書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

他人を騙そうとする者にとってカモを見つけるのは簡単である

2019年06月20日 14時15分49秒 | 意識論関連
オキシトシンによって促される先天的な差別排除の行動バイアスによって自動的(自然)に幼形成熟傾向に伴う「穏やかな性格」を持った個体種への淘汰圧力が働く科学的根拠はありません

なのに 何で誰も疑わずに鵜呑みにするんでしょうな

バカなの?

考えるっていうことをしないの?

考えるのが嫌なの?

それとも何? 主観的気分の促されるままに差別排除さえしておけば自動的(自然)に人間性が自分に組み込まれるとでも思ってるの?

それ どういうメカニズム構造なの?

誰か説明してよ

意味わからん



疑うことをしない方が「楽」ではあるんでしょうよ

無責任なバカでいた方が 頭を使わずに済むので気分的には「楽」なんでしょうな

「自分(ヒト)という生物は 生物進化の過程で幼形成熟することによって先天的に穏やかな生物へと進化しているので なぁんにも考えなくても自動的に人間性が発揮されるように完璧に出来上がっている」とでも錯覚できれば満足なんすかね

そもそも「先天的に暴力性が低ければ人間性の論証になる」わけではありませんよ

人間性っていうのは あくまで「個人が自律的に社会的責任判断選択をすること」にあるんであって 単なる暴力を傍観してるだけの日和見主義というのは むしろ集団組織の無責任を助長する方向にしか働きません

事を荒立てずに傍観放置したり 体制に同調迎合する日和見主義なら 外見上は穏やかに見えるんでしょうよ

その「見える」っていうのは主観的感覚であって 錯覚の一種に過ぎないでしょうが

東電内部で原発の津波に対する脆弱性について何も言わない方が外見上は穏やかに「見える」んでしょうよ

西宮冷蔵みたいに雪印という大企業相手に内部告発なんかしない方が外見上は穏やかに「見える」んでしょうよ

間違っていることを「間違っているぞ」なんて告発したり公表したりせず 傍観放置しておけば外見上は穏やかに「見える」んでしょうよ

それ 人間性かい?



主観的感覚に過ぎない外見的な雰囲気と 論理客観的根拠のある論証とは全く別のものでしょ

何? 面倒臭いって?

やっぱ自分の頭で考えるのが嫌なんじゃん

だからバカが治らない

そりゃ間違いを誰も指摘出来ないわな

同じような間違いや失敗が全然改善しないのも必然ってもんですよ

子供が何人が死んでも実効性のある対策なんか採られるこたない

「自分だけは絶対に大丈夫」という正常性バイアスによる錯覚によって まるで振り込め詐欺師に何度もカモられる被害者のように その場限りに気分的に「悔やんだ」りするだけで 結局自分の何が具体的に悪いのかは認識しようとはしない

「反省したような気分」になるだけで 具体性のある論理的対策はしない

だから何度でもカモられる

あのね あんたら生物学者とか哲学者達にカモられてんだよ

もうアホらしくて説明する気が失せるわ



Ende;
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バカ司法

2019年06月20日 11時06分27秒 | 日記
傷害とか窃盗とか麻薬取締法違反とかで裁判中の奴を保釈してて

刑が確定して収容しようとしたら刃物持って車で逃走したという

裁判所ってバカなの?

何か意味の判らぬ屁理屈並べて危険人物を保釈するって

司法って社会安全性よか法手続きの方が優先されるの?

市民の安全性とか司法にとっては優先事項ではないようなのだ

もう意味わかんねぇ

社会を危険に曝してまで法手続きって優先されるものなの?

そこに倫理ってあるの?

なんなん 司法って



Ende;
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たいしたコタなかったらしい(いや結構あった)

2019年06月19日 00時18分32秒 | 日記
10時22分頃 新潟県で地震 津波注意報が出たが 何も起きなかったらしい

マグニチュード6.8(推定)

東京は「ゆら〜り」とほんのり揺れた

かなり局所的に震度6強(新潟県村上市など) 直下型かな?

