書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

JavaScript

2021年01月18日 21時08分08秒 | 日記

電車のジョイント部分のスリ板って どういうわけかずっと見てられるので

それっぽいものをJavaScriptで再現できぬものかとYahoo!ジオシティーズでこさえたことがあったのだが

アクセスできなくなった上にジオシティーズごと消滅したので

再度一から作り直してみた

 ⇨ゆらゆら -SeesaaBLOG

ジオシティーズ版よかヒトダマ感がより強くなった気がする

 ◇追記:「^2」はjavascriptではビット排他的論理和演算で2乗ではなかった 結局2乗しなくても動きに違いはなかった

 ⇨ゆらゆら(改)

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で ヒトダマの動き全体がみたくて軌跡を描かせてみたのがこれ⇩

 ⇨

左右のカーソルキーで軌跡に影響を与えられるようになっている

キーボードがないことにはどうにもならんけど

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放物線を描かせてみた

 ⇨スーパーボール

多分桁が落ちているんだと思うんだけど 少しずつ跳ねる高さが低くなってしまう

ので

強制的に上にテレポーテーションさせて再開させている

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中央でカウントダウンする小さな数字をジッと見つめ続けていると白黒写真が総天然色になる

 ⇨色残像錯視

Seesaaブログってデフォルトだと「URL補完」っていう機能が働いて

スプリクトの中のURLにまでリンクを付加させてきちゃって動作不良を引き起こすんだけど

設定で無効にすることができた

 

Seesaaは広告がヒドいので スクリプトが表示されたらブラウザの「✖」ボタンを押してロードを強制停止させちまった方が不用意にページが動かなくて良いと思う

 

 

Ende;

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針原伸二

2021年01月16日 22時51分18秒 | 意識論関連

ディンカ族の手足が細長く進化したのは 手足の短い個体が淘汰された結果であって 環境適応するために自ら手足が長くなるように自己の遺伝子を都合よく書き換えたわけではない

こんな基本的な論理もわからないバカが生物学権威ヅラしているのが現状である

もう呆れるばかりである

 

 

Ende;

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必然的結果と合理的目的

2021年01月13日 17時58分14秒 | 意識論関連

野生環境下で脚の短いキリンが発見されたそうだが

「高い所のエサを食べるために進化したのに なぜ背の低いキリンがいるのか」などと言い出すバカがいる

遺伝的進化というのはあくまで偶発的な変異と環境に適応の必然的「結果」であって 別に「高い所のエサを食べるため」といった「目的」があるわけではない

合理性のない変異が起きても何もおかしなことなどないのである

結果的必然性と合理的目的の違いを理解していないバカが多すぎて話にならない

 

 

Ende;

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次亜塩素酸水

2021年01月12日 23時36分11秒 | 日記

パナソニックから次亜塩素酸水生成装置が発売されることになった

https://panasonic.jp/sanitizer/products/dl-sp006.html

でも既にアルコール除菌剤の量産体制が整ったらしくて品薄になることはなくなったので

今更次亜塩素酸水生成器出されても意味がよくわからない

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

西武線のCMに土屋太鳳ちゃんが出演しているのにJR東日本にも出てて良いのかなとか思ってたら

土屋太鳳ちゃんじゃなくて福本莉子ちゃんだった

脳みそがかなり劣化していて区別がつかねぇ

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「エバンゲリオン」ではなくて「ヱヴァンゲリヲン」だそうな

Android8.1は知っておった

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デジモデさんとこのカグラワックス値引きしとる

とは言え550グラム4,000円くらいなので インダストリアルクレイとくらべちゃうとなかなかのお値段

カグラワックス -degimode

50センチサイズのドールを想定しているので グラム当たりの単価が高いと厳しいな

インダストリアルクレイ -620g:1,540円

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ヨドバシでファンドソフトが販売終了になっている

製造元のアートクレイにも掲載されておらず

製造自体が終了したのかもしれない

まあ 代用可能な素材はあるこたあるんだが…

最近デジタル造形が増えて石粉粘土でフィギュア作る人が少ないのかも知れない

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https://www.asahibeer.co.jp/rich/nishino-iio/image/0827_LP_PC.mp4

西野七瀬はまだしも 飯尾和樹の人気がわからない

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西野七瀬と白石麻衣

https://pbs.twimg.com/media/ErDJfnDUYAEfuLN?format=jpg&name=large

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ビオリスガッキー

https://www.bioliss.jp/assets/img/top/kv_img_01.jpg
                                                      |
https://www.bioliss.jp/assets/img/top/kv_img_07.jpg

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メガネちゃん

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ニトリのカウチソファ


ここに座りたい

いっそのこと そういうソファ作れば良いのに

 

 

Ende;

