をひいてから妊娠しなくなった」とか 「遺伝子に異常が見られた」とか

そんな話きいたことないし あったらもっと重大なニュースになっているだろうに

ってか世界的に大騒ぎだろ

 

メッセンジャーRNAっていうのは いわば細胞内でタンパク質を作り出すための「使い捨て情報」で 宿主のDNAには基本的には影響しないとされている

DNAの方には修復機能があるそうだし 最悪修復不能となればアポトーシス(細胞自死)が働くんだそうな

そもそも変異というのも日常的に起きているものだそうで そんなことでいちいち影響受けるようにはヒトのDNAは脆弱ではないらしい

 

遺伝子の専門家による具体的なリスクの説明をしてやれば もっと若い人もワクチンに対する観念的恐怖心も減って接種も進むんじゃないかと思う

説明されてもなを怖いというのであれば それはそれで主体的判断は尊重してあげた方がいいだろうし

何せ詳細な説明なしに「デマだ」の一言では不信感を助長するだけだと思う

 

誰か説明してやれよ

サイエンスZEROで取り上げりゃ良いだろ りゅうちぇる呼んで説明したれ

 

 ◇追記:ファイザー、モデルナ、ビオンテックがmRNAワクチンだそうな

アストラゼネカはアデノウイルスにRNAを載せたもので 何か違うらしい

RNAは不安定で分解しやすく 体内に残らない

ファイザーとモデルナは30歳以下の若年層において心臓の筋膜に炎症を引き起こす率が接種をしていないグループと比較して増える傾向があると米国CDCによる発表があった

1度目よりも2度目の接種で発症するケースの方が多いので ワクチンの副反応の一つであると見られている

 

 ◇追記2:一体どんなデマが流れているのかとおもったら

「接種したところに磁石がくっつく」

「接種した人に近づくと体調が悪くなる」

もうね 笑わせようとしているのかしら

こんな話をリツィートした人は詐欺師に狙われるぞ

むしろそっちの方が心配だわ

そもそも磁石なんかつくわけないし ついたからといってなんなん?

針が折れて残ってるんじゃないの?

 

Ende;

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優先順位

2021年07月14日 17時21分21秒 | 意識論関連

ロシアにおけるキツネの人工繁殖では 数世代で多彩な遺伝的バリエーションを生じ 見た目も性格も様々な個体への変異が発生する

ところが 自然環境下におけるキツネはバリエーションがそんなにはない

なぜか? それはキツネは遺伝的に大きく逸脱した個体を淘汰する民族浄化的なバイアスがあるため 特異な変異個体を集団から排除してしまうからである

大抵の場合 キツネは集団から排除されれば生き残ることができず 死滅してしまうことになり 結果的に遺伝的にあまりバリエーションのない個体だけしか生き残らない

 

ヒトが集団内部において均一性を求めるのは 先天的に似たような個体同士で集団を形成しておいた方が気分的に安心だからである

キツネもヒトも 変わり者が先天的に嫌いなのである

たとえ主観的に「嫌い」でも 多様性の観点からは存在自体は認めることが必要である

均一にバカだったり 同じような能力しかなければ 社会の発展にもつながらないし 間違いにも誰も気づかなくなることになる

間違いに誰も気づかなければ 「人類の救済」のために地下鉄に毒ガス散布をすることに疑問を持たなくなる

東電社内において 福島第一原子力発電所の津波に対する脆弱性が組織的に放置されたのは 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が根源的原因である

テロと事故は同じではないと「思う」かもしれないが 権威の命令に唯々諾々と服従し 誰も批判することのない統率的協調性を発揮したことが 組織の暴走の原因となっているのは同じである

こうしたヒトの「習性」は 学生におけるイジメやヘイトスピーチにおいても同じメカニズムによって生じるものである

イジメの首謀者に同調し 統率的協調性を発揮することでイジメは問題になるほどの暴力性や排除性を発揮するのであって 個人が個人を嫌うだけなら問題となるほどのイジメにはならないのである

特定個人が別の特定個人に対して嫌悪したことに対し 同調して同じ観念を共有しておくことに快楽を感じるからこそ 統率協調的差別が集団組織的に暴走し始めるのである

気分的に安心だったり満足を感じられれば ヒトは自分たちのやっている行為に疑問を持たなくなる

イジメや差別を行うのはアスペルガーではない平均的なヒト達であり 空気を読んで同調していることに満足感が得られる平均的な多数派側が差別排除による民族浄化をやり始めるのである

これはヒトの先天的な本能や習性に起因するものであって 先天的本能習性や欲望自体は自ら欲することはできないが 習性や欲望が促す行動は選択可能である

ヒトは多数で集団組織的に少数異端を排除攻撃することに快楽を感じる先天的習性があり 無意識に何も考えなければMicrosoft社のTwitterAI同様に差別排除に同調便乗してしまいがちだが 差別排除そのものには何の合理性もないことに気づく「考え(理性)」が伴えば ヒトは人間性を発揮することも可能となるのである

