AI兵器を国際法で規制するという話があるんだが
これはあまり効力がない
核ミサイルとかクラスター爆弾のような兵器であれば 国家単位で資金や技術を投入しないと作れないので これは法律で規制をかければ一応抑止にはなる
それでも北朝鮮のような独裁国家であれば核開発はできてしまう
AI兵器というのは資金も技術も必要とせず 地雷のように簡単に製造可能なものであり 法手続きで抑止できるようなものではない
拳銃ですら日本国内には入ってきてしまうわけで その上技術の進歩によって3Dプリンターで作ることも可能となる以上 AI兵器をテロリスト集団が大量生産することは 猛毒サリンよりもはるかに簡単なのである
罰という名の破壊や暴力によって「解決」だという観念を修正しないことには ヒトの暴力破壊を根本から抑制することは不可能である
ヒトという種の生物は 暴力的な「罰」さえ与えておけば問題が「解決」したと妄想錯覚する習性があり これは通り魔やテロリストや北朝鮮政府や戦前の日本軍のような暴走の根本的原因である
テロリストや通り魔の頭はイカれている それは間違いないのだが どのようにイカれているのかと言えば それは「暴力破壊さえすれば解決だ」という短絡的帰結(感情論)に囚われているからであり こうした観念は別にテロリスト達に限ったことではなく 梅沢富美男や彼に同調する大衆の脳も同じことである
ヒトは 気に入らない相手に罰を与えることが快楽なのである
快楽の多数決が根本的解決になるかと言えば これは全く別物である
「罰で解決」というヒトの先天的欠陥に起因する観念は ヒトにまで進化する以前に大脳辺縁系に組み込まれた無意識なバイアスであり 論理客観的合理的根拠を伴わない
それは危険学や失敗学基づいた分析においても「刑法を一時停止」させることにすら多くの大衆は拒絶反応を示し 意味を理解しようとはしないことからも明らかである
テロリストや通り魔を死刑にすれば テロや通り魔事件はなくなるのかと言えば そういうことではない
そもそもテロリストや通り魔というのは刑法罰など怖れてはおらず むしろ積極的に命懸けで「人類の救済」だと勝手に勘違いしていることもしばしばである
なにせ 猛毒のサリン製造などという 命懸けの作業であっても可能である以上 AI兵器の製造など法手続きで抑止することは不可能である
では どうすればAI兵器を用いたテロを抑止できるのかと言えば そもそもが「罰(暴力破壊)で解決だ」という大衆観念に基づいた司法手続きそのものを見直す必要がある
凶悪犯罪者に罰を与えても むしろ凶悪犯罪者ほど再犯率は高いことからも 刑罰は再発防止にほとんど意味がないことは 統計的にも明らかであり 論理客観的にも合理的根拠は何もない
相模原障害者施設虐殺事件の植松聖を死刑にしても そもそもがフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証すら誰も理解していない限り 「弱者は淘汰対象」という発想に基づいた非人道的行為はなくならないのである
多数決による国家権力を用いた「罰」さえ与えておけば大衆の多くは満足するが 主観的満足の多数決で問題が解決することの論理客観的根拠は何もないことを 多くの大衆やマスコミは全く理解していない
根本的な部分を全く理解してないにも関わらず その問題解決を「人類の叡智」などという実証不能の謎の能力に丸投げしようとするのが根本的に間違いなのである
「罰という暴力破壊で解決だ」と 大衆やマスコミの大半がそう思っているからこそ テロリストや通り魔は暴力破壊を解決だと勘違いしているのである
社会に様々な問題があるのは確かだが 具体的にどこに 合理的にどのような原因があるのかを指摘し 論理客観的な対策を施さなければ本当の「解決」にはならない
通り魔が暴力を振るうのは 大衆の多くが「罰で解決だ」という観念を鵜呑みにしている頭の悪さが温床になっているのであり 短絡的感情論に基づいた「刑罰」手続きそのものが根本的に間違っているのである
ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫」だと思っている