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マシなこと

2021年01月12日 23時03分00秒 | 意識論関連

「何のために生きているのかわからない」という「悩み」を抱えている人の話を時折聞くんだが

そもそもこの世に産まれてくること自体が自分では選択不可能なものであり 生き続ける理由がわからないのは当たり前の話である

生き続ける価値というのは自分自身で見つけるものであって 神とか他人とかから与えられるものではない

生きる意味を他人から与えられているのでは 自律的な社会的責任判断が働かなくなる

個人的に楽しいと思えるものがあれば とりあえずは自分が生き続ける理由にはなるが

それとて永遠に生きられるわけでもなければ 永遠に生き続ける理由にもならない

所詮「生存」なんてのはかりそめのものであって そんなに過剰に重大に考える必要はない

アップル社の社長になったって どうせ死ぬときゃ死ぬのである

個人的に楽しいと思えるものがあっても 誰かが苦しんでいたら心の底からは楽しむことはできない

どんなに世間的に成功していても 近所の子供が車に轢かれて死んでしまっていたら 飯の味も何もわからなくなるものである

パレスチナで赤ん坊が丸焦げにされても 飢餓で苦しむ子供がいても やっぱり飯の味も個人的な楽しみも全部吹き飛んでしまう

でもパレスチナの事は日本に住んでいる一般人には何もできることはない できないことは悩んでも仕方ないので それは悩んでも意味がない

でもできることはある できる範囲で良いからできることだけやれば良い 食料ロスを減らすとか 温室効果ガス排出を減らすとか やれるこたいっぱいある

「一人は微力だけど 無力ではない」って言ってた人がいた その通りであろう

「悩み」というのは主観的な気分の問題に過ぎず 何かの役に立つわけではない

「死にたい」だとか言っている人もいるけど それは個人的な主観であって わざわざつぶやいたりするのは誰かと同じ観念を共有して安心したいだけである

キェルケゴールに言わせれば絶望の一形態としては非常に安易なものであり 語るにも足らない個人的感想に過ぎず 本当は何も絶望などしてない

すぐに「絶望だ」とか「仕方ない」などと安易に使う奴がいるけど 本当の絶望ってのはSNSでつぶやいている余裕などないし 「仕方ない」というのは本当は「他に一切の選択可能性が存在し得ない」状態を言うのである

松永莉子パパが「死にたい」だとか言わないだろ 言うまでもなく生き地獄なのは明らかだから いちいち他人と共感などするつもりはなく むしろ「自分と同じ地獄だけは他人には絶対に味あわせたくはない」と訴えるのである

本当に絶望している人は 泣き言で共感して欲しいなどとは思わないものなのである

「本能習性だから仕方ない」などというのも大嘘で 「本能習性だから抗うことが難しい」とは言えても 絶対に本能習性のままにしか行動することが不可能であることの論理的証拠なしに「仕方ない」ことを論証できないのである

本能や欲望については 何にも「仕方ない」ことなどないのである

平たく言えば ただの「わがまま」か「寝言」に過ぎない

「命は大切」だが 社会安全性や持続可能性のない社会なら生き続けても意味がない

「死ぬのが怖いから生きている」などというのは 何ら主体性というものがない

どうせまだ生きているのであれば 誰も苦しまない社会はどうやったら実現できるのかを考えることの方が建設的ポジティブである

どのような人になりたいのか その明確なVisionがないから 目先の安っぽい絶望なんぞに溺れて他人との共感や慰めばかりを求めようとするのである

自殺志願者同士で慰めあって 集団自殺でもすれば満足なのであろうが それは社会的には糞の役にも立たない不毛な主観的満足でしかない

生きていることが辛いというのであれば その辛さをどうやったら他人が陥らない社会にできるのか その論理客観的な合理性ある方策を「考える」ことの方が より人間としての価値(本質的な人間としての社会性)があると言えるのである

他の人と比べて自分の劣っている部分や 物質的金銭的貧困を嘆いて安易な絶望を主張するのは簡単である

今自分にできることは何か 何ならできるのか 何が得意なのか 何だったら突き詰めることができるのか それを見つけることが「人間として」重要である

失ったものや 生まれつき劣っている部分を嘆いても糞の役にも立たない

まだあるリソース資源や 自分の得意なことや好きで熱中することができることを突き詰める

「あれができない これができない」と嘆いてエタノールやニコチンで脳を麻痺させて他人に迷惑をかけている暇があるなら 「これならできるかも」というものを片っ端から試してみれば良かろう

できそうなことを できる範囲でやってみて 生きている間に評価されなくても エタノールで脳を麻痺させて他人に迷惑をかけているよりはマシな人生であろう

どちらを選ぶのかは「あなた次第」である そんなこた私の知ったことではない

日本に住んでいれば 香港みたいに権力者を批判しただけで投獄されたりはしないだけマシというものである

科学的真理を追求して地動説を唱えたら火炙りにされるわけでもない

その観点からは決して「ハズレ」の悪い時代や社会だとは言い切れない

生物学における「生存戦略」だの「生物の目的」などという論理的根拠のない著しい誤謬や 優生学に対する論理反証をいくら訴えても誰も耳を貸さない現状学術界には絶望しかしないが それを嘆いても何もならない

マルクス:ガブリエルなんぞを「新世代の哲学」などと称してチヤホヤし イマヌエル:カントの「純粋理性批判」なんぞを鵜呑みにしている現状哲学界を批判しても誰も耳を貸さず 絶望しか「感じ」ないが 絶望なんぞ所詮は個人的主観に過ぎず どんなに絶望しても社会的には意味がない

説明してもわからないのであれば 理解力のないバカの責任であって 私の責任ではない

私はできることを続けるだけである

それ以上のことはやるつもりはない

 

 

Ende;

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結果と目的

2021年01月10日 14時48分13秒 | 意識論関連

哲学は科学と異なり「目的」も扱う

「目的」とは 自己の主観に基づいたものであり 主観なくして「目的」を見定めることはできない

科学的な論理客観的根拠は既に世界(外界)存在する「結果」を導き出すだけであって 「目的」は科学では抽出することが原理的にできないからだ

「目的」とは自己(内界)における主観的感覚の中から導き出されるものであって 生物の遺伝的な進化における必然的な「結果」をどんなに大量に抽出枚挙しても「生物の目的は生存」であることの論証には全くならない

哲学では主観にも踏み込む

科学的探求というものは「真実を知りたい」という欲求(主観)が動機であるのだが 単なる主観だけでは「地下鉄に毒ガス」などという支離滅裂な「答え」に帰結してしまうこともしばしばである

「地下鉄に毒ガス」という帰結を信じ込んでしまうのは 論理客観的根拠に基づいた「考え」や「判断」が伴っていないからである

科学の動機は欲望であるが 論理客観的根拠に基づいた合理性のある検証(考え)なくして科学としては成立しない

単に主観的に気分が良くなる「信じたい話」だけを頼りにしているから論理客観的根拠に基づいた検証性が失われて科学を逸脱するのである

 

ドイツ語におけるGaistには「霊的なもの」も含まれているという

「霊的なもの」って何だっつうと 要は感覚的に「感じているもの」である

神を信じたがるのは 信じていれば安心満足で 信じていないと恐怖や不安を感じるから信じたがるのであって どんなに多数のヒトが信じたがる傾向があったとしても それが主観的感覚によって促されている錯覚に過ぎないことの反証にはならない