柏崎刈羽原子力発電所の情報がないな あ 「異常はない」との情報 よかた

テレビ東京の津波情報で片渕アナが緊急速報 真顔が素敵 惚れてまうやろ〜

誰かスクショアップしてくんないかな (まだ何も起きてないので呑気)

各局緊急速報番組

菅官房長官が官邸入り

23時10分 菅官房長官 「菅 義偉」って名前なのね 読み方わかんないけど

山形県鶴岡は結構激震だったらしい

23時18分 新潟県粟島 微弱な津波を観測

女川原発でも異常なし

福島第一と第二にも異常は確認されていないとの情報

国道345号で道路が隆起したり崖崩れがあったらしい

上越新幹線一部運転見合わせ

「今の所大きな被害は報告されていない」:政府高官

JR羽越線でも運転見合わせ

NHK中継映像を見る限りでは 特に何もないようだ

23時45分 片渕アナ報道フロア

各局放送内容一斉変更

山形県内で5000戸の停電

原子力規制庁が全国の原発の異常の報告はないと発表

2355はやるのね

尾道の渡し船 スペシャルバージョン 運賃大人60円 自転車の方10円増し 隣の造船工場

でも本当 地震って予知できないわ



 ◇追記:翌日になって被害が明らかになってきて 震源付近は結構被害が出てた 山間部での被害ってなかなか情報が伝わらないんだろうな 停電もあったらしいので余計伝わらなかったのかも





Ende;
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東京都のアンケート

2019年06月18日 13時16分22秒 | 日記
さっき電話がかかってきて

自動音声で「東京都のアンケートで 家庭用蓄電池が云々」とかって言い出したんだけど

はたして本当に東京都からの電話なのかを確認のしようがないので  問答無用で切ってやったぜ

本当に東京都のアンケートだとしても 振り込め詐欺が横行している昨今に自動音声でアンケートなんか取るのは やり方として大間違いなんじゃないかと思うぞ



やっぱ詐欺だった




Ende;
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秋田代表

2019年06月16日 13時22分31秒 | 日記
女子校生ミスコンの秋田代表がディスられて辞退したそうなんだが


これって写真が良くないんじゃなかろうかと

顔立ちを見ると卓球選手の早田ひなちゃんに近そうで

参考画像:早田ひな

もしかすっと悪い緊張しててブサイクに写ってるだけで

普段の表情はもっとかわいいんじゃなかろかと思ってみたりする

たった一枚の写真だけでブサイク判定するのはちょっと気が早すぎんじゃなかろか

写真を撮られ慣れてない一般女子が いきなりスタジオで大勢のスタッフの囲まれて撮られても そんなに良い表情ができるとは限らないんじゃないかな

まあ 匿名の集団イジリなんてイタズラみたいなもんだから気に病む必要はないと思うが



 ◇追記:水原希子のラバースーツ写真も結構ブサイクだけどな
https://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1907/03/fsfigkikoruberr01.jpg


Ende;
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雨雲

2019年06月15日 12時27分23秒 | 日記

ヤヴァイ奴来た

 

Ende;

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鬱陶しい

2019年06月15日 11時42分44秒 | 日記
「腎臓疾患で透析に年間500万円かかるのに 生きていても社会に何も残せない」って悩んでいる人がいるんだけど

「社会に何かを残す」人って そんなにいるかな?

何か自分が尊大な「人類にとって有益な人物」でなきゃいけないとか 勝手に思い込んでいるだけなんじゃないだろか

気分的に「悩ん」だり「悔やん」だりしたところで それこそ何の役にも立たないんじゃないだろうか

「自分に今出来ることをやる」 それだけで充分なんじゃなかろうか

「出来ないことが 出来ない」って いくら悔み悩まれても それこそ何の役にも立たないでしょ

誰だって出来ないこた出来ないし 出来ることをやるだけなんだから 今現状出来ることを探してやる それ以外に何かあるのかな

身体障害が多重にあったりすれば それもまた金銭的には「社会の負担」なわけだけど それは別に「社会に負担をかけよう」と思って障害者になったわけじゃないんだから むしろ 「それでも人生を楽しんでいる」姿を見せることの方が建設的ではなかろうか