様々な欲望の中から 統合的に合理性のある「目的」に基づいて行動を選択すれば 目先の欲望に惑わされることなく行動を選択することは可能なのである

どうせ必ず死ぬ個人的生存価よりも これからも生き続けるに価する社会のあり方を優先することの方が 個人における本当の「目的」として意味を持つことになる

目先の生存価だけを「目的」にしてしまえば 他人を騙したり貶(おとし)めたりすることも正当化されてしまうが そこには人間としての存在意義や尊厳は失われることになる

それはもはや「生きる屍(しかばね)」に過ぎない

サバイバーズギルドのように理論的には何の瑕疵もないのに感覚的に罪悪感を「感じて」しまうこともあれば 差別迫害やヘイトスピーチのように統率協調的行動に正義を「感じて」しまうこともある

ヒトとは先天的にはそういう残念な生き物であり 主観的感覚を客観的に検証する理性(考え)が働かなければ人間性は発揮されることはない

安全で持続可能な社会だからこそ「好きなことをして楽しい」のであり「飯も旨い」のであり 子供が次々と毎日のように擦り潰されるような社会なら生き続ける意味が全くなくなるのである

社会安全性や持続可能性の追求という「目的」のために必要なのは その場限りの気分的な感情論ではなく 論理客観的根拠を伴う合理的選択の方である

道徳云々の話になると 「タカシくんは優しい気持ちになりました」的に その場限りの気分的感情論ばかりが取り沙汰されるのだが これは本質的には「道徳」的に無責任であり 悪質な戯言に過ぎない

飲酒運転で子供を何人も轢き殺したバカを死刑にしても 「飲酒運転をするようなバカがどうして存在するのか」についての論理客観的原因究明をしないことには バカを何人死刑にしてもバカの根絶にはならない

どんなに通学路に強固なガードレールを設置しても 酔っ払って車を運転するようなバカがいる限り 誰がどこで轢き殺されるのかわかったものではない

危険学や失敗学に基づいた安全性の追求というのは 主観的な気分感情論とは全く無関係なものであり 徹頭徹尾論理客観的な工学的 科学的分析が最も重要なのであり 刑法を一時停止させることが被害者感情的に嫌悪感を持たれるかどうかは後回しにするのである

安全性を優先しない「倫理」など存在しないのである

社会安全性の追求の前において 個人の感情論は決して優先事項ではない

 

 

Ende;

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根本原因

2021年07月14日 10時45分58秒 | 意識論関連

AI兵器を国際法で規制するという話があるんだが

これはあまり効力がない

核ミサイルとかクラスター爆弾のような兵器であれば 国家単位で資金や技術を投入しないと作れないので これは法律で規制をかければ一応抑止にはなる

それでも北朝鮮のような独裁国家であれば核開発はできてしまう

 

AI兵器というのは資金も技術も必要とせず 地雷のように簡単に製造可能なものであり 法手続きで抑止できるようなものではない

拳銃ですら日本国内には入ってきてしまうわけで その上技術の進歩によって3Dプリンターで作ることも可能となる以上 AI兵器をテロリスト集団が大量生産することは 猛毒サリンよりもはるかに簡単なのである

 

罰という名の破壊や暴力によって「解決」だという観念を修正しないことには ヒトの暴力破壊を根本から抑制することは不可能である

ヒトという種の生物は 暴力的な「罰」さえ与えておけば問題が「解決」したと妄想錯覚する習性があり これは通り魔やテロリストや北朝鮮政府や戦前の日本軍のような暴走の根本的原因である

テロリストや通り魔の頭はイカれている それは間違いないのだが どのようにイカれているのかと言えば それは「暴力破壊さえすれば解決だ」という短絡的帰結(感情論)に囚われているからであり こうした観念は別にテロリスト達に限ったことではなく 梅沢富美男や彼に同調する大衆の脳も同じことである

ヒトは 気に入らない相手に罰を与えることが快楽なのである

快楽の多数決が根本的解決になるかと言えば これは全く別物である

「罰で解決」というヒトの先天的欠陥に起因する観念は ヒトにまで進化する以前に大脳辺縁系に組み込まれた無意識なバイアスであり 論理客観的合理的根拠を伴わない

それは危険学や失敗学基づいた分析においても「刑法を一時停止」させることにすら多くの大衆は拒絶反応を示し 意味を理解しようとはしないことからも明らかである

テロリストや通り魔を死刑にすれば テロや通り魔事件はなくなるのかと言えば そういうことではない

そもそもテロリストや通り魔というのは刑法罰など怖れてはおらず むしろ積極的に命懸けで「人類の救済」だと勝手に勘違いしていることもしばしばである

なにせ 猛毒のサリン製造などという 命懸けの作業であっても可能である以上 AI兵器の製造など法手続きで抑止することは不可能である

 