左側頭葉の一部に強力な磁気刺激を与えると神を感じることがあるという

神を神だと感じ それが神以外の悪魔か何かとは感じないのは それが主観的に「気持ち良い」からである

そもそもヒトは哺乳類であるため 産まれてくれば「親」に頼り信じ込み服従することで生存に適するような遺伝的進化が組み込まれており 特定の誰か他者を盲目的に信じ込んおけば安心する個体への淘汰圧力によって「親」を超越した「超親」として「神」を求める習性が存在すると言える

「多くのヒトが求めるもの」だからといって それが「人間の目的」の論証にはならない それは単に「ヒトの習性(傾向性・バイアス)に過ぎず バイアスであるという点において無意識なのである

神話の共通性をどんなに陳列枚挙しても それは「ヒトに共通する習性」に由来するものであることの論証にはなっても 「人間性の論証」だの「目的」であることの根拠論証には全くならない

 

科学的探究心というものは 主観的感覚だけではわからない「怪異」に対して 実験的結果や数理的分析による論理客観的根拠に基づいて「本当の原因」を求めることで科学的論証として成立するのであって 主観的に「俺たちは神を感じるから 神は実在する」という話は科学的論証にはならない

ヒトが「なぜ神を感じるのか」は既に述べたが 感覚によって促される「怪異」的な恐怖や不安が科学的探求の動機にはなるとしても 主観に過ぎない感覚だけで論理的根拠もなく実証不能の謎の観念を信じこもうとするのは科学や哲学からの逸脱にしかならない

真実というものはあくまで論理客観的な根拠に基づいて論証される必要性がある

論理的根拠が伴わなければ真実であることの証明がないからである

 

人間性というのを客観的に定義すれば 「利己を棄て自己犠牲を伴ってでも社会的責任を負う選択」だと言える

ヒトの多くは「死にたくない」だろうが たくさんのヒトが「死にたくない」と「感じ」「思って」いるとしても それは「ヒトの習性」という結果を述べたに過ぎず 「ヒトの目的」にも ましてや「人間の目的」の論証にも一切ならない

真理というものは多数決で決まるものではなく あくまで論理客観的根拠に基づいて抽出されなくてはならない

人間としての「目的」とは社会安全性を追求することである

持続可能性の追求もまた 社会安全性の中にあるものであって そのためには利己的利益を後回しにして自己犠牲をはらってでも社会安全性を目的にすることが人間としての目的だと言えるのである

自己がどんなに社会の中で「生存にとって有利な行動」を採っても 所詮は必ず死ぬのであって 利己性の追求というのは本当は合理性がない

「死にたくない」というのは主観的感覚だけであって 合理的な根拠を伴うわけではない

しかし 社会安全性の追求もまた主観的感覚に基づくものではあるものの それこそが「人間」としての社会的合理性が伴うのであり 人間としての「目的」の論証に適うのである

誰も赤ん坊が丸焦げにされたり餓死したりする社会の中で生き続けていたいと思う奴はいないのであって そこはやはり宮沢賢治の言う「全ての人が幸福にならなければ自己の幸福もあり得ない」のである

目の前で子供が車に轢き殺されていたら飯の味なんぞわからなくなる

わからなくなるはずなのだが 連続幼女殺人を行った宮崎勤は殺害した幼女を喰ったという それはもはや味覚も含めて様々な「感覚」が壊れているのであろう

社会安全性にとって最も重要なのは こうした「人間として壊れている」者に懲罰を加えて満足することではなく 「どうして壊れているのか 何がどうしてこうなったのか」についての原因究明による再発防止である

幼女強姦などの幼児性愛性というものはヒトの男には少なからず存在する願望であって エロ漫画でも幼女強姦が描かれているものも少なくはなく 現代芸術家として有名な会田誠も少女の手足を切断してイヌ用のリードを着けた作品を発表して人気を得ていたりするものであって こうした「少女に対する猟奇性」は決して少数派ではない

漫画や日本画は芸術分野であって内容に倫理が伴う必要性はないが 科学や哲学は芸術(主観)だけで決定されるべきものではないので倫理が必要であり そもそも哲学は倫理を扱う分野であり 倫理もまた論理的根拠に基づいて「本当の倫理とは何か」を検証せずに倫理もヘッタクレもないのである

そもそも繁殖行動バイアスとして「勃起したペニスを挿入して痛がり嫌がる相手に興奮する」のが「ヒト」であり こうした先天的本能習性というものはヒトにまで進化する以前から「生存や繁殖にとって適した結果」に過ぎず こうした先天的欲望や願望には自己選択可能性はなく 個人の「目的」であることの論証にもならない

手当たり次第に通りすがりの少女を強姦しているような奴ばかりなら 社会安全性もスッタクレもあったものではないのは説明するまでもなかろう そんな社会の中で生き続ける合理的必要性など存在しないのである

ヒトには様々な「感覚」が存在していて その中から客観的に合理性のある行動選択をすることによって はじめて「人間」として存在可能となるのである

主観的感覚とは 先天的に組み込まれたものであって 選択可能性は存在しておらず 錯覚などの認識的欠陥が伴う可能性を否定できない

だから論理客観性に基づいた検証(考え)が必要なのである

論理客観的根拠のない話を信じ込んでいたのでは 安全性の保証がなく 無責任性の観点からは同罪である

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における理性を超越した「悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智界」などといった話には そもそも理性を超越(逸脱)しているために論理客観的な根拠が全く伴っておらず カントの勝手な妄想錯覚以上の意味が存在しないのであり 安全性の保証がない

安全性の保証根拠がない話であっても 大衆の多くは主観的に満足さえすれば鵜呑みにし 信じ込んで安心して それ以上何も考えなくなることで 洗脳は成立するのである

マルクス:ガブリエルだの養老孟司だのリチャード:ドーキンスだのを科学や哲学だと信じ込んで鵜呑みにしていれば 大衆の大半は安心で満足なのだろうが その自律的論理検証性の欠落は社会的無責任の点において同罪なのである