「夕暮れの色が綺麗だった」とか 「道端に咲いた花の色が好き」とか そういう主観でも良いから遺しておくことも 誰かの気分的癒やしにはなるんじゃなかろうか

逆に言えば 単なる主観を科学や哲学の論証みたいに言い張って 科学や哲学の真理を撹乱している方が 社会的には迷惑だと言える

生物学とか哲学とか経済学なんてのは そんなバカ研究者しかおらん こういう無能な研究者の給料や研究費用を公金から捻出している方が無駄

病気や障害というのは誰でもなる可能性があるものだから 自分が将来病気や障害になっても生きていることに意義を見い出せる姿を見せることの方が 社会にとっては有意義なんじゃなかろうか

たとえ健康で年収10億だとか言っても それは別に「社会に何かを遺した」ことにゃならんだろ

むしろ「社会に何かを残そう」などと称して無差別殺人みたいな迷惑行為の方が遥かに迷惑

水や大気や土に戻るまでの間 「今の自分に出来ることをやる」だけで良いんじゃなかろうか

それ以上の何かが出来る奴なんておらんじゃろ

勝手な主観的妄想で 勝手に悩まれても 鬱陶しいだけじゃねぇのかと

オラは思うぞ

「私のような人間が 生きて ここにいて 相済みません(養老孟司)」などという主観的観念を共有しているというのは

自分の謙虚さをアピールして 誰かに慰めてもらうことを期待して言っているとしか思えないんだよね

自発的 主体的 能動的 純粋に 自分がやりたいと思うことに集中し 熱中し 夢中になっていれば 「自分が生き続けることの意味がわからない」なんて言葉は出てこないはずなので

自分の無能をひけらかして謙虚さをアピールしているのって 実は姑息で卑しい奴の発言なんじゃなかろうかと思っている

自分が好きでやっていることが 社会にとって何の役に立つのかなんてわからない

もしかしたら役立つかもしんないし 役に立たないかもしんない

でもそれって科学実験と一緒で「やってみなくちゃ わからない」ことなので とりあえずやってみるという姿勢が大事なんじゃなかろうか

本当に主観的に好きなことであれば 他人よりも深く辛抱強く探求することが出来る

写真家の岩合光昭が猫の写真や動画を撮ったからといって それが社会にとって何の役に立つのかはわからないけど 専門の研究者に匹敵するくらいに猫の生態を解明してしまったりしている

だから 主観的に好きなことなら徹底して探求することによって 結果的に他人が気づかないような発見をすることもある

量子物理学研究者の益川敏英が「嫌いなことや苦手なことは そんなにやらなくて良いから 好きなことや得意なことを伸ばした方が良い」って言うのは そういうことなんじゃないかと思う

「私はこんなに無能です」って主張されても それ 何の役にも立たないですから

自分が社会にとって役に立つことが出来るかどうかなんて 結局は一生を終えた後になってからわかることであって

遺伝子の研究で有名なメンデルや 画家のフィンセント:ファン:ゴッホが生前評価されなかったからといって それが無意味だったわけではない

だから他人からの評価なんて アテにならない

「無駄かもしんないけど とりあえずやってみたいから やってみる」っていうスタンスで良いんだと思う

大体ノーベル賞受賞者の大半は そんなスタンスで研究してるんじゃないだろうか

実際 量子物理学でノーベル賞穫ったっつっても 今のところそれが一体何の役に立つのかなんてまだわかんないんだよね

他人からの評価を目的にしていれば 他人が誰もやらないような突拍子もないことには手を出さないわけよ

そうすると みんながやっているような平凡でつまらないことばっかり競争して 結局新しい発見や発明には至らない

誰もやったことのないようなこと 誰も考えたこともないことに挑戦してみて はじめて新しい発見や発明に至る可能性が出てくるんであって

「私のような人間が 生きて ここにいて 相済みません」なんて平凡でしょうもない観念を共有しても そんなもんクソの役にも立たない愚痴や嘆きでしかない

そういう愚痴とか嘆きを多数で共有したところで クソしょうもない観念の共有にしかなんないのよね

バカな奴は クソしょうもない観念を多数共有さえしとけば「普遍性の論証」になると思っているらしいのだが 主観をどんなに多数共有しても「ヒトには そういう習性傾向がある」ことの統計的論証にはなるんだろうけど それが論理客観的な人間性とか倫理の論証にはならない