では どうすればAI兵器を用いたテロを抑止できるのかと言えば そもそもが「罰(暴力破壊)で解決だ」という大衆観念に基づいた司法手続きそのものを見直す必要がある

凶悪犯罪者に罰を与えても むしろ凶悪犯罪者ほど再犯率は高いことからも 刑罰は再発防止にほとんど意味がないことは 統計的にも明らかであり 論理客観的にも合理的根拠は何もない

相模原障害者施設虐殺事件の植松聖を死刑にしても そもそもがフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証すら誰も理解していない限り 「弱者は淘汰対象」という発想に基づいた非人道的行為はなくならないのである

多数決による国家権力を用いた「罰」さえ与えておけば大衆の多くは満足するが 主観的満足の多数決で問題が解決することの論理客観的根拠は何もないことを 多くの大衆やマスコミは全く理解していない

 

根本的な部分を全く理解してないにも関わらず その問題解決を「人類の叡智」などという実証不能の謎の能力に丸投げしようとするのが根本的に間違いなのである

「罰という暴力破壊で解決だ」と 大衆やマスコミの大半がそう思っているからこそ テロリストや通り魔は暴力破壊を解決だと勘違いしているのである

社会に様々な問題があるのは確かだが 具体的にどこに 合理的にどのような原因があるのかを指摘し 論理客観的な対策を施さなければ本当の「解決」にはならない

通り魔が暴力を振るうのは 大衆の多くが「罰で解決だ」という観念を鵜呑みにしている頭の悪さが温床になっているのであり 短絡的感情論に基づいた「刑罰」手続きそのものが根本的に間違っているのである

 

ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫」だと思っている

自分は完璧で 何も間違ってなどいないと そう主観的に「思って」いた方が気分的に安心で満足で ストレスも「感じない」からである

認知的不協和とは 要するに「気分の悪い話」のことであり 気分が悪くなる話を無視して意識から外す(認知的不協和を解消する)ためには 都合の良い証拠だけを持ち出して事実を捻じ曲げておくのが一番簡単である

ヒトの多くは 社会的問題を論理客観的に原因究明し 合理性のある対策を施すことを目的とはしておらず 単に自分の主観的気分さえ満足させてしまえば 本当は何も「解決」などしていなくても構わない

何度通り魔事件が発生しても 何度飲酒運転による死亡事故が発生しても 「罰で解決」しておけば満足なのである

法手続きというのは懲罰や報復以外に何も対策がない

北朝鮮政府や 戦前の日本政府に経済制裁を課しても 実際に苦しむのは国民であって 為政者は痛くも痒くもない

国民がどんなに飢えていても 為政者はブタのように肥えているものである

ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきたが 何が具体的に「実証不能の観念」なのかを理解認識していないことには話にならない

 

「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」ヒトとはそういうものであると私は考える

と養老孟司は著書「唯脳論」で述べている

もう この時点で論理が崩壊していることには誰も気づいていない

「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」とは ただの事実結果を述べたに過ぎず ヒトとはそういうものであるという件りは「考え」ではなく ただの勝手な決めつけに過ぎず 何の考えにもなっていない

ところがどっこい 大衆やマスコミの多くは こんな簡単な嘘にも気づくことができずに養老孟司というペテン師の言っている内容には意味があると 価値があると 勝手に勘違いしたまま 誰も何も指摘することがない

どんな嘘であっても 大衆から人気を得てしまえば金が儲かり 世間的には成功する

その世間的成功を短絡的に人間としての価値だとみなして養老孟司の言説に価値があるものだと 大衆やマスコミは錯覚しているのである

 

自分が何の疑いも持たずに鵜呑みにしている内容自体が実証不能の観念であることに気づかないことには あらゆる諸問題は それが問題であることすら認識できていないわけで

問題が解決するわけがない

 

 

 

イジメや差別といった行動習性は ヒトに限らず見られる

過酷な自然環境下においては イジメや差別によって集団内部の弱者を淘汰することの方が 種の存続において有利に働いた結果 イジメや差別が先天的習性として組み込まれることになったと言える

イジメや差別をしなかった個体種の方が 種の存続にとって不利だったため絶滅した「結果」である

こうした習性が先天的に組み込まれたのが ヒトに進化する以前なのか 後なのかはどうでもよろしい とにかく進化のどこかの過程において先天的に遺された「結果」に過ぎないことに違いはないからだ

