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京都御所2022~京都府京都市上京区

2023-02-01 05:54:26 | 建築物(洋館以外)

2022年12月24日 京都府

京都御所2022

京都府京都市上京区

京都御所は,明治維新まで天皇のお住まいであり,桓武天皇が794年に平安京に都を移されたのが始まりです。現在の京都御所の場所は,1331年光厳天皇がここで即位されて以降,1869年に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間,天皇のお住まいとして使用されました。この間,幾度となく火災に遭いその都度再建が行われましたが,現在の建物の多くは1855年に再建されたものです。
 京都御所の建物の中で最も格式の高い正殿である紫宸殿は,伝統的な儀式を行うために,平安時代の建築様式で建てられており,現在の建物では明治,大正,昭和,三代の天皇の即位礼が行われました。建物内部には即位礼の際に使用する天皇の御座である高御座と皇后の御座である御帳台が安置されています。

▼建礼門

京都御所の南に位置する御所の正門が建礼門。天皇皇后と外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門。切妻屋根、檜皮葺き(ひわだぶき)の四脚門。

▼宜秋門

桧皮葺き、切妻屋根の四脚門。宮、摂家その他公卿が参内する時に用いられました。 

▼清所門

京都御所の六門の1つで、瓦葺き。かっては、御台所御門と呼ばれ御所の勝手口として使用された。 御所の参観時、この門から中へ

入場

▼清所門

▼御車寄

儀式や天皇との対面のために参内した者を迎える玄関

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▼諸大夫の間(しょだいぶのま)

正式に参内した者の控えの間で、身分に応じて異なる部屋で控えました。襖の絵にちなんでそれぞれの部屋(三間)は、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と呼ばれています。

▼「桜の間」襖(掲示板より)

▼新御車寄

1915年(大正4年)、大正天皇の即位礼に際して、天皇皇后陛下のための玄関として建てられた建物です。

▼建礼門

▼月華門

▼承明門

▼紫宸殿 重要文化財

御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた建物である。南庭(なんてい、だんてい)に面して南向きに建つ。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、平面は33メートル×23メートルほどの規模がある。建具は蔀戸(しとみど)が使われている。規模は大きいが、華美な装飾のない、簡素な建物である。構造は中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる。内部は板敷きの広い空間となり、高御座(たかみくら、天皇の座)と、御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。建物正面の階段の左右には「左近の桜」と「右近の橘」の木がある。

紫宸殿には近づくことができず、写真は承明門付近から撮影したもの。

▼日華門

▼建春門

京都御所の内講を固める6つの門の一つで、向唐破風の屋根を持つ四脚門

▼春興殿

1915年(大正4年)、大正天皇の即位礼に際して、皇位継承のしるしである三種の神器の一つ「神鏡」を奉安するために建てられた。

▼清涼殿

紫宸殿の北西にあり、東を正面とした南北棟の建物である。平安時代の内裏においては清涼殿が天皇の居住の場であったが、天正期に御常御殿が造られてからは天皇の日常生活の場はそちらへ移り、清涼殿は天皇の執務と儀式の場となった。

▼小御所

対面、儀式集会に使用。1954年焼失。のち再建。なお,前将軍およびその居所を大御所(おおごしょ)というのに対し,将軍の世子の居所ないし世子を小御所とも称した。

▼御常御殿

室町時代以降に天皇の日常の生活の場として使われた御殿です。明治天皇も東京へ遷るまでこの御殿に住んでいました。

▼御三間

宮中御内儀の行事が行われた場所

京都洋館巡り2番外 cosmophantom


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