どんなにクソしょうもない観念を多数共有しても それは主観的安心満足を得ているだけであって 人間性の論証にはならないのよ

人間性っていうのは客観的論理検証という意識によって発揮されるものであって 主観的観念の多数共有で論証されるようなもんじゃない

もしかすっと その部分を理解してない奴が多いんじゃなかろうか



Ende;
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こじつけ論法

2019年06月14日 10時43分59秒 | 意識論関連
遺伝的進化に目的が存在しないということは

先天的本能習性にも目的は存在しないことを意味する

ヒトの場合は客観的な論理検証に基づいて目的行動を採ることも可能であるが これを先天的本能習性による無意識な行動バイアスと混同しているフシがあり

バカ生物学者達は あたかも情動が促す行動バイアスにまで合理的目的が存在しているかのように勘違い錯覚しているようで

どうしても先天的本能習性が促す行動バイアスに目的をこじつける論法をやめようとしない

これを「バカ」以外にどう形容すれば良いのかは私は知らないし

知りたいとも思わない



Ende;
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イジメ差別の淘汰圧力

2019年06月13日 15時07分53秒 | 意識論関連
実際のイジメや差別の現場では暴力的で感情的な個体が差別を実行し その割合は1〜2割程度だという

あとの8〜9割は無関心な傍観者であって ヒトという種の生物の傾向性を正規分布的に見た場合 むしろ暴力的な個体と日和見主義への淘汰圧力にしか働くことはない

そもそも イジメや差別というのは 差別排除そのものが目的ではなく 差別排除をする対象は誰でも構わなくて

単なる主観的な嫌悪感に過ぎない「キモい」だの「かっこ悪い」だのといった合理性のない実証不能の幼稚な子供じみた観念だけで行われるものであり

統率協調的にイジメ差別という行動を採ることで仲間意識(無意識な快楽)を得るための中毒的行動バイアスに過ぎない

従って 差別排除が穏やかな個体への淘汰圧力として働くことはなく

むしろ 無意識で暴力的感情的ヒステリックな個体への服従性や迎合同調性を持った個体への淘汰圧力としてしか働かず

「脳が肥大した原因」や「穏やかな個体への淘汰圧力」である論証には全くならない



ロシア ノボシビルスクだかで行われているキツネを用いた変異品種改良実験においても

おそらくは性格の違うキツネ同士で集団生活させれば 穏やかで非暴力的個体の方が集団からの排除を受けるはずである

ネオテニー化というものは 暴力性の低下を招くものでもあり これが集団における統率協調的差別において残るような淘汰圧としては働きようがない
 
たとえ穏やかな個体が同調や迎合は出来たとしても 集団内部ではボス以外は繁殖しないのであって 同調性や迎合性だけは配偶者淘汰の対象にしかならない
 




Ende;
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ニーチェは実存主義ではない

2019年06月13日 01時01分11秒 | 意識論関連
フリードリヒ:ヴィルヘルム:ニーチェでググると実存主義だと形容しているが

これは頭の悪いエセ哲学者による身勝手な解釈に過ぎない

実存(哲学)というのは主観的な「癒やし」だの「満足」だの「悩みの解消」を得ることが目的ではない

哲学の目的は客観的な真理であり

主観的感覚を客観的真理と区別出来ていない時点で哲学者としてはクソポンコツとしか言いようがない



自己の生存というものを特別に尊大なものだと思う事が大間違いである

養老孟司も「命に関わることは人生において一大事」などと述べていたが

そもそも「生きていること」自体が自己の主体的選択ではなく 「死ぬこと」も同じである

生に対する執着(中毒)に苛まされているから煩悩なのであって

執着したからといって永遠に生きられるわけでもなく