自分は完璧で 何も間違ってなどいないと そう主観的に「思って」いた方が気分的に安心で満足で ストレスも「感じない」からである
認知的不協和とは 要するに「気分の悪い話」のことであり 気分が悪くなる話を無視して意識から外す(認知的不協和を解消する)ためには 都合の良い証拠だけを持ち出して事実を捻じ曲げておくのが一番簡単である
ヒトの多くは 社会的問題を論理客観的に原因究明し 合理性のある対策を施すことを目的とはしておらず 単に自分の主観的気分さえ満足させてしまえば 本当は何も「解決」などしていなくても構わない
何度通り魔事件が発生しても 何度飲酒運転による死亡事故が発生しても 「罰で解決」しておけば満足なのである
法手続きというのは懲罰や報復以外に何も対策がない
北朝鮮政府や 戦前の日本政府に経済制裁を課しても 実際に苦しむのは国民であって 為政者は痛くも痒くもない
国民がどんなに飢えていても 為政者はブタのように肥えているものである
ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきたが 何が具体的に「実証不能の観念」なのかを理解認識していないことには話にならない
「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」ヒトとはそういうものであると私は考える
と養老孟司は著書「唯脳論」で述べている
もう この時点で論理が崩壊していることには誰も気づいていない
「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑をかけてきた」とは ただの事実結果を述べたに過ぎず ヒトとはそういうものであるという件りは「考え」ではなく ただの勝手な決めつけに過ぎず 何の考えにもなっていない
ところがどっこい 大衆やマスコミの多くは こんな簡単な嘘にも気づくことができずに養老孟司というペテン師の言っている内容には意味があると 価値があると 勝手に勘違いしたまま 誰も何も指摘することがない
どんな嘘であっても 大衆から人気を得てしまえば金が儲かり 世間的には成功する
その世間的成功を短絡的に人間としての価値だとみなして養老孟司の言説に価値があるものだと 大衆やマスコミは錯覚しているのである
自分が何の疑いも持たずに鵜呑みにしている内容自体が実証不能の観念であることに気づかないことには あらゆる諸問題は それが問題であることすら認識できていないわけで
問題が解決するわけがない
イジメや差別といった行動習性は ヒトに限らず見られる
過酷な自然環境下においては イジメや差別によって集団内部の弱者を淘汰することの方が 種の存続において有利に働いた結果 イジメや差別が先天的習性として組み込まれることになったと言える
イジメや差別をしなかった個体種の方が 種の存続にとって不利だったため絶滅した「結果」である
こうした習性が先天的に組み込まれたのが ヒトに進化する以前なのか 後なのかはどうでもよろしい とにかく進化のどこかの過程において先天的に遺された「結果」に過ぎないことに違いはないからだ
ヒトはまだ 自分の遺伝子を自分では選んではいない
そもそも産まれる前に自分の遺伝子を「選ぶ」こと自体が構造原理的に不可能なのであり ゲノム編集技術を駆使しても この構造原理を変えることはできない
先天的な欠陥というのは ハードウェアな欠陥に例えることが可能であり 後天的に補うことは可能である
CPUという コンピューターの心臓部に欠陥があっても OSレベルで補うことも可能である
それは遺伝的進化のように無数の失敗を伴う偶発的な結果に頼ったメカニズムではなく 意図目的に基づいて自分で主体的に選択可能な「パッチ」を貼ることが可能であり これこそが「人間」としての知能(意識=自律的な論理客観的検証性)の本質である
ヒトは それが可能ではあるが 可能ではあっても主体性がなければ行われることはない
多数や権威といった他人の意見に惑わされることなく 自分の頭で物事を考え 検証することによって 何が真実で 何が実証不能の観念に過ぎないのかを区別することも可能である
ヒトは 一度自分が信じ込んだ内容を疑うことを拒絶する習性がある
