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善光寺2013(長野県長野市)

2013-10-15 06:10:29 | 神社・仏閣・教会

2013年10月9日 長野県

善光寺 

長野県長野市元善町

長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院である。山号は「定額山」(じょうがくさん)。山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。「大勧進」の住職は「貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。Wikipediaより

現在の善光寺仁王門は明治24年(1891)の火災後に再建されたもので大正7年(1918)に竣工しました。内部に安置されている仁王像と三宝荒神、三面大黒天は高村光雲、米原雲海の合作で仁王門竣工より1年遅れの大正8年に開眼式を迎えています。又、正面の額は伏見宮貞愛親王の御筆。 長野県WEB観光案内所ホームページより

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山門

寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成十四年から十九年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。善光寺ホームページより

 

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本堂

本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。 善光寺ホームページより

 

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経蔵

善光寺経蔵は宝暦9年(1759)に建てられた宝形造、一重、檜皮葺、桁行五間、梁間五間、高さ13.5mの建物です。内部には八角形の回転式輪蔵が安置され仏教経典を網羅した一切経が収められ、腕木を押して1回転させると一切経を全て読んだと同じ功徳があると言われています。又、輪蔵と並び伝教大師像や慈覚大師像、傳大士像、釈迦三尊像、如意輪観音像などが安置されています。善光寺経蔵は国指定重要文化財に指定されています。長野県WEB観光案内所ホームページより

 

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六地蔵

宝暦九年(1759年)に浅草天王町祐昌が願主となって造立されましたが、昭和十九年に金物供出に出されてしまいました。現在の六地蔵は昭和二十九年に再興されたものです。 六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様です。善光寺ホームページより

▲一番右地獄界の地蔵菩薩の左足が台座から踏み出されているのは・・・・・

 

※牛に引かれて善光寺参り
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、さらしていた布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見て、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着き、それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったという言い伝えから。故事ことわざ辞典より

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