街道ウォーク>旧中山道>三留野宿(南木曽駅)~馬籠宿
2012年10月6日 14回目
口留番所跡(妻籠)
口留番所(くちどめばんしょ)とは、江戸時代に各藩が自藩の境界や交通の要所などに設置した番所のこと。江戸幕府の関所に相当する。また、江戸幕府が設置した施設でも裏街道に設置されたものなど、関所の要件を満たさない小規模なものは、「口留番所」と称した。
江戸時代の初期、このあたりに口留番所があって、中山道を行く人々を監視していた。従来、この口留番所は、江戸時代の早い時期に廃止されたという見方が強かったが、最近発見された正保3年(1646年)と推定された史料に、「妻子(籠)御関所」と記されていることから、少なくとも17世紀中頃までは妻籠に口留番所があったことが確認された。なお妻籠には、下り谷その後一石栃に、木材を取り締まることを目的とした白木改番所が、近世を通じて設置されていた。
本文 cosmophantom
2012年10月6日 長野県
熊谷住宅(妻籠)
19世紀初頭に建てられた長屋の一部。左右の建物が取り壊されて建て替えられたことから、左右の半分づつが一軒の家として使用されていました。(町文化財) 妻籠観光協会より
この建物は、19世紀初頭に建てられた長屋の一部だったが、左右の建物が壊され立て替えられたことから、長屋の間取りの右半分と左半分が残り、一軒の家として使用されてきたものである。こうした経緯は建築学上珍しく、貴重な建物である。昭和48年に町で買い上げ、解体復原された。
cosmophantom
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2012年10月6日 14回目
鯉ヶ岩(妻籠)
昔当地(妻籠)城山に木曽義仲の後裔義昌が砦を築いていた其頃、武将が此岩の附近で恋の物語りをささやきなりと云う伝説あり。其の後、の地名も恋野となり現在も其の儘残っている。中仙道筋の旅人を驚かしたり喜ばしている。信濃道中記 鯉ヶ岩は名の如く、大きな鯉の形をした大岩であったが、明治24年美濃の大震災で移動したため形が変わった。附近の烏帽子岩(吾妻橋地区)兜岩(神戸地区)と共に「三大岩」として有名である。
本文 cosmophantom
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2012年10月6日 14回目
妻籠城址
妻籠城は木曽谷の南を固めた規模の大きな山城です。天正12年、徳川の大軍に難攻不落を誇ったと伝えられます。
本文 cosmophantom
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2012年10月6日 14回目
名石 蛇石(へびいし)
中世の中山道はここから沢沿いに上がっていた。元禄16年(1703)に道の付け替え工事がおこなわれて,妻籠城総掘りを通る現在の道となった
本文 cosmophantom