悩むだけ無駄だと悟るべきである

「死ぬのが怖い」というのは主観的感覚であって客観的には自己個人など1/70億の一人に過ぎないのであり さしたる存在意義などありゃしないのである

自分のことを必要以上に社会において存在意義を求めるから 評価が得られないと勝手に憤慨して無差別報復に暴走したりするようになるのである

真理の追求に他人からの評価をアテにする必要性はない

主体的純粋に真理を求めることが哲学や科学であって 大多数がバカで真理を理解出来ないとしても それは大多数がバカであるからに過ぎず 知ったことではない

ガリレオの地動説を誰も理解出来ないとしても それはガリレオにとっては知ったことではない

唯「それでも地球は回っている」と述べるのみである



Ende;
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遠藤秀紀

2019年06月12日 22時47分09秒 | 意識論関連
遠藤秀紀は「卵生が胎生に変化するには大きな変化が要るようで 実はサラッとやってのける」と述べていたのだが

現在の生物相だけを見て「サラッとやってのけた」かのように勘違いするべきではない

進化の過程というのは膨大な淘汰(失敗)の末に偶発的に生き残った結果であり

紆余曲折膨大な試行錯誤の末に偶発的に生き残ったのであって

生物進化というのは膨大な屍の上に偶発的に成立したものであって

到底「サラッとやってのけた」などと言うことは出来ない



「二足歩行によって手を使うようになったことが脳肥大を促した」とも言うのだが

進化というものは個体の後天的努力は影響しないのであり

「手を使ったら脳が肥大する」という話は論理的飛躍がある



Ende;
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幼児性愛について

2019年06月12日 13時49分15秒 | 意識論関連

親や大人が「子供を守りたい」という感情や行動バイアス(親性)というものと

配偶者選択における行動バイアスの間には明確な境界線は特にない

親(大人)が子供に繁殖行動をしても合理性はないのだが 先天的に脳に組み込まれた行動バイアスや習性というものは そもそも目的のために合理的に選択されたものではなく 特定の行動バイアスや習性の結果として生存に適しただけに過ぎず 先天的行動バイアスに合理性がある必要性はないのである

幼児性愛の傾向を先天的に持った祖先が 成熟しても幼い容姿を持った個体を選択し続けることによって 結果的に脳の肥大や凶暴性の低い個体への進化(品種改良的な変異)を促し 大型の猿人を祖先としてヒトへと変異したに過ぎない

ヒトは別に人間になろうとしてヒトになったわけではないので ヒトという種の生物であるからといって いきなり自動的(自然)に人間性が発揮されるわけでもない

幼女性愛傾向というものが実際に幼形成熟を促すためには 外見が幼いだけで年齢は成熟している必要性があるのだが 幼女性愛傾向というのは別に「脳を肥大させよう」といった意図目的意識に基づいた合理性はないので 本当に未成熟な幼女に対しても繁殖行動を採ろうという行動バイアスが存在していても不思議ではないし それだけなら決して「異常」でもない

人間としての異常性というのは ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた無意識な行動バイアスのままに行動してしまうことであって これは「ヒト」であっても「人間」ではない

暴力的な男に対する恐怖心によって心拍数の増加を促すことにより 「吊橋効果」のように恋愛感情(繁殖行動バイアス)だと勘違いすることでDV男を配偶者選択してしまうことがあるが この種の錯覚というのはヒトの先天的欠陥であって 何も合理性はない

 

大衆観念的には ヒトという種の生物は完全無欠の存在で 進化によって常に正しい行動バイアスを発揮する優秀な遺伝的性質を持っているものであるという妄想観念を抱いておいた方が気分的に安心満足なのだが

