2018年9月28日 大分県
杵築北台南台 重要伝統的建造物群保存地区
大分県杵築市
保存地区である北台と南台の武家地は住宅地として今日に至り、正保以来の藩政期の地割を良好に留め、武家屋敷も良く残っています。
北台と南台は酢屋の坂、塩屋の坂を介して南北の道で結ばれ、台地上には家老丁、本丁、裏丁等の区画がなされ、杵築藩の家老等の上層藩士の居住区でした。敷地は石垣などで造成して土塀などで囲い、通りに面して長屋門や薬医門などの門を開きます。武家住宅の主屋は茅葺や瓦葺で、式台を構えて格式を示しました。主屋と門の間には前庭を設け、目隠しとなるソテツやマツを植えます。代表例としては、県指定文化財の大原邸や市指定文化財の磯矢邸などがあります。
南北台地上に区画された杵築城下の武家地で、藩政期の地割を踏襲し、近世武家住宅の主屋と門及び、その形式を受け継いだ近代の住宅主屋を伝統的建造物として良く残しています。高低差のある地形を生かして天然の要害を成し、坂を巧みに配した武家地は、石垣や石段、土塀などによって、雄大で独特な景観を形成しています。
▲観光案内所から散策開始
番所の坂を登り、北台武家屋敷へ
▲北浜口番所
酢屋の坂と塩屋の坂⇒人気のスポット
▼大原邸
明治元年(1868年)の絵図では、大原家の屋敷となっています。嘉永(1848年から1853年)の藩士帳にみえる用人大原文蔵(200石)の屋敷地です。
▼杵築藩 藩校「学習館跡」
1788年に藩校となる「学習館」を設立しました。士族の子弟だけでなく、平民の子弟も藩校へ通うことが許された。
▲藩主御成門
現在でも杵築小学校の校門として使われている。
▼能見邸 幕末期のものと推測されている
▼磯矢邸
屋敷は、明治以降の増改築部分を除き、文政天保期(19世紀前半)のものと思われていましたが、最近の調査で、文久4年(1864年)と刻まれた瓦や、元治元年(1864年)の棟札などが発見されています。
▼勘定場の坂
2018-11-01 05:35:25
☆cosmophantom
この記事は北台が中心で坂の奥には南台がありますが時間がなく省略いたしました。
見所は坂!坂の上(えーと、洒落ではありませんよ)からの風景です。
それから、ボロボロの土塀ですね。^^
ここから暫く歩くと(10分位かな)杵築城にたどり着きます。杵築城は観光用に作られたものですが、そこから見える海の景色は見事でした。関サバ、関アジが取れる海が見えるとのことでしたが、どこかはわかりませんでした。
南台へはいつか行かねばなりませんネ
行きたかったのを思い出しました。