[あらまし] 飼い犬ジーロくん15歳1ヶ月去勢オス癲癇の既往有り慢性腎不全で毎日皮下点滴。
家の中にトイレを定めて、そこで用を足す習慣になっている。
犬の話だ。
ただ、オス犬はマーキングという習性が有り、
散歩に出ても10ヶ所以上で尿を出す。
小出しにする。
最後は尿が無くなり、ただ片脚を上げるだけになっていたりする。
排尿する際に片脚を上げなくなってからもう随分経つ。
バランスが取れないからだ。
メス犬がするように、少し腰を下げて、一度にたくさん排尿する。
マーキングではなく、オシッコしているだけのことだ。
排便の時は、腰を丸く曲げて、
直腸が垂直になるような姿勢を取る。
このとき、後肢の踏ん張りが利かない。
曲げたまましっかりと踏ん張る、というのが難しいようだ。
人間で言えば、例えば階段を降りる時など、
膝を曲げながら、曲げ過ぎないように踏ん張る。
曲げるのと曲げないようにするのと、逆説的な筋肉の働きを同時に行う。
エキセントリック収縮と呼ぶ。
これがけっこう負担なので、
たとえば、下山した後に「膝が笑っ」たりするわけだ。
ジーロは、後肢が弱って踏ん張りが利かない。
もっと踏ん張ろう、とすると、脚が伸びる形になってしまう。
関節を曲げたまま踏ん張るのではなく、脚を突っ張ってしまう。
すると、かえって尻餅をついてしまうことになる。
意志に反した結果になるので、ジーロは慌てる。
慌てて脚をバタバタさせるので、ますます事態は混乱する。
※
そんな排便を、そっと支えてやるのが、
飼い主の私の仕事になっている。
こういった介助で過ごせるのも、あと何ヶ月くらいなのだろう。
そのうち、起き上がれなくなったり、
便が漏れてしまったり、というふうに状態が変わっていくのだろう。
※
家の中のトイレでは踏ん張りにくいのか、
あまりトイレで排便排尿したくないようだ。
それでも一日に2回くらいはトイレで排尿する。
しかし、外に出て排泄するのが良いらしい。
目が覚めたら外に連れ出してやるようにしている。
このところは猛暑がひどいので、明け方と日が暮れた後の時間に出るしかない。
家を出たらすぐ、家の前の砂利道でオシッコをする。
一度排尿すると、少し歩き方がしっかりしてくる。
近所のほんの100メートルあまりの間を行ったり来たり、ゆっくり歩き、
排便を待つ。
※
排便の姿勢に入り始めてから便が出て尻餅をついてしまうまで、
ほんの3秒ほどだったりする。
目が離せない。
のろのろ歩いてほのぼのしているように見えるが、
ウンコ尻餅をつかないように、飼い主の私はかなり注意を払っている。
※
今朝などは、玄関の土間に降りたところで尻餅をついたと思ったら、
ウンチが出ていた。
どうしたはずみか。
※
老犬と外を散歩していると、声をかけられることが多い。
「がんばってるねー。」
「私もおんなじ。足から弱るのよね。」
というようなのが多い。
二足歩行の人間の足が弱るのと、
犬の後肢が弱るのとではちょいと事情が違うのだが、
そんなことは人間の情緒にはどうでもいいことだ。
意外に、「がんばれ」と言う人は、いない。
うつ病の人に「がんばれ」と言ったり、
被災者に「がんばれ」と言ったりすることは、
言う側は励ましのつもりでも、
既にがんばり切っている人にしてみたら追い詰められた気持ちになる。
だから「がんばれ」と言うのはやめましょう。
という説が、浸透しているからだろうか。
犬は言葉が分からないのだから、
励ましの気持ちで「がんばれ」と声をかけたら
「がんばれ」という言葉ではなく、励ましの気持ちが伝わるだろう。
なんにせよ、
犬はただただ生きるために頑張る。
苦しくても疲れていても頑張る。
生きて活動しよう、ということだけに向かっている。
そう見える。
生きものとか動物とかいう言葉は、本当によくその姿を映していると思う。
「がんばってるねー。」
という言葉は、
生きものが生きる姿をただ描写している。
私は「がんばってるねー。」という言葉に、
好感を持っている。