これは科学的根拠のない妄想錯覚でしかない

生物進化というものには目的関数のようなものは存在せず 偶発的に「死ななかった」個体種への淘汰圧力の結果を生物進化と形容しているに過ぎないのである

遺伝的進化において個体の主観的な気分感情というものは意味がなく どんなに嫌であろうが何だろうが「死ななければ生きている」のが生物なのである

そこに不条理を「感じ」ようが何だろうが 進化や生存にとっては影響を及ぼさないし 人間性においても意味はない

そもそも主観に過ぎない「感じ」自体は先天的に決定しているものであり それは祖先の進化過程において偶発的に組み込まれた「結果」以上に意味はないのである

「目的」とは 意識(客観的論理検証)に基づき 合理的に算出したものを指すのであって 主観的「感覚」という無意識な行動バイアスに流されていれば人間としての目的を見失うのは必然である

人間としての目的とは 別に「生存」だの「遺伝子を遺す」だのといった「生物の結果」ではなく

一個の個体として最も優先されるものは何かを「考える」ことで導き出されるものである

ところがヒトという種の生物は そもそも人間として行動選択するようには出来ていないので どうしても動物的な先天的行動バイアスという本能習性に無意識に流され 怒りや焦りといった感情を基準に行動選択をしがちである

それこそがヒトの先天的欠陥なのである

差別排除や懲罰に明け暮れ 実効性のない不毛な「解決」の制度手続きに異常執着し 結果として同じような過ちを延々と繰り返し続けているのは そのためである

危険学や失敗学というのは こうしたヒトの先天的欠陥による不毛な「バカスパイラル」から脱し 科学的に再発防止にとって最も実効性のある対策を選択するものである

航空機や鉄道の事故では一般的に危険学に基づいた再発防止策が行われるのだが これが個別の自動車事故などにおいては全く行われず 右折事故だけで年間1万件も発生している交通事故では機械手続き的に罰だけ下して「解決」とみなし あとは民事訴訟で金を要求するだけしか制度上存在しておらず 具体的に実効性のある再発防止のための制度は存在すらしていないのである

話が逸れた

司法手続きの欠陥は別の機会に論じることにしよう

 

幼女に対する性的暴行事件が発生すると あたかも幼女に対する性的嗜好の全てが悪いかのようなレッテル貼りが行われるが これは間違いである

性的暴行というのは別に幼女でなくても成人女性でもダメなことに違いはなく 性的嗜好自体は単なる個人的な好みの問題でしかない

幼女性愛傾向を持つ人の大多数は別に性的暴行事件を起こすわけではなく 「ロリコン狩り」というのは単なる主観的な嫌悪感に基づく差別レッテルにしかなっておらず 「ひきこもり狩り」同様差別レッテル貼りによる集団私刑やイジメ差別の標的に過ぎない

相模原障害者施設虐殺のような「障害者狩り」も ナチス政権による「ユダヤ人狩り」も 結局は主観的嫌悪感の多数決による差別排除であり どんなに多数決的にレッテル貼りをしたところで そこに合理性が存在するわけでもなく 当然原因究明にも再発防止にもならない

本当に必要な再発防止策としては 被害者の年齢に関わらず 加害者の性的嗜好が行動に直結してしまう短絡性の原因を究明することであり 「性的嗜好」という主観的感覚が行動に直結してしまうというのは「〇〇狩り」における短絡性と程度の違いはあれ 短絡的であることに違いはない

「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れている(ハインリッヒの法則)」に基づいて考えれば 無数の無責任なバカの存在が 大きな無責任なバカを生み出す温床になっているのであって 多数なら責任が薄まるかのような感覚が促す錯覚こそが 重大犯罪を生み出しているのである

今ではミステリー小説賞の冠にまでなっている江戸川乱歩であるが 当時は「猟奇殺人を助長する」などと称して批判されていたのである

ロリコンにおいても同じで ロリヲタ相手の商売がオイシイと判明した途端にアニメキャラクターが一般的に大量に使われるようにもなった

ロリヲタの大半は現実の幼女に性的暴行を実際に加えようとは思っていないし 実際に路上で小学生が血まみれで死んでいたら飯が不味くて仕方ないはずである

それは江戸川乱歩の愛読者の大半が本当に猟奇殺人をしないのと同じことである

ビデオゲームにおいても殺し合いのゲームは人気だが 殺し合いゲームに熱中している人の大半は実際に大量殺人をするわけではない

空想や妄想による主観的満足というものと 論理科学的な客観性の区別がついていないから 無責任な感情論を多数で共有して その場限りの気分的満足ばかりで「解決」だと錯覚することで 具体的実効性のある犯罪の原因究明や再発防止が全く進まないのである