刑事罰制度も同様である

司法役人任せにしておけば通り魔が出てこなくなるわけでも 犯罪の原因がわかるわけでもないのに 裁判員制度ごときで司法改革だと錯覚しているのはあまりにもバカげた話である

感覚的に多数のヒトが「刑罰で解決だ」と「思って」いても その多数決が本当に社会安全性にとって合理的に安全性の根拠が伴うわけではない

論理客観的に回避可能な危険性が存在することを無視し 目先の主観的満足安心ばかりを追求しておいて 原発の津波に対する脆弱性を放置した東電担当者や役員達を糾弾する道義的権利はない

 

時折デイビッド:フィンチャーの映画さながらの猟奇的殺人事件の報道があるが 1/数万程度の確率で猟奇殺人が起きていることになる それもあくまで警察による「犯罪認知件数」の範囲であって 実態は実際にはもっと多いことはあっても 少ないことはない

日本は犯罪件数自体が非常に少ないのだが 「少ないから良いや」という話にはならない

数だけを根拠にするのであれば 「航空機事故による死亡率は低いから対策を怠っても良い」ことになるのである

一つの重大事象の陰には 無数の小さな事象が隠れているのであり ヒトという種の生物に普遍的に存在している「人間としての欠陥」は全てのヒトが自覚しなければならないのであって 「自分だけは絶対に大丈夫だ」という身勝手な話は通用しないのである

 

 

Ende;

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ハーメルンの笛吹き猿

2021年01月09日 15時01分01秒 | 意識論関連

生存に対する結果的必然性をどんなに枚挙陳列しても 生存そのものが「生物の目的」であることの論証にはならない

ヒトが神を求める結果的必然性をどんなに陳列枚挙しても 神の実存の論証にはならないのと同じである

ヒトが求める神や神話の共通性を陳列枚挙しても 神の実存の証明にはならない

ヒトという種の生物の先天的錯覚によって ヒトが作り出す神話に共通性が伴うことは言えるが ヒトの先天的錯覚をどんなに多数枚挙しても 錯覚は錯覚である

そもそも社会安全性を求めているのは「人間」であって神ではない

遺伝的進化が主観的な望みや祈りや呪いで起きるものではないのと同様に 実存証明もない神に頼ることよりも 人間性や倫理とは何かを厳密に理解することの方が実利的で有効なのである

神に人智を超越した謎の知識や力や能力があるとしても それが人間社会の安全性や持続可能性にとって有効であることの根拠にはならない

謎の超能力でも持っていれば ヒトの多くは霊的な感覚によって恐怖や畏怖の感情を持ち 「従わないとどうなるかわからない」という強迫観念から盲目的な信頼や信仰をしたがるが それらは全て主観的感覚によるものであり 先天的行動バイアスによって促される無意識な条件反射に過ぎない

ヒトという種の生物だけに見られる先天的習性を論証しても それは「ヒトという種の生物の先天的習性」の論証にしかならず 「ヒトには先天的な錯覚や欠陥が一切存在しない」ことの論証が不可能である以上 「ヒトという種の生物=人間」という方程式は成立しないのである

歴史上ヒトは様々な非合理的虐殺や差別を繰り返してきたのであって それがなくならないのは自分というものが先天的に「絶対に大丈夫だ」と錯覚する正常性バイアスが働くことによって 自己客観性が働かなくなるからである

ヒトという種の生物は先天的に人間としての欠陥があり 様々な感情や主観によって論理客観的な検証性(考え)が働かなくなることによって 簡単に非合理な行動に陥り ヘイトスピーチやイジメや差別による虐待虐殺を行うようになるのである

過去の「失態」を論理客観的に原因究明し再発防止の対策に活かすという教訓がないから 何度も同じような差別を繰り返すことになるのである

ヒトは先天的に人間ではなく 先天的には「人間としての欠陥」が存在しているからこそ ヒトは簡単に人間性を失い非合理な行動を繰り返すのである

戦国時代の覇権争いによる紛争を英雄視するといった無責任な解釈の仕方をすることも 非合理性の一面である

シリアやアフガニスタンにおける軍閥同士の紛争を指揮していても それが人間性や英雄であることの証明にはならないのと同様 それを単に「時代の所為」にしておけば正当化できると「思って」いるのは歴史家共のエゴである

歴史上ヒトは幾度となく殺し合いをしてきたのであって その現象から「真理」を探求せずに結果だけを枚挙して「英雄」だのと形容することばかりしているから 具体的な教訓としての再発防止策が全く出てこないのである

つまり 現状の歴史教育というものは科学的な解明が一切伴わない 文学(主観)的オカルト観念にしかなっていないのである

池上彰は「なぜ戦争がなくならないのか これを見ればわかる」などと称した番組を放送していたが 実際には具体的に戦争が起きる論理客観的原因を述べたわけではなく 戦争が産業化したことによる「戦争が終わりづらい要因の幾つか現象論を陳列したに過ぎない

本当に論理客観的に「原因」がわかっているのであれば 実質的に戦争や紛争を回避するための対策として活かすことが可能なのであって 池上彰はそのことには一切言及していないのである

にも関わらず 大衆もマスコミもそれが嘘だと見抜くことができずに観念的な「納得」だけで 言っている内容の論理整合性の欠落には誰も気付いていない

それは池上彰も含めて鵜呑みにした視聴者や放送したマスコミにも社会的な無責任性が存在しているのである

どんなにバカが多数であっても バカでいることが許されるわけではないが だからといって「罰」でバカが治るわけでもないこともわかっている だからこその「刑法廃止」論なのである

頭の悪さというものは 機械手続き的な懲役罰で治る論理的根拠は何もないのであって 犯罪のようにわかりやすい顕著なバカが出てくる大きな要因として 世間大衆に蔓延する顕在化しない頭の悪さが温床となっているのである

「一つの大きな事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」とは ハインリッヒの法則だが これはヒトの頭の悪さにも共通することである