家の中にトイレを定めて、そこで用を足す習慣になっている。
犬の話だ。
ただ、オス犬はマーキングという習性が有り、
散歩に出ても10ヶ所以上で尿を出す。
小出しにする。
最後は尿が無くなり、ただ片脚を上げるだけになっていたりする。
排尿する際に片脚を上げなくなってからもう随分経つ。
バランスが取れないからだ。
メス犬がするように、少し腰を下げて、一度にたくさん排尿する。
マーキングではなく、オシッコしているだけのことだ。
排便の時は、腰を丸く曲げて、
直腸が垂直になるような姿勢を取る。
このとき、後肢の踏ん張りが利かない。
曲げたまましっかりと踏ん張る、というのが難しいようだ。
人間で言えば、例えば階段を降りる時など、
膝を曲げながら、曲げ過ぎないように踏ん張る。
曲げるのと曲げないようにするのと、逆説的な筋肉の働きを同時に行う。
エキセントリック収縮と呼ぶ。
これがけっこう負担なので、
たとえば、下山した後に「膝が笑っ」たりするわけだ。
ジーロは、後肢が弱って踏ん張りが利かない。
もっと踏ん張ろう、とすると、脚が伸びる形になってしまう。
関節を曲げたまま踏ん張るのではなく、脚を突っ張ってしまう。
すると、かえって尻餅をついてしまうことになる。
意志に反した結果になるので、ジーロは慌てる。
慌てて脚をバタバタさせるので、ますます事態は混乱する。
※
そんな排便を、そっと支えてやるのが、
飼い主の私の仕事になっている。
こういった介助で過ごせるのも、あと何ヶ月くらいなのだろう。
そのうち、起き上がれなくなったり、
便が漏れてしまったり、というふうに状態が変わっていくのだろう。
※
家の中のトイレでは踏ん張りにくいのか、
あまりトイレで排便排尿したくないようだ。
それでも一日に2回くらいはトイレで排尿する。
しかし、外に出て排泄するのが良いらしい。
目が覚めたら外に連れ出してやるようにしている。
このところは猛暑がひどいので、明け方と日が暮れた後の時間に出るしかない。
家を出たらすぐ、家の前の砂利道でオシッコをする。
一度排尿すると、少し歩き方がしっかりしてくる。
近所のほんの100メートルあまりの間を行ったり来たり、ゆっくり歩き、
排便を待つ。
※
排便の姿勢に入り始めてから便が出て尻餅をついてしまうまで、
ほんの3秒ほどだったりする。
目が離せない。
のろのろ歩いてほのぼのしているように見えるが、
ウンコ尻餅をつかないように、飼い主の私はかなり注意を払っている。
※
今朝などは、玄関の土間に降りたところで尻餅をついたと思ったら、
ウンチが出ていた。
どうしたはずみか。
※
老犬と外を散歩していると、声をかけられることが多い。
「がんばってるねー。」
「私もおんなじ。足から弱るのよね。」
というようなのが多い。
二足歩行の人間の足が弱るのと、
犬の後肢が弱るのとではちょいと事情が違うのだが、
そんなことは人間の情緒にはどうでもいいことだ。
意外に、「がんばれ」と言う人は、いない。
うつ病の人に「がんばれ」と言ったり、
被災者に「がんばれ」と言ったりすることは、
言う側は励ましのつもりでも、
既にがんばり切っている人にしてみたら追い詰められた気持ちになる。
だから「がんばれ」と言うのはやめましょう。
という説が、浸透しているからだろうか。
犬は言葉が分からないのだから、
励ましの気持ちで「がんばれ」と声をかけたら
「がんばれ」という言葉ではなく、励ましの気持ちが伝わるだろう。
なんにせよ、
犬はただただ生きるために頑張る。
苦しくても疲れていても頑張る。
生きて活動しよう、ということだけに向かっている。
そう見える。
生きものとか動物とかいう言葉は、本当によくその姿を映していると思う。
「がんばってるねー。」
という言葉は、
生きものが生きる姿をただ描写している。
私は「がんばってるねー。」という言葉に、
好感を持っている。
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