街道ウォーク<甲州街道<甲府駅~日野春駅
2011年12月30日 6回目
鰍沢横丁
▲この石碑の横の路地が鰍沢横丁か?
ここから「みのぶ道」駿信往還ともいい、峡北地方や諏訪・佐久地方の江戸城納めの年貢米を、馬背に積んで、鰍沢河岸(幕末には船山河岸)まで通行の道筋である。ために沿道には、駄菓子屋・馬方茶屋など軒を並べてにぎわったが、明治三十六年(1903)国鉄中央線開通して、荷物輸送経路も一変し、往時の活況は消え失せた。しかし町民には忘れじの横丁である。
cosmophantom
街道ウォーク<甲州街道<甲府駅~日野春駅
2011年12月30日 6回目
鰍沢横丁
▲この石碑の横の路地が鰍沢横丁か?
ここから「みのぶ道」駿信往還ともいい、峡北地方や諏訪・佐久地方の江戸城納めの年貢米を、馬背に積んで、鰍沢河岸(幕末には船山河岸)まで通行の道筋である。ために沿道には、駄菓子屋・馬方茶屋など軒を並べてにぎわったが、明治三十六年(1903)国鉄中央線開通して、荷物輸送経路も一変し、往時の活況は消え失せた。しかし町民には忘れじの横丁である。
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