「独習」などと称して知識の「量」さえ獲得すれば頭が良くなり世間的に成功するかのような「エサ(脳への報酬)」につられて鵜呑みにするバカは多いが

著者の一人である読書猿自身が「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえる」などという非科学的デマにも誰も気づかない時点でバカ確定である

そんなデマを鵜呑みにしておいて 都合よくデマや嘘に騙されないようになるわけがないのは当たり前の話である

嘘やデマと 真理真実を見極め区別するために必要なのは「知識の量」ではなく 主体的自発的に論理客観的に検証しようとする本質的な人間としての意識である

「自律とは自発の中にあり 他にはない」これは定理である

自発性や主体性のない奴に自律なんぞあるわけがないからだ

ヒトはその先天的な社会形成習性によって 他人からの評価という「他人から与えられる脳への報酬」につられて主体性を簡単に喪失する性質がある

ギャンブル依存症などと同様に 承認欲求もまた中毒性があるため 他人からそそのかされる形での「独習」で満足したがるが 速読というのは内容を主観的な雰囲気だけで解釈する方法論であって 内容を厳密に精査する検証性はほとんど働かないため どんなに大量の書籍を読んでも 内容の間違いや嘘には気づくことはできないのである

そもそも他人から勧められた「独習」である時点で 既に主体性を持った独学ではない

大衆の多数人気よる発行部数や売り上げは 内容の論理客観的正確さの論証には一切ならない

むしろ大衆人気がある時点で大衆迎合や洗脳に過ぎない可能性を疑うべきである

「ハーメルンの笛吹き男」は実話であり ヒトとは多数人気に同調して簡単に洗脳され騙されるものなのである

身銭を切って購入した書籍だと 「身銭を切った」ことを事後正当化してしまうため その内容に嘘やデマが混入していても認識しようとはしなくなる傾向があり 書籍が高価なほどその傾向は高くなる

ヒトは元々洗脳されやすい性質があることを踏まえれば 「どのような洗脳の構造があるのか」を自覚して物事を見るようにもできるのだが ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫だ」という感覚的錯覚によって簡単にバカになり 洗脳にも気づかなくなるのである

 

言っておくが どこの出版社も書籍の内容の真偽に責任など負うつもりはなく 何百年にも亘ってイマヌエル:カントの「純粋理性批判」などというオカルトファンタジーを「哲学」として扱っていたのである

こうしたメディアの無責任性も含めての「メディア:リテラシー」だということを自覚する必要がある

自分の頭の悪さを自覚しなければ 何度でもデマや嘘に騙されることに陥る

それは「必然」というものである

 

 

Ende;

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霊的なもの

2021年01月09日 13時35分18秒 | 意識論関連

「国民」と一言で括ってもいろいろな人がいて

国家権力による刑法罰で威圧しなければ自主的には社会安全性や公平性に一切配慮しないバカもいるのだが 世の中そんなバカしかいないわけではないはずである

今回の新型コロナウイルス感染症対策や温室効果ガス削減対策といったものについては 国家権力を用いた威圧的な刑法罰ではどうにもならず あくまで個人による自主的 自律的な行動が求められるのであり 

「法律で規制さえしておけば全ては解決する」という為政者や役人による短絡的発想こそが国民の主体性の醸成を阻害しているのである

 

ヒトという種の生物は どうしても主観的な安心満足ばかりを追求し 論理客観的な検証に基づいた行動選択をしたがらない傾向があり

また 多数派や多数派が認証している権威や権力者に服従迎合しておいた方が主観的に安心な習性が先天的にあるため どうしても主体的には論理客観的判断選択というものが蔑ろにされがちな傾向が強い

だからといって十把ひとからげに「刑法罰で威圧さえして服従さえさせておけば良い」という短絡的な発想では むしろ国民の主体的判断能力というものを阻害するばかりである

刑法罰などの威圧的抑圧ばかりに頼ってしまえば 国民は罰に対する恐怖心(主観)でしか行動選択が出来なくなってしまうようになる

これは家庭内での子供の虐待と同じように ヒトから主体性を奪ってしまい 同時に自律的な判断能力も奪ってしまうことになるのである

為政者や役人による短絡的な刑法依存もまた 自律的な判断能力の欠如が招くものであり バカのスパイラル状態がバカを助長する温床になってしまっているのである

 

刑法罰がなければ主体的に社会的責任を負う選択をしないバカが一定数存在することは確かだが 感染症対策や温室効果ガス削減においては罰で抑圧して解決するものではなく あくまで国民一人一人の主体的で自律ある行動選択がなければ実現不可能である

そもそも自律のないバカに対して どんなに刑罰を与えても自律的な社会的責任判断能力が発揮されるようになるわけでもないのであって 罰では社会安全性は高まらないのであり 実際刑罰というものは再犯率が50%近くあり 犯罪者の半数は「治っていない」のである

犯罪者が「治っていない」にも関わらず 司法手続き上「懲役◯年」などという判決に基づいて刑を執行しても その半数は再度社会の中で再び被害をもたらしてしまうのであり その被害の責任については司法役人の誰も責任を負わない制度にしかなっていない

主体的に社会的責任を負わないバカであれば 殴って(罰)服従させておけば主観的には満足であり それは私も感覚(主観)的同じではある

だが 主観的満足では論理客観的な安全性には結びつかないのであって だからこそ危険学や失敗学では「刑法を一時停止」させて徹底した原因究明と再発防止を優先するのである

社会にとって最も重要なのは安全性である

安全性にとって最も優先されるべきものは罰という感情論ではない
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ドイツ語のガイストと日本語の精神―知性のない精神

このブログの著者が誰なのかがわからないのだが 日本語における「精神」についての批判は的を射ており 文章も読みやすいのでお薦めできる

日本では古来から「精神論」と称して努力辛抱根性論のようなものを指しているのだが これは知性とは正反対とも言える概念である

 

