2015年10月8日 山梨県
武田八幡神社 重要文化財
山梨県韮崎市神山町北宮地
武田氏の氏神として尊崇をあつめた神社。三間社流造桧皮葺の本殿は武田信玄が再建したもので国の重要文化財です。勝頼夫人が戦勝を祈念し奉納した願文、石鳥居や二ノ鳥居などの県指定文化財が数多くあります。
甲府にある武田神社とよく間違われる八幡宮ですが武田神社は躑躅ヶ崎館跡が神社になったもの。歴史は八幡宮の方がずっと長く武田氏から崇められていた神社なのです。 韮崎市観光協会
▲二の鳥居
▼ 石鳥居と総門
武田八幡神社の石鳥居 付正面石垣
この鳥居は、参道から境内に入った正面に三の鳥居として建立された。室町時代の作と考えられる。鳥居の前面にある石垣とその両側に設けられた石階は、この神社の社頭の特色ある配置を示す。
石造明神鳥居
大きな礎石上に立つ柱には・・・略・・・見た目には胴張りの如くに感じられ、しかもがっちりと太く、これに比して柱上には台輪をはさんで置かれた幅の狭い鳥木や笠木は程好い真反りを示し、両端の切り方も内斜ではあるが後世のものほど極端でなく、増しも軽妙である。鳥居の貫に天正12年(補修)の銘があり、峡北地方の中世造営の鳥居の特徴を備えている。石垣は正面神社参道から鳥居を迂回して石段をつくる特殊な形態を呈し、石積技術も優れ貴重なものである。
舞殿
拝殿
▼ 武田八幡神社末社若宮八幡神社本殿
若宮八幡神社は、一間社流造り、桧皮葺身舎の 桁行一・五メートル、梁間一・二メートルの小建 築で沿革や建築年次も定かでない。しかし、様式 や手法の上からは桃山末期から江戸初期の遺構と 推定される。 細部についてその特色をあげれば、身舎は出組 斗栱に支輪をそえた取り扱いであるが、支輪の屈 曲状態、木鼻の繰りと施された絵様、中備に配し た各蟇股の脚の形態と脚端の若葉化、挿入された 彫刻意匠、幣軸の形、妻飾りでは虹梁の渦状紋、 派出された若葉の形、大瓶東の結綿。向拝では柱 の面の大きさ、虹梁の木鼻の形態、手狭の輪廊と 側面に示された絵様等がみられ、桃山末期ごろの 優れた姿がのこされている 説明板
▼ 武田八幡神社本殿 重要文化財
・・・・略・・・天文十(一五四一)年、武田晴信(信玄)が甲斐の守護になると、当 社本殿の造営に着手し、同年十二月二十三日に早くも落成した。・・・・・・略・・・・・本殿全体は木割が雄大で、しかも装飾的 意匠にすぐれた室町時代の特色を示し、武田氏興隆期の力強さを誇る遺 構として貴重な有形文化財である。掲示板より
▲一石百観音石像
武田八幡宮の神宮寺に、宝永6年に天下太平国家安全を祈願して造立されたものです。その後、竜岩山玉保寺の境内に移されました。玉保寺が廃寺となり、明治17年に信徒達によって現在の場所(武田八幡宮石鳥居の手前約5メートル)に動座された経過があります。高さ1.7メートルのほぼ三角形の板石に、頂点へ阿弥陀三尊の種子を印刻、その下部に西国・秩父・坂東の観音像百体を7段に配刻してあります。
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