 

Ende;

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前後に暴走

2019年06月10日 18時18分50秒 | 日記
バックしようとしてRレンジでアクセルとブレーキを踏み間違えた場合

Nレンジにしようとセレクターを引くと そのままDレンジに入って今度は前進で暴走することになる事例が結構あるらしい

酷い場合はバックと前進を繰り返したりするそうなんだが バックに入れるにはロックボタンを押しながらじゃないとRレンジには入らないはずなので どうも反射的にロックボタンを押しながら操作しているようなのだ

DレンジからNレンジに切り替える時にはロックボタンには触れずにセレクターを前に押しさえすればRレンジには入らないのだが

パニックになるとどうにもならんらしい

何にせよ「とりあえずペダルから足離せ」って話なんだけど

どうも高齢者だとそれが基本的に出来ないらしい

やっぱり足元にブレーキとアクセルが並んで配置されていることが根本的に間違いなんじゃねぇかと思うんだが

 ◇追記:足に障害のある人用に 左手で操作するレバー式のアクセルに改造した自動車が改造申請して車検通るそうで

だったら健常者でも同じようにレバー式アクセルにしたら良かんべと思うのだが

足に障害のある人用の場合はレバーを引くとアクセルで 押すとブレーキになっているんだけど

健常者の場合はブレーキペダルは残しておけば左手と足の両方でブレーキを操作出来るようにしとけば良いんじゃないかと

障害者で車検が下りるんなら健常者でも危険ではないはずなので 改造申請が下りないってのはおかしな話なんだけどな



そもそもさ 過失事故の場合は司法警察じゃなくて運輸省国土交通省運輸安全委員会的なところに調査優先権があるようにしとかないと 警察って「罰が決まれば解決(業績)」なので あんま本気で再発防止に取り組む姿勢がないのよね



Ende;
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オキシトシン

2019年06月10日 12時39分31秒 | 意識論関連
オキシトシンは協調行動を採る際にも分泌される

ある生物学者は「暴力的な個体を排除し 穏やかな個体種だけで集団を形成する」のだと言うのだが

小学校などでのイジメや ヘイトスピーチにおける差別排除を見ていると「穏やかな個体だけで集団を形成する」ようには見えず

どう見ても暴力的な個体への同調圧力に屈して主体性のない個体だけで集団を形成するようにしか見えないのだ

冒頭の生物学者の主張は「イジメなどの差別排除というものが穏やかな個体種への淘汰圧力として働いてない」ことへの反証が示されておらず 単なる個人的な希望的予測(妄想)の範疇から出ていない



ネオテニー(幼形成熟)が どのような過程構造によって進んだのかは定かではないが オキシトシンによって促される先天的差別排除行動であるという説明には無理がある

私の個人的見解としては 配偶者選択において「より見た目の幼い個体を好んだ」ことがネオテニー化を促進したと考える方が合理的に思える

ヒトにおいて幼女性愛傾向が見られるのも それで説明がつくからだ

本来繁殖能力のない幼女に対して繁殖行動を促されるのは そもそも実年齢に対して見た目が幼い個体種への配偶者選択が働くことでネオテニー化が促された結果だと考えられる



ヒトに進化する以前の祖先の猿人が「ヒトに進化しよう」としてヒトに進化したわけではなく

あくまで結果的にヒトという種の生物に進化しただけであって 進化には目的関数のようなものは存在していないのである

ヒトは別に「人間になろう」として進化したのではない

この部分を理解していない生物学者があまりに多すぎて話にならない



Ende;
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ガンレフにアップロードしたった

2019年06月10日 00時21分22秒 | 写真











Ende;
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