しかし「霊的なものと知性が矛盾しない」という発想は鵜呑みにしてしまうとオカルトにしかならない

そもそも科学や哲学というものは「怪異(主観的感覚)」を解明して「真理」を識別するためのものであり その動機としての知的好奇心自体は理性ではなく 欲望である

社会安全性を優先するという「選択」自体は欲望の一つであるのだが 様々な自己の欲望の中から優先順位をつけるのは理性である

純粋理性状態とも言える大脳辺縁系を損傷した人にとっては こうした「選択」自体も働くことはない

大脳辺縁系を損傷してしまうと欲望の全てを失うことになるため 知的探究心をも失うことになる

しかし 理性が働かずに目先の欲望の強度程度で行動が決定していれば野獣の行動と変わりはなくなる

これは文系の奴らが主張したがる「バランス問題」ではなく あくまで理性が欲望を制御していることによってはじめて人間性や倫理として働くのであって 決してバランスの問題ではない

欲望のままに好奇心だけで判断しても真実を見極めることはできず あくまで動機としての好奇心(欲望)に基づき理性によるフィルターによって不純物としての誤謬を取り除くことによって真理を見極めることが可能となるのである

大脳辺縁系を損傷していないのであれば 欲望は勝手に働くものであり それゆえヒトの多くはヘイトスピーチだの私刑だのイジメといった非合理な行動にも暴走するようになるのである

しかし理性は勝手に働くことはなく あくまで主体的に物事を判断しようとする本質的な人間としての意識がなければ働くことはない

それなら大脳辺縁系を損傷していない一般的なヒトが優先すべきは理性の方であり 感情の方ではない

 

霊的なものと知性が矛盾しない」わけではなく 「霊的」なものとは何かを論理客観的に分析すれば それは主観的感覚や錯覚に他ならない

どんなにたくさんのヒトが同じ錯覚を「感じる」としても その感覚としての「霊的なもの」が科学的に証明されるわけではない

あくまで主観には錯覚が伴う可能性が排除できず むしろその錯覚の原因となる「必然的理由」は解明できるとしても 錯覚それ自体が錯覚ではないことの論証にはならない

それは「生物というものが結果的に生存していることの必然的理由」と「生物の目的」の違いと同じであり どんなに大量の結果を陳列枚挙しても それが目的であることの論証にはならない

感覚(主観)によって促される様々な怪異(恐怖)に対して 論理客観的証拠によって「何が起きているのか」という真理を見極めることで 科学や哲学として成立するのであって 「霊的なものの全てが知性と矛盾しない」という話にはならない

怪異などに対する恐怖心を動機として 真実を探求し 見極めようとすることで科学や哲学が成立するとは言えるのだが そこには必ず理性としての論理客観的根拠や証拠が伴う必要がある

 

単なる「多数の感情論」によって厳罰化や死刑制度を「民主主義」的に正当化しても それが「社会安全性にとって最も有効である」ことの論証にはならない

加害者側が潔く罰を受け入れたからといって 加害の原因が解明されるわけでもなく 通り魔が死刑を望んでも通り魔事件そのものの原因究明にも再発防止にもならず 似たような非合理でバカげた無差別殺人は繰り返すことになるのである

こうしたバカげた現状制度を傍観放置することもまた 社会的には無責任な選択であり どんなに多数が傍観放置しているとしても 「責任が薄まる」わけではない

 

 

Ende;

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いろいろあれこれつれづれ

2021年01月07日 18時13分06秒 | 日記

欅坂46が2020年10月14日に櫻坂46に改名

平手友梨奈が卒業してた

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上白石萌音ちゃん(姉)

https://www.crank-in.net/img/db/1442124_1200.jpg

https://www.crank-in.net/img/db/1442125_1200.jpg

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紀平梨花と本田真凜の見分けがつきにくい

みちょぱとゆきぽよ程ではない

ゆきぽよは自動車運転免許を持っていて 日頃から乗り慣れているが みちょぱは無免許だそうな

なので 自動車運転してたらゆきぽよ

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ヘッドフォンのパッドカバーってのが2,750円くらいで売っているのだが

 フィフティスクエア -ヨドバシ

2000円程度のチープなヘッドフォンに使うには割高感が拭えないのでニトリのシーツを素材に使って自作できないものかと思っている

 Nフィットシーツ -ニトリ

 ストレッチ生地

 -生地屋トマト(日暮里)

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こじはるのブランド

Her lip to

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2020年大晦日の感染確認者数 1,337

2021年元日の感染確認者数 783

これはいつピークアウトすんのかしら…

報告日別による陽性者数の推移 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

6日は1,591人

7日は2447人

100人以下になるには都市封鎖しても2月末だとかいう予測も出ている

NHKのニュース番組とかだと ある程度良識のある人しか取材しないけど

実際には「月曜から夜ふかし」に出てくるようなトンチキな奴ってのも一定数いて

街を歩いていると時折糞DQNが集団で騒いでいるのを見かけることもある

もう特措法で歩行者でも泥酔を期間限定でも良いから厳罰化しとかないとどうにもならない気がするよ

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テレビCM打ってたわ

DIC岡里帆の研究室

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「むさししらいし」って漢字で書こうと思ったら書けなかった

「武◯白石」の「◯」ってなんだっけ

 

 

 

 


「武蔵白石」だった

「蔵」か 「武」具の「蔵」で「武蔵」か

何となくで読んでると書けないもんだな

そもそも「蔵」を「さし」とは読まんからな

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BMWの電動スクーター

https://www.bmw-motorrad.jp/content/dam/bmwmotorradnsc/common/multiimages/images/models/urban_mobility/cevolution/productstage/k17_original_2560x1440.jpg

2560×1440ピクセルもあるので閲覧注意

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ヒロナ禍

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135317097.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135379495.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135321134.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135333489.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135329489.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135362849.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135375395.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135384122.jpg

https://contents.oricon.co.jp/photo/img/6000/6057/detail/img660/1609135388271.jpg

珍しく緊張しているらしい

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会津さざえ堂の正式名称は

円通三匝堂(えんつうさんそうどう)

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カーモデリングとかに用いられる粘土って600グラムくらいから売ってんのね

