コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

守山の様子1~旧中山道を歩く(22回目)

2013-08-14 09:37:13 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目

守山の様子1

 

吉身 (吉水郷)  この辺り一帯を「吉身」という。古くは「吉水郷」と称し、ゆたかな森林ときれいな「水」に恵まれた天下の景勝地であった。元暦元年(1184)九月に発表された「近江国注進風土記」には、当時の近江国景勝地八十個所の一つとしてこの地が紹介されている。南側は「都賀山」の森と醴泉(こさけのいずみ)が湧く数々の池があり、東に有名な「益須(やす)寺」があった。そしてこの街道は「中山道」である。古えの「東山道」にあたり、都から東国への幹線道として時代を映し出してきた。 鎌倉時代に、大津・勢多・野路に次いで守山が重要な駅路(宿駅)となり、江戸時代に江戸の日本橋から数えて六十七番目の宿場に指定されたとき、「吉身」はその西の「今宿」とともに守山本宿の「加宿」として宿場の役割を分担した。ここは吉身加宿の「高札」が立っていた所である。本宿と加宿の境には川が流されてその標(しるし)とした。流れるこの川を「伊勢戸川(伊勢殿川)」という。野洲川の伏流と湧水を戴く「宮城川」の支流として水量多く冷たく清らかで、川の水は旅人の飲料水としても重宝がられ、宿場の防火用水としての役目も果たしてきた。里中にしては珍しく流れが早く周囲の環境に恵まれて多種類のさかなたちを育み、同時に「ゲンジボタル」の発生の川としても親しまれてきた。以下省略
吉身中町自治会 「水とホタル推進委員会」 

 

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