洗脳とは 自分が信じた内容に一切の疑いを持たずに純粋に信じ続けることに「潔さ」を「感じ」てしまうという 先天的欠陥に由来するものである
その方が遺伝的進化の過程においては生存や種の存続においては有利だったからである
ミャンマー政府軍や香港警察のように 自国民(仲間)に暴力を振るうことが可能となるのは 一度信じ込んだ権威への忠誠忠実こそが人間性か何かであるかのような錯覚が促す暴走性が原因である
こうした性質は戦前の日本やドイツ 子供のイジメにおいても同じ原因であり カラスでもスズメでもサルでもシカでもやらかすものである
権威とみなした相手にのみ 忠誠忠実に唯々諾々と従うことにより統率協調的に淘汰圧力を働かせることが 生存価にとっては有利だったからであり 進化的にヒトという種の生物には非人間性も組み込まれているのである
イヌ科の動物は本来品種改良が非常にしやすく 野生のキツネを交配させると数世代で多数のバリエーションを得ることが可能である
だが 自然界においてはバリエーションは非常に小さいままなのは 種の保存にとって有利な行動を採る個体種以外が全て死滅淘汰する習性によって「民族浄化」が働いているからである
これは ヒトも同じである
にも関わらず リチャード:ドーキンスのお伽話を鵜呑みにし 「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている可能性がある」などというバカにとって都合の良い バカが主観的に気分が良くなる話を鵜呑みにすることによって 都合の悪い話 気分の悪くなる話がマスキング隠蔽されることになる
松沢哲郎や山極寿一の人気も ドーキンスのお伽話に便乗した非科学的なデマによるものである
気分が悪くなる話には大衆人気が得られない
当然ながら世間的にも成功はしない
人気が得られるのは 「知識のエコシステム」などという実証不能の観念を振り回すようなペテン師だけである
そしてマスコミは多数人気と世間的成功だけを基準にしか取り上げることはない
何が真実なのかは 最終的には「自分の頭で考える」しかない
「考えない」ヒトのことを何と形容するのかは 今まで何度も述べてきた
残念ながら深層学習AIは何も「考え」てはくれない
大量の「正解」データを基準に「正解っぽいもの」を確率的に割り出すようにしかできていないからである
従って AIが政治家に代わることは不可能である
AIが癌の見落としをサポートするように 政治家の判断の補助としては利用価値は見いだせるものの
AIは所詮機械であり「道具」に過ぎず 包丁と同様に料理にも虐殺にも使える二面性に違いはない
包丁を規制しても通り魔がなくならないのと同様 AI兵器を国際法で規制しても テロや紛争はなくすことはできない
テロだの紛争だのと暴力破壊による懲罰報復を「解決」だと錯覚している限り あらゆる暴力破壊は根絶できない
暴力破壊による懲罰を「解決」だとみなしているのはテロリストや通り魔だけではなく 大衆の大半は何の疑いも持ってはおらず 「こんな奴は死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らしておけば多数の同調者によって人気を得ることも簡単である
重大なバカが出てくる原因は その陰に隠れている無数の「小さなバカ」が温床となっているからである
そして 多くの大衆は「自分だけは大丈夫」だと過信することで 気分的に安心満足して思考を停止させることばかりに邁進するのである
バカの多数決がどのような結末に陥るのかは明らかだが バカが自らのバカさを自覚しないことにはバカげた結末を回避することもできない
「理性を超越(逸脱)した悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智」だの「道徳律」だのといった 論理的根拠を飛躍した妄想錯覚を共有していた方が「哲学者」共には人気が得られるものである
そして それら「実証不能の観念」を 金を支払って大学で教えられても誰も疑問には思わない
ヒトとは そういう残念な生き物に過ぎないことすら 誰も自覚していないのである
どんなに偏差値が高くても バカはバカなのである
Ende;