インダストリアルクレイ N60

60℃で軟化して 固まると削れるそうな

一回使ってみようかしら

モデリングクレイで造形して 石膏で型とって シリコンゴム流せばゴム人形が自宅で作れるな

Pixiv系のBoothとかで売れるかしら

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グリコのBifixヨーグルトのフタが日清カップヌードルにシンデレラフィット

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「岸辺露伴」をAndroid8.1が知っていたのだが

「上白石萌歌」ちゃん(妹)は出てこない

「上白石萌音」ちゃん(姉)は出てくるのにね

もかちゃんってAndroid8.1よか後にデビューしたのかしら

 

 


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音声

2021年01月07日 17時41分00秒 | 日記

菅首相の記者会見をテレビで生中継してたんだが

新聞屋のスチルカメラの連写音がうるさくて聴こえやしねぇ

菅さんの前にはマイクがあるんだけど 会場のスピーカーで拡声しているだけで放送局のマイクには新聞屋のカメラの音しか入らない

Bluetoothか何かで音声飛ばして報道各社が全部直接菅さんの声が拾えるようにしとくとか

新聞屋のカメラもミラーアップのサイレントモードに限定するとか 折角のハイテクをちゃんと応用しろよ

全くマスコミってのはバカばっかりで 何度言っても密集ぶら下がり囲み取材をやめようとはしない

頭おかしいだろ

代議員の会食をとやかく言えた義理じゃないだろ

 

 

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縄定ひかり丸

2021年01月05日 21時58分20秒 | 写真

ググってみたが有効な情報はみつからなかった

 

ピクチャースタイル:忠実設定

コントラスト:+4

色の濃さ:+4

ちょっとだけ嘘ついてみた

 

Ende;

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論理客観的根拠を無視して倫理もヘッタクレもない

2021年01月05日 13時17分26秒 | 意識論関連

未だにトロッコ問題を持ち出してきて 主観に過ぎない「良心の呵責(罪悪感)」を根拠に正当化するバカがいる

 

たまたま大量の死者が出た列車に乗り合わせ 偶然一人だけ生き残ったりすると「サバイバーズギルド」的な根拠のない罪悪感に苛まされることがよくあるのだが それは主観的なものであって 生き残ったこと自体に何らかの倫理的問題が存在するわけではない

トロッコ問題というのは 本来「倫理の話」として取り上げられたものであって 主観的な感覚に過ぎぬ罪悪感の錯覚を持ち出したからといってトロッコ問題が倫理の話にすりかわるわけではない

1人死ぬか 5人死ぬかを選択しても 人間性や倫理の客観的論証には一切ならず 単に主観的感覚としての罪悪感をいくら「感じて」も 倫理の問題には全くならないのである

トロッコ問題というのは非常に「悩ましい」命題ではあるが 「死んだ人数」で倫理が決定するわけではないことは何度も述べたはずである

誰も死ななくても危険行為は倫理に反するし 1万人死んでも不可避ならば倫理とは無関係である

どんなに「悩ましい」命題であろうと 論理客観的に人間性や倫理の論証に一切ならない話を「倫理の話」としてすり替えている時点で真実を蔑ろにしており それこそが社会的に無責任であり「倫理に反して」いるのである

 

 

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イヌの正義

2021年01月04日 21時07分01秒 | 意識論関連

イヌにはイヌなりの主体的欲求というものがあり これを尊重せずに「飼い主のエゴを押し付け」てしまうことで欲求不満に陥り ストレスとなって凶暴化が起こることについては 正にそのとおりだと言える

だが 飼い主が「良かれ」と思ってイヌのご機嫌取りに徹してしまうと イヌは服従対象として飼い主を認めることができなくなり これもまたストレスとなって凶暴化する原因ともなる

https://toyokeizai.net/articles/-/397972 「子犬のかみつき」に悩む人が知るべき6の方法 -東洋経済

共通して言えることは 欲求不満によるストレスが凶暴性の原因となっているのである

ヒトの場合も生育環境で主体的な知的好奇心を満たすことをさせてもらえず 一方的な学力偏差値競争などの「他人との比較」ばかりを強要されることによって 自発性や自主性が育たず 結果的に「自律的な責任判断選択」すらもできないバカができあがることになる

テロだの通り魔だのを実行したところで 社会的には糞の役にも立たないことは明らかであるにも関わらず そうした合理的な「考え」というものが主体的には働かない状態に陥っているとテロだの通り魔などという意味のわからぬ方向性のない社会に対する茫漠とした無差別報復に暴走するようになる

イヌの場合には先天的本能を満たしてやることでヒトにとって都合の良い行動だけを引き出すという育て方しかできないが ヒトの場合には先天的な知的好奇心を満たすことによって「自律的な社会的責任判断選択能力」という人間性の根源を発揮しなくてはならない

人間性を発揮するためには環境依存性からの脱却が必要であり これはイヌとは全く異なる主体的な「自律」が必要である

イヌは環境に左右されることしかできないが ヒトの場合は「会社の体質(環境)が悪いから原発の危険性を放置しました」というわけにはいかないからだ

ヒトの場合も生育環境が人格に影響を及ぼすことは確かだが ヒトの場合は自分の行動の全てを他人や社会などの環境に責任の全てをなすりつけておいて良いわけではない

刑法に基づく懲罰だけで「解決」だとみなし それ以上の原因究明や再発防止の制度が存在しないという「環境」かからといって それを「理由」に刑罰だけで全てが終わってしまうことを放置することもまた社会的には無責任である

ヒトは 多くの他人が無責任である場合には 責任が薄まる感覚(錯覚)によって問題意識が働かなくなる性質があり これもまた「自律」的判断の欠落の原因でもある

多数派に同調し 迎合し 何も問題意識を持たずに既存の制度や因習を鵜呑みにしておけば 気分的には安心でストレスを「感じる」こともないだろうが それこそが環境依存性の無責任な行動選択の原因でもある

 

一日中ケージやサークルに閉じ込められておけばイヌが欲求不満に陥りストレスとなるからといって ヒトが外出自粛要請にストレスを感じたからといって夜中に泥酔して居酒屋やキャバクラをハシゴしても許されるわけではない

ヒトはイヌではない

ヒトは人間としての自律的な社会的責任判断選択行動が求められるのであって 機械的条件反射行動だけで説明できるような「バカ」では話にならないのである

何も考えないバカでいることが許されないヒトであることに不条理性やストレスを「感じ」ても それらは全て主観であって 論理客観的な物事の考えに基づいた真実の論証にはならない

イヌのシツケの話においても 「これさえやっときゃ全ては解決」的な短絡的解釈をしている飼い主の話がたくさん出てくるのだが これもまた自分で物事を考えない頭の悪さが原因である

真実は一つだが 現実世界における現象は多様であり 決して単純ではない

あらゆる物理現象も個別に分解すれば慣性の法則などに則って起こっているものだが 現実世界の現象の全てが予測可能なわけではないのと同様 「これさえやっときゃ全ては解決」するような短絡安易な「答え」があるわけではない

ところが 子供の頃から「教えられたことを憶えさえすれば成績になる」という環境で育った子供は 大人になっても短絡的に答えがあるのだと勘違いするようになり 結果的に「刑法懲罰で解決だ」というバカの多数決によって回避可能性のある危険性も放置されているのである

「何が本当の真実なのか」を自主的には考えないからバカが治らない

自主的に物事を考え判断すれば 大多数のバカの群れの中では「ストレス」になるものである

東電社内で原発の危険性を訴え続けることも 食肉偽装や粉飾決算の内部告発も 主観的気分としては「ストレス」を感じる嫌なことであり 環境依存的に逃避すれば体制に迎合して事なかれ主義を貫いた方が「楽」である

それはもはやイヌの正義でしかない

 

 

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奥田 順之

2021年01月04日 21時07分01秒 | 意識論関連

奥田 順之(獣医師)は

「犬は家族を順位付けする」が迷信にすぎない

「犬が上に立っているからかむ」は迷信

と称しておきながら

「オオカミが順位を作り、犬も同じように順位を作るという話は、正しいかどうかは別として」

などとちぐはぐな言い逃れやはぐらかしをしている

 

イヌなどの動物が凶暴化する理由の全てが順位欲によるものではないのは確かであるが ヒトの感覚でイヌを過剰にかわいがってしまうと服従対象としての順位欲が満たされずに凶暴化の大きな要因であることは確かである

イヌを散歩させる時にはリードを引っ張って飼い主に服従させることでイヌは飼い主の顔色を窺うようになり 無駄吠えや凶暴化を著しく抑えることができることは確かであり 疑う余地はない

だが 例えばヒトやチンパンジーに見られる「虐待の連鎖」のように 暴力的に服従を強要するばかりだと飼い主などの怖い相手以外に対してはむしろ暴力的になることもある

つまり 状況をわきまえずに むやみに暴力威圧的に服従させても凶暴化が抑えられるわけではないことは言える

実際に盲導犬や救助犬の生育においては決して頭ごなしな服従を強要するような暴力威圧的な育て方や訓練をするわけではなく イヌの意欲を削ぐようなことはしない

あくまで順位序列を勘違いしないよう 愛情を持って訓練することで信頼関係のある優秀な盲導犬や救助犬として育てることができることは確かである

だが ひたすら過剰にかわいがって甘やかし 順位序列を勘違いさせてしまえば暴力威圧的な服従を強要しなくても凶暴性を発揮することは確かである

 

つまり 「順位序列だけが凶暴性を決定するわけではない」のであって 「凶暴性の原因は順位欲だというのは迷信だ」というのは間違いである

 

出典:https://toyokeizai.net/articles/amp/397957?page=3 -東洋経済

 

先天的な本能としての順位序列を形成する 生物学上の社会形成習性というものは ヒトにおける封建的差別格差や暴力威圧的紛争の原因でもあり 

これを「オオカミ同様にイヌも順位序列を作ることが正しいかどうかは別にして」おいて「迷信だ」などと決めつけてしまうことの方が科学を逸脱した大衆迎合である

獣医師であればイヌのことだけ心配していれば満足かも知れないが 科学的論証をねじ曲げてヒトの危険性については無視しても良いという無責任な話にはならない

封建的格差や威圧的暴力の原因となる順位序列への本能的な執着性というものが イジメやヘイトスピーチや紛争や戦争の原因である可能性が極めて高い以上 「正しいかどうかは別にして」しまったのでは社会的に無責任極まりない

 

 

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領野

2021年01月02日 11時43分52秒 | 意識論関連

人間としての本質的知能の根源は「気づき」であり どんなに大量の知識を「知って」いたとしても「知って」いる内容に間違いがあるかどうか全く「気付かない」のでは到底知能とは言えない

「気づき」に関わるデフォルトモードネットワークというものは脳全体につながる神経接続であり 前頭葉などの脳の特定部位に偏在しているものではない可能性が高い

デフォルトモードネットワークを統括する部位が前頭葉にあるとしても フィニアス:ゲイジのように損傷した場合には 脳の他の部位が代替するような可塑性があってもおかしくはない

生まれつき身体の一部が未発達な人の場合など 一般的には運動野にマッピングされる機能とは違うマッピングがみられることもあり 必ずしも前頭葉だけしか意識の本質を担うことができないとも言い切れない

ゲイジが事故に遭ったのは25歳と比較的若かったため 前頭葉を損傷した後に脳内マッピングが変異した可能性もある

ただ 少なくとも事故後数カ月は人格の変容があったことは確かなようである

一枚の写真から受ける主観的「印象」や 講演会における言葉遣いも人格や知能の論証には全くならない 言葉遣いだけなら振り込め詐欺でも偽装は可能であり 外見的な「印象」とは主観的感覚に過ぎないからだ

麻薬中毒患者や連続殺人犯でも外見的人間性を装うことは簡単であり 主観的な観念に過ぎぬ外見から論理客観的な人間性や人間としての知能の論証には全くならない

 

 


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