ヒトはまだ 自分の遺伝子を自分では選んではいない

そもそも産まれる前に自分の遺伝子を「選ぶ」こと自体が構造原理的に不可能なのであり ゲノム編集技術を駆使しても この構造原理を変えることはできない

先天的な欠陥というのは ハードウェアな欠陥に例えることが可能であり 後天的に補うことは可能である

CPUという コンピューターの心臓部に欠陥があっても OSレベルで補うことも可能である

それは遺伝的進化のように無数の失敗を伴う偶発的な結果に頼ったメカニズムではなく 意図目的に基づいて自分で主体的に選択可能な「パッチ」を貼ることが可能であり これこそが「人間」としての知能(意識=自律的な論理客観的検証性)の本質である

ヒトは それが可能ではあるが 可能ではあっても主体性がなければ行われることはない

多数や権威といった他人の意見に惑わされることなく 自分の頭で物事を考え 検証することによって 何が真実で 何が実証不能の観念に過ぎないのかを区別することも可能である

 

ヒトは 一度自分が信じ込んだ内容を疑うことを拒絶する習性がある

洗脳とは 自分が信じた内容に一切の疑いを持たずに純粋に信じ続けることに「潔さ」を「感じ」てしまうという 先天的欠陥に由来するものである

その方が遺伝的進化の過程においては生存や種の存続においては有利だったからである

ミャンマー政府軍や香港警察のように 自国民(仲間)に暴力を振るうことが可能となるのは 一度信じ込んだ権威への忠誠忠実こそが人間性か何かであるかのような錯覚が促す暴走性が原因である

こうした性質は戦前の日本やドイツ 子供のイジメにおいても同じ原因であり カラスでもスズメでもサルでもシカでもやらかすものである

権威とみなした相手にのみ 忠誠忠実に唯々諾々と従うことにより統率協調的に淘汰圧力を働かせることが 生存価にとっては有利だったからであり 進化的にヒトという種の生物には非人間性も組み込まれているのである

 

イヌ科の動物は本来品種改良が非常にしやすく 野生のキツネを交配させると数世代で多数のバリエーションを得ることが可能である

だが 自然界においてはバリエーションは非常に小さいままなのは 種の保存にとって有利な行動を採る個体種以外が全て死滅淘汰する習性によって「民族浄化」が働いているからである

これは ヒトも同じである

にも関わらず リチャード:ドーキンスのお伽話を鵜呑みにし 「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている可能性がある」などというバカにとって都合の良い バカが主観的に気分が良くなる話を鵜呑みにすることによって 都合の悪い話 気分の悪くなる話がマスキング隠蔽されることになる

松沢哲郎や山極寿一の人気も ドーキンスのお伽話に便乗した非科学的なデマによるものである

気分が悪くなる話には大衆人気が得られない

当然ながら世間的にも成功はしない

人気が得られるのは 「知識のエコシステム」などという実証不能の観念を振り回すようなペテン師だけである

そしてマスコミは多数人気と世間的成功だけを基準にしか取り上げることはない

何が真実なのかは 最終的には「自分の頭で考える」しかない

「考えない」ヒトのことを何と形容するのかは 今まで何度も述べてきた

残念ながら深層学習AIは何も「考え」てはくれない

大量の「正解」データを基準に「正解っぽいもの」を確率的に割り出すようにしかできていないからである

従って AIが政治家に代わることは不可能である

AIが癌の見落としをサポートするように 政治家の判断の補助としては利用価値は見いだせるものの

AIは所詮機械であり「道具」に過ぎず 包丁と同様に料理にも虐殺にも使える二面性に違いはない

包丁を規制しても通り魔がなくならないのと同様 AI兵器を国際法で規制しても テロや紛争はなくすことはできない

テロだの紛争だのと暴力破壊による懲罰報復を「解決」だと錯覚している限り あらゆる暴力破壊は根絶できない

暴力破壊による懲罰を「解決」だとみなしているのはテロリストや通り魔だけではなく 大衆の大半は何の疑いも持ってはおらず 「こんな奴は死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らしておけば多数の同調者によって人気を得ることも簡単である

 

重大なバカが出てくる原因は その陰に隠れている無数の「小さなバカ」が温床となっているからである

そして 多くの大衆は「自分だけは大丈夫」だと過信することで 気分的に安心満足して思考を停止させることばかりに邁進するのである

 

バカの多数決がどのような結末に陥るのかは明らかだが バカが自らのバカさを自覚しないことにはバカげた結末を回避することもできない

「理性を超越(逸脱)した悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智」だの「道徳律」だのといった 論理的根拠を飛躍した妄想錯覚を共有していた方が「哲学者」共には人気が得られるものである

そして それら「実証不能の観念」を 金を支払って大学で教えられても誰も疑問には思わない

ヒトとは そういう残念な生き物に過ぎないことすら 誰も自覚していないのである

 

どんなに偏差値が高くても バカはバカなのである

 

